海外の象皮病症例紹介③脚が3倍以上に肥大した女性
中国人女性も象皮病で両脚が通常の3倍にも膨れ上がり、台湾で手術をした症例もあります。中国国内での病院で治療法はないと言われてました。
彼女は普通に女の子としての人生を送ることも諦めていました。彼女の家庭は生活保護を受給しているほど貧困だったのです。
彼女に救いの手を伸ばしたのは台湾の宗教派「仏光山」でした。手術費用は病院が持ち、渡航費用や雑費は「仏光山」が補い、彼女は手術に踏み込めました。
また、彼女の感染経路は蚊ではないとされ、原因が不明とされています。
海外の象皮病症例紹介④陰茎が90cmまで肥大した男性
近隣の男性が起点を聴かせてFacebookで助かった男性がケニアにいました。彼は陰茎が10歳から膨れ上がり、15歳にはズボンを履くことができずに学校も退学しています。
耐え難い痛みと陰茎の腫れた部分の重みで、歩く、座るのも困難で寝たきりだったと言います。学校にも行けなくなってしまった彼は、この世を恨んだことでしょう。
症状に苦しむ姿を見かねて、近隣の男性がFacebookで呼びかけた所、偶然地元の知事の目に入り寄付により手術がなされ、一般的な陰茎に戻ったようです。
このようにFacebookで呼びかけるだけで、一人の人生も変化し、病気に関しての知識も広がるのはとても勇気づけられる例でしょう。
ここまでは、生まれつきだったり、原因不明でかかった人が多く見られます。まだまだ、様々な要因も隠されているのかもしれません。
金正恩が象皮病である噂も
憶測と噂の域は出ませんが、北朝鮮で最も権力のある金正恩が象皮病と囁かれています。
彼がメディアに登場するときのズボンに着目すると、通常の2倍はあるかと思われるズボンを常に履いています。
ズボンの太さが、象皮病を疑われる原因となりました。真相は分かりませんが、ズボンの中身が余っているようには見えなかったのも、象皮病を疑われた原因のようです。
象皮病に感染している人は1億人以上いる!
実際に、象皮病の患者は世界にどのくらい存在するのでしょうか。2016年のWHOによると2000年には1.2億人が感染していると推測されています。
これは世界で考えた時の人数なので、日本の人口ではありませんが、まだまだ病に苦しんでいる人はたくさんいます。
死亡例はほぼないとしていますが、肥大化とともに、行動が制限されるため、他の病気を患いやすく、恐ろしい病気に変わりはありません。
象皮病は熱帯地域に多い病気
主に象皮病の幹線リスクのある国は、アジア、アフリカ、西太平洋など一部の熱帯地域に見られます。
その数73カ国と言われており、その中でも東南アジアでは、感染者が65%と集中している地域です。暑い所に蚊は繁殖しやすい傾向があります。
深刻な問題と考えられており、様々な製薬会社が治療のために、資金や専門知識を提供し取り組んでいます。
象皮病の日本での症例紹介
日本でも症例があるの?と驚いた方もいるかも知れません。今回紹介するのは一昔前の江戸時代の日本の症例になります。
もちろん、現在の日本で象皮病にかかるリスクはゼロではありません。それは、日本から各国に旅行や仕事で行く人がいる以上防ぎようのないものです。
そして、誰もが知っている日本で活躍した西郷隆盛が、象皮病を患っていました。
日本の象皮病症例紹介①西郷隆盛
日本維新に大きく関わり、今の日本を築いてきた西郷隆盛が象皮病を患っていたという話が残されています。
不思議な点が、西郷隆盛は写真を一枚も残さないことで有名です。どのように西郷隆盛が患っていたのが伝わったのでしょう。
西郷隆盛は象皮病で陰嚢が肥大化していた
西郷隆盛は鹿児島の出身です。南方の諸島にも島送りに2度された経歴があります。最初は身近に着いていた藩主の死で失脚し奄美大島へ流されました。
2度目は最高権力者の島津と合わずに、沖永良部島へ流罪(島流し)にあうなど、本人の意図しないところで、過酷な状況に追い込まれたようです。
西郷隆盛が象皮病に侵されたと推測されるのは2度めの流罪の時との説が有効で、症状の出た部分は陰嚢だったようです。
陰嚢とは陰茎の下にある精巣を収めている場所です。陰茎と同じくらい発症も多く見られるようです。九州南部で風土病として、象皮病は横行し西郷隆盛にも迫っていました。
最終的には一人で歩くのもままならないほど病状は悪化し、最終的に陰嚢は人の頭ほどになっていたと言います。
遺体を西郷隆盛と断定できたのは陰嚢だった
最終的に西郷隆盛の死を確認した時に、陰嚢の腫れが大きな役割を果たしました。もちろん、右肩の傷や体型なども特定した一因です。
死体の確認にどうして陰嚢が関わるのかは、西郷隆盛の死ぬ方法が深く関係します。自害したため首がない状態で死体が連れて行かれたのです。そこで判断するには一番の大きな目安になったのでしょう。
この病気が再度、世間の人達に知られるきっかけにつながったのはNHKドラマで「西郷どん」が放映されたのが大きいようです。