【首都圏連続不審死事件】木嶋佳苗の生い立ちや現在、3度目の獄中婚の真相も

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検察側は論告で明らかにしていることに「窓の外には夜空が広がっている。夜が明けると、雪化粧になっている。雪がいつ降ったかを見ていなくても、夜中に降ったと認定できる。」つまり状況証拠だけでも積み重ねることでも十分に立証できる節の発言をして、立証は可能であるとしています。

その言葉は裁判員たちの心を動かしたのではないでしょうか。状況的に見て他に可能性がないことを挙げたのです。

弁護側は木嶋佳苗の【無罪】を主張

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ここでどう繰り広げられるかになるのですが、首都圏連続不審死事件の全ては練炭は頼まれて購入したものであること、自殺や事故に至った経緯は別れ話からショックを受けてのことで関係ないという展開になります。

弁護側は木嶋佳苗の主張する「無罪」であることで、殺人ではないと繰り広げるのです。接点があり、状況証拠が整った中で裁判員たちはどのように判決を下すのか世間の注目が集まります。異例とも言える状況証拠の積み重ねによる、首都圏連続不審死事件はどのように展開していくのでしょうか。

さいたま地方裁判所の判決は【死刑】

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裁判員裁判の結果、最終的に判断を下すのは裁判長であることは確かです。総合的に見て判断されるのですが、さいたま地方裁判所の出した判決は「死刑」でした。今では死刑制度のあり方が問われていますが、その反面で時効がなくなっていることも挙げられます。

死刑では時効はなしなのですが、他の刑も見直しがされているのです。首都圏連続不審死事件で、何人もの被害者を出した殺人に対して極刑が下されたのです。裁判員裁判で状況証拠が鍵となったことが伺えますが、帰ってこない命があることも確かなことではないでしょうか。自殺などとされた事件は、最終的に二審でも一審の判決を支持し「死刑」という形になったのです。

木嶋佳苗の弁護側は即日上告している

控訴審で一審の判決を受け入れ2014年に、死刑判決を支持する形になります。首都圏連続不審死事件に終止符が打たれたのではないでしょうか。しかしながら、木嶋佳苗の弁護側は即日上告をし、2016年に上告審が行われ「状況証拠だけでは判例に違反する」と反論します。

2017年4月には「犯行は計画的で悪質」として「反省の態度は全くない」としますが、再度上告棄却を訴えるも同じ年の5月にそれを退け、最高裁にて死刑が確定するのです。裁判員裁判制度になってからは、女性で初めての死刑囚になり3月をもって結審になります。

首都圏連続不審死事件・死刑判決を下された木嶋佳苗の様子

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世間が注目し、状況証拠だけが取り扱われた異例とも言える判例に加わる事例は本人に言い渡されます。謝罪すらなく最後まで無罪を主張した木嶋佳苗の様子はどうだったのでしょうか。裁判員裁判で女性初の死刑囚となり、新たな判例が加わります。

首都圏連続不審死事件に死刑判決が下されましたが、尊い命は帰ってこないのです。上告審も棄却された中、数多く伝えることがあった裁判官ではなかったでしょうか。言い渡された判決をどのように受け止めたのか、測り知ることはできません。

木嶋佳苗の10の罪に対する量刑理由

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首都圏連続不審死事件で下された判決になります。件数が多かったことから、量刑理由を抜粋させていただくことをご了承ください。

「婚活サイトで知り合った男性から多額な金を受領するなどした末、返済などを逃れるため」とした上で、さらに「被害者は結婚相手または交際相手を信頼したまま」と、木嶋佳苗に突きつけ「平穏な生活を怒っていた遺族らの悲しみや喪失感は大きく、厳しい処罰感情は至極当然」とします。

「強い殺害意欲や巧妙さすら感じられる」ともしており、公判時のことも「被害者をおとしめる発言を繰り返すなど、真摯な反省や改悛の情は一切伺えない」「被告に対しては、死刑を持って臨むしかない」と続け、首都圏連続不審死事件で判決は最後に「被告人を死刑に処する」と締めくくるのです。

木嶋佳苗は死刑判決の瞬間も微動だにせず

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首都圏連続不審死事件の判決は、世間の注目を浴びた大きな事案です。大体のケースでは、ショックを受ける内容に涙したり、慌てた様子を見せたりなど様々な様子が伺えるのではないでしょうか。現に記者たちは慌てて飛び出して行き、判決の瞬間の姿を伝えるため急ぎ足になります。

木嶋佳苗の様子は、死刑判決が下された瞬間も微動だにすることなく落ち着いていたのです。判決の時を静かに迎えるのではなく、人ごとのように受けていた姿が見受けられたとされています。果たして冷静に死刑判決を受け入れることなどできるのでしょうか。諦めではなく、そこには関係ないかのような様子が映し出されているのかもしれません。

木嶋佳苗のうつろな目で頭を下げる姿

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諦めていたのか、観念したのかは定かではありません。特に言葉を発することなく、首都圏連続不審死事件で死刑判決を言い渡されます。木嶋佳苗の表情は、うつろな目をしていて裁判官に対して頭を下げたのみです。

傍聴席を見た姿は、死刑判決を受けたことが実感できていないのか、感情があったかも定かではありません。その時の外の様子を知ることもなく、世間が大々的にニュースで取り上げていることを知らないかのような眼差しで去って行ったのです。

首都圏連続不審死事件・木嶋佳苗の母の反応とは?

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死刑判決が下されたことによって、多くの取材陣がありとあらゆる方面で意見を求めるのではないでしょうか。その中でも、被害者家族だけではなく、被告の家族にも目が向けられます。首都圏連続不審死事件の被告、木嶋佳苗の母親にも求められることは否めません。

被害に遭うことを免れた人物にも求められたこともあり、7つの火災報知器が全て外された男性ですら、自らも殺害されていたかもしれないと語るのです。木嶋佳苗の母親にも取材の目が向けられることは、誰の目にも明らかではないでしょうか。

メディア各社の取材を拒否

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死刑判決が下された時、母親の反応は謝罪など低姿勢なことが多いのではないでしょうか。世間で注目を浴びた事件に、近所付き合いもなくひっそりと暮らしていたのです。知人との接点こそあったものの、メディア各社の取材は一切拒否するなどの姿勢をとっています。

首都圏連続不審死事件で娘の犯罪に、木嶋佳苗だけでなく母親も謝罪の姿はありません。2人妹がいるのですが、1人は差し入れなどを行なっているようです。そこに母親の姿を見出すことはできず、白熱する取材陣から、近所から遮断した生活を送っています。

知人が証言・北海道在住の木嶋佳苗の母の姿

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首都圏連続不審死事件で死刑判決後に取材を拒否し続けたこと、娘とも接点がないことも判明していますが、それで世間だけでなく遺族は納得するのでしょうか。

知人の話によると、テレビすら禁止していたほど厳しく育てた子供たちに対して、母親は以前から木嶋佳苗について「東京で大きな事業をしている」と自慢ばかりをしていて、娘と離れてしまうことを淡々と語っていた様子が伺えるのです。そこに見えるのは娘の犯罪に責任を感じる姿ではなく、無関心さが見えるのではないでしょうか。

娘の死刑判決に「5年や10年は大丈夫」と発言

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木嶋佳苗が首都圏連続不審死事件で、いくつもの罪を犯したにも関わらず、そこにあるのは母親の発言とは思えないものだったと知人は語ります。死刑判決が下ったにも関わらず、娘に対して悲しみなどの感情が見えたわけではなく、裁判はまだ続くと話をし、死刑がすぐに行われることはないと語ったのです。

親の言葉とは思えないほど呑気とも捉える内容で「5年や10年は大丈夫」と、知人に対して発言したとされています。自慢の娘であり、死刑はすぐには行われないことを、母親として責任を感じる言葉は発せられなかったのです。

首都圏連続不審死事件・判決後の木嶋佳苗の手記

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3月に結審を迎えた後、無反応だった姿が映し出されていましたが、それだけに終わりません。死刑判決が下り、その後黙秘を続けた理由についてなど明かされています。さいたま拘置支所で、刑に服していただけではなく記者とのやり取りもされていたのです。

木嶋佳苗の書いた手記には、反省の言葉ではなく、メディアの過熱ぶりや世間への非難も含まれています。その執筆にあたって、木嶋佳苗は首都圏連続不審死事件をどのように捉えていたのでしょうか。自信を誇示することが中心だった内容もですが、達筆なことも明かされています。

朝日新聞記者と6度行われた手紙のやり取り

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世間に対してマインドコントロールされているようにも書かれていたのですが、全ては木嶋佳苗に対して送った手紙からなるものだったのです。首都圏連続不審死事件では、返信があるかも分からなかったのですが、文字が美しく書かれていた内容で返ってきます。

1万2千文字以上書かれていた中で、書き直されている箇所は一箇所もなかったのです。6度行われた手紙のやり取りからは、裁判で見せた姿とは別の姿が記されていたとされています。無表情だった裁判での姿でしたが、活字では感情が明らかになっていたのです。

木嶋佳苗の便箋20枚に及ぶ手記

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首都圏連続不審死事件で、死刑判決が下ることが分かっていたかのような様子も見受けられるのです。消印が判決の前日になっている手記が便箋20枚にも及び書かれていた内容で、記者の元に届きます。警察による脅迫や、世間の自分への見方、メディアの過熱ぶり、幼少期に至るまで書かれていたのです。

次の日に判決が下ることになっていたとは思えないほど、達筆な字で繰り広げられていた余裕さは驚くものがあるかもしれません。首都圏連続不審死事件についてどう捉えているのでしょうか。

首都圏連続不審死事件・「木嶋佳苗の拘置所日記」とは?

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静かに拘留され執行の時を待つ死刑囚がいる中、最後まで無実を訴えることがることも事実です。ただし、必ずしも覆るかは保証はどこにもないことが現状ではないでしょうか。首都圏連続不審死事件に終止符は打たれていません。

木嶋佳苗は「拘留所日記」を書いています。拘留所にパソコンなどあるはずもなく、どのように開設されたのでしょうか。そこで訴えていることには、何を目的としているのか首都圏連続不審死事件はどこで落ち着きを見せるのかになります。

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