天海祐希とは?
幾ら多数のドラマ等への出演があると言っても、まず本人に関してご存じ無い方も居て可笑しくありません。ですから、プロフィールや今までの経歴等を簡単に紹介する事から始めましょう。
天海祐希のプロフィール
- 本名:中野裕里
- 誕生日:1967年8月8日
- 出身地;東京
- 身長:171㎝
- 活動期間:1987年~
中学校では演劇部に入部しており、そこで宝塚を応援していた担任の先生に押されて、入る事を希望されます。1995年に退団され、それからテレビ番組等へも多数出られています。
天海祐希の経歴
団に関してですが、何と天海祐希は最も優秀な成績で出ているんです。入学自体凄い倍率があるのに、入学し大変優秀な成績で出て、団への入団後は初年度に主演を勝ち取っています。
その後もトップスターとなってたった2年後に団を引退すると、様々な芸能事務所から入所の依頼が殺到した様です。無事事務所に入り、現在の様にドラマ等への出演をし始めました。
天海祐希の宝塚時代の伝説とは
経歴を簡単に見ただけでも、御本人の優秀さが垣間見える事でしょう。では、最優秀の成績での団入りという偉業を達成された天海祐希の現在は引退済みの団に居た頃の伝説と語り継がれる事柄とは何でしょう。
宝塚音楽学校に主席で入学!
実は学校への入学の時点から抜きんでた才能を発揮し、入学の際も最も優秀な成績で入学しました。只入学するのみでも厳しい中、優秀さを遺憾なく発揮して学校に入学したんです。
入団一年目で主役に!
そして前述した通り、レッスンや礼儀作法等に凄く厳しい学校生活を過ごし、2年後にトップの成績で卒業、天海祐希は無事宝塚歌劇団に所属する「タカラジェンヌ」と呼称される一員となりました。
トップスターになるも2年で引退
団に正式な加入の決定後の躍進も伝説的であり、団に入ってから入れる組の中の1つ、月組の中でも頭を飾り、しかもそれが正式な加入後ほんの僅かな時間で達成した等、優秀ぶりが見て取れます。
その早さは、初めて舞台に上がってから6年後、今までと比較しても驚くべき早さです。ところが、頭を飾るようになってから彼女は僅か数年で退団する事を決められました。
ルールや慣習も変えてしまう
単に組の頭を飾っただけでも十分以上に凄い事ですが、伝説と言われるのはそれだけに留まりません。例えば最後の公演では大きな羽を背負うのが恒例なのが、天海祐希はそれを拒否し小さい羽根を使われました。
その他、天海祐希は他のメンバーにもヘアピンを付ける事を禁止するルールも設定する等、今までの慣習に当て嵌まらない伝説を持っているんです。
ファンに厳しい一面も?
加えて、舞台を見に来るファンに対しても天海祐希はルールを設定しており、稽古が長時間化した際にも集中できる様、午前22時以降のファンの出待ちを禁じたのです。ファンの女性が夜遅くに歩くのも心配されたんでしょう。
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天海祐希はなぜ宝塚に入ったの?
宝塚と言えば舞台に出るのは全員が女性の為、男役も女性が男装して男役を務める事になります。実は天海祐希は、宝塚に入ったら男役を演じる事を目指していたのです。
男役を目指したきっかけ
何故宝塚の男役を天海祐希が目指したのかをバラエティートーク番組で語っており、男役を目指す切っ掛けとなった一つの作品がありそれが「ウエスト・サイド物語」のトニー役です。
この役では「マリア」という歌を歌唱するんですが、この歌を男役で歌えたらどれ程素敵だろうと思ったようです。つまり、天海祐希の男役を目指したきっかけは、ウエスト・サイド物語のマリアだったんです。
天海祐希は宝塚があまり好きではなかった?
前述した通り入学は勿論の事、異例とも言える早さでトップの座に輝いています。ならそれ程天海祐希は宝塚に対して愛着を持っていた様に見えますが、実はそれ程では無かった可能性もあるんです。
宝塚は女優になるための踏み台?
実は天海祐希はどちらかと言えば、女優としての脚光を浴びる方が目的でした。そこに向こう側からスカウトが来て入学しただけで、それ自体は女優としての自分を磨く為の踏み台的場だった様です。
天海祐希は団では恒例ともされた前述のファンの出待ち、入り待ち等を規制するのに留まらず、寄せられた手紙への返信も行いませんでした。その理由は、不公平を嫌う為です。
宝塚の記念式典を欠席?その理由は?
2019年から5年前になる2014年には、宝塚の100周年式典が開催されたんですが、そこに天海祐希の姿は無く、欠席したのです。ですがこれは、ちゃんとした理由を持っての事です。