今陽子とは
今回、ピックアップした今陽子さんがテレビなどで精力的に活動していたのは1960年代から1980年代です。
このため、名前は知っていても、何という曲を歌っていたのか、歌手以外にも活動経歴があったのかおぼろげな人もいるのではないでしょうか。
まずこちらの項目で彼女のプロフィールなどをおさらいしましょう。
今陽子のプロフィール
今陽子さんの出身は愛知県の横須賀町です。幼少の頃からご家族などの影響で洋楽になじみ、わずか14歳の年齢で上京し、日本の代表的な作曲家・いずみたくの門下生となります。
その後、若冠15歳で「甘ったれたいの」でデビューします。この時のレーベルはビクターレコードでしたが、結果は惨敗、鳴かず飛ばずでした。
しかし、その約2年後の1968年に移籍しキングレコードに所属。
その際にピンキーとキラーズというボサノヴァのユニットを組み、最初のレコードの「恋の季節」が大ヒットし大ヒットし、人気アーティストとなりました。
彼女の愛称はピンキーですが、それはこのグループ名に由来します。その後1972年にソロになるまではこのグループて活動し、脱退後は歌手だけでなく映画やミュージカルでも活動しています。
現在はホリプロ系列のパオという事務所に所属しています。
今陽子の経歴
デビュー後は役者としても活躍しています。もともとミュージカルに興味のあった今陽子さんは、ピンキーとキラーズ解散後、主に舞台で活躍されていました。彼女の経歴をこちらで振り返ります。
ピンキーとキラーズで「恋の季節」が大ヒット
この曲は17週連続第1位を記録、250万枚を売り上げました。この17週の連続1位の記録はまだ打ち破られていません。2枚目のレコードの「涙の季節」もミリオンヒットとなりました。
今陽子さんは、10代で2枚ものミリオンヒットを経験したことになります。
10代で人気を極め、大人気だったアイドルに岡田奈々さんがいらっしゃいます。彼女の現在についても記事をご用意していますのでご覧ください。
初めてのミュージカル舞台は「死神」
ソロ転向後はすぐにミュージカルの出演依頼がきました。はじめての舞台は「死神」で主演を務めました。
なかなかソロになってからはヒット曲に恵まれませんでしたが、このミュージカルは2年で100ヵ所のロングラン公演となりました。
今でも「死神」は役者さんや演出をリニューアルして上演される人気舞台です。今陽子さんは、この舞台をきっかけに2015年頃まで定期的に舞台に出演しています。
ニューヨークに留学し、本場でミュージカルを学ぶ
28歳の時にはニューヨークに留学し、本場でミュージカルを学びました。翌年に帰国するまで、語学やダンス、歌の鍛錬をされました。
彼女の実力は留学中めきめきと伸びました。上演されることはありませんでしたが「SAYONARA」というブロードウェイミュージカルの主役オーディションに合格したほどです。
映画「蕾の眺め」では大胆な濡れ場に挑戦
この映画は、小説新潮で発表された早坂暁の同名小説が原作の日活ポルノの作品です。共演の佐藤浩市さんと今陽子さんの濡れ場や、彼女の全裸が話題となりました。
この作品はビデオになり、のちにはDVDとしても販売されるほどの話題作ともなりました。現在DVDなどの在庫はほぼありませんが、動画配信はAmazonで配信されています。
今陽子は結婚してる?恋多きしてる?恋多き女性の現在は?
浮き沈みはあったものの才能と努力で、現在でも今陽子さんには年に何度か100人程度のライブハウスでコンサートを開催するといった歌手活動を継続しています。
それを支え、応援している人々も大勢いて、仕事は充実しています。
それでは彼女のプライベートはいかがなのでしょうか?結婚などについても情報をこちらでご紹介します。