青田強は、保護者にとって厳しいだけではなく、まっとうな道へと導く存在にもなっていたのです。ちなみに彼は亡くなってからも日生学園にとっては大きな存在だったので、学校のグラウンドに彼の銅像が作られています。
日星学園の教育方針は「一流の人間を育てる」
そして、青田強はある理念のもとで動くことになります。もちろん学校なので教育方針ですが、それは「一流の人間に育てる」というものです。青田強のスパルタは、その教育方針を守るためのものだったのです。教育方針に込められたものは厳しさだけではありませんが、在学中の生徒本人には厳しさ以外の面は目に入らなかったでしょう。
そのため、当然教師の苦労などに目が行くはずもないのです。しかし、これは至極当たり前のことであり、誰も責めることはできません。
日生学園は厳しすぎる教育で問題になった
そんな刑務所を彷彿させる学校がいつまでも何事もなく存続するわけはありませんでした。あまりに厳しい教育方針は、たちまち世間で問題になります。校内では怯えて何かを訴える生徒はいませんでしたが、それはあくまで表面上の話。彼らの胸中には思うところはもちろんありましたが、体罰を恐れて、気持ちを吐き出すことができなかっただけなのです。
異様な厳しさは、校内以外の人間にはあまりに驚愕の光景で、周囲の人も黙って見過ごす訳にはいかなくなりました。一体どのような内容で日生学園の教育が問題視されたのでしょうか?
日生学園の日本一のスパルタ指導内容とは?
日生学園のスパルタとは、一体どれほどのものだったのでしょう?
いくらスパルタといってもさすがに限度がありますが、事件や問題になるほどです。現代を生きている我々には想像もできないものとなっているでしょう。
ここからは、日生学園のスパルタ指導をまとめたので、引き続きご覧ください。
日生学園のスパルタ内容①刑務所とよばれた寮生活スケジュール
刑務所と呼ばれるほどの日生学園で実施されていた、スケジュールを見ていきます。まず水曜日と日曜日以外の週5日間は、早朝4時に起きるところから始まります。起床後の点呼から一日が始まります。そして放課後には、6キロにも及ぶマラソンが待っているのです。授業があるのはもちろんのこと、全体で行動するときには私語は厳禁とされています。
そして、着替えなどの時間が与えられるのですが、分刻みできっちりと管理されているのです。
さらに、お菓子やテレビ、雑誌などの報道関連の娯楽さえも与えられることはありません。いじめが唯一の娯楽との噂もあり、ここまで見ると刑務所と揶揄されるのも納得です。
日生学園のスパルタ内容②返事などは声が枯れる程の大声で
点呼や授業中、マラソンや校歌などいかなる時も返事をするシーンでは、とにかく大声で返事をしないといけないということです。返事に対する教諭からの審査は、24時間常に監視のもと行われていました。そのため、生徒たちはわずか3日間で喉がやられ、声が枯れていたといわれています。
声の小さかった生徒には、大きな声が出るまで返事を強要されます。それでもできない生徒に対しては体罰が当たり前でした。体罰は殴る蹴るの世界で、生易しいものではありません。
日生学園のスパルタ内容③40度の熱が出ても病院には行かせない
続いては、病欠に関するスパルタです。現代では、生徒が体調不良を訴えれば早退させるのが一般常識です。もし体調不良の生徒を居残らせたら、現代なら親が黙ってはいません。しかし、日生学園では体調不良の生徒にも帰宅を許しませんでした。なんと熱が40度だろうが、生徒が体調不良で病院に行くのはまずありえないのです。それどころか、休ませることはなく、いつも通りの生活や授業はもちろん、スケジュール通りに動かなければならないのです。
一応、治療方法として薬による投薬は施されるのですが、逆に言えばそれだけなのです。それも市販薬による投薬で、まともな診断は行っていません。
日生学園のスパルタ内容④修学旅行などの娯楽行事もなし
学生生活の最大の楽しみといえば、修学旅行ですよね。どんなに勉強が嫌いな生徒でも、修学旅行はみんな楽しみにしているものです。
しかし、日生学園には修学旅行が存在しません。それだけではなく、文化祭や体育祭などの娯楽行事すらも存在しないのです。日生学園は、生徒たちの心の解放を一切許さない、閉鎖的な空間でした。
日生学園のスパルタ内容⑤男女交際も一切禁止
先述の通り、日生学園では、男女の接触が一切禁止とされています。こちらに関しても、24時間常に教諭によって監視されているため、接触できるはずもないのです。
共学のため、女子寮もありました。意外にも男子寮から一本の廊下で各寮が繋がっていて、たった数分で行き来することができます。しかし、廊下には教師が見張りとして立っているため、男女が寮を行き来することは、まずできません。交際が発覚すれば、退学は当然という恐ろしい規則が存在したのです。
日生学園のスパルタ内容⑥変わっている、理不尽な校風が多い
日生学園では、校則を破った生徒に対して、厳しい体罰が与えられます。現代の我々からすると、日生学園の校則は意味が分からないものばかりですが、当時の日生学園の教師や生徒にとって、校則は絶対的なものだったのです。日生学園では、具体的に以下のような校則が存在しました。
- 10曲以上ある校歌を3日間で覚えなければいけない
- 男子には五厘刈りが強要される
- 傘など雨具の使用は禁止
また、先述の通り、日生学園にはトイレを素手で掃除するという校則もありました。理不尽極まりない校則ですが、当時の日生学園の生徒たちはこれを従順に守っていたのです。