収容所での逃亡者や反対勢力の収容者は、銃殺刑によって殺害されていました。第一収容所の10号棟と11号棟の間には、「死の壁」と呼ばれる高さ2メートル、幅4メートル程の壁が設置されています。その壁の前で大勢の収容者が殺害されました。
銃殺刑では、その銃声の音だけで、他の収容者への緊張や恐怖を植え付ける効果もあったとされています。
②斬首刑
銃殺刑と並び、斬首刑も執行されていて、直接収容者への具体的な死を目の当たりにさせることで、心理的な抑圧を図ることに成功していました。
③懲罰での死亡
その他にも懲罰として「鞭打ち」、「後ろ手に縛り体をつるす」、狭い部屋に4人を立たせたまま押し込む「立ち牢」、一切食事や水分を与えない「飢餓牢」などがあり、いずれの懲罰も過酷な環境下にいる収容者にとっては死を意味するものであり、他の収容者にとっては心理的抑圧となりました。この懲罰により、収容者からの反乱の士気をあげられないようにしていました。
Contents
強制収容の実態とは?
強制収容所はなぜ作られるようになり、大量虐殺に至るような悲劇を生み出してしまったのか?強制収容の実態について見ていきましょう。
最初に収容されたのは犯罪者達
戦時中ドイツは、ヨーロッパ全土を掌握したため、収容するべき人数が急増し、強制収容所の数もそれに伴い増えていきました。アウシュヴィッツ収容所が建設された当初は、反独的な外国人やドイツ国内での犯罪者、政治犯、経済犯などの人々が収容されていきました。
ヒトラーの命令によりユダヤ人が続々と収容
それまでは、あまりユダヤ人という人種に関わらず犯罪者を収容していたナチスですが、1941年にヒトラーがユダヤ人を絶滅させることを決意します。その結果、ユダヤ人の肉体的抹殺を命令しました。それから絶滅収容所建設が開始し、続々とヨーロッパ中のユダヤ人が収容され、ガス室で殺害されました。
拒否権はなかったのか?
1935年、ナチスは新しい法律であるニュルンベルク法を発表し、事実上ユダヤ人を二流市民として市民権を剥奪しました。これにより、ユダヤ人は政治的な権利のほとんどを失ってしまったのです。
強制収容された人々の特徴とは?
強制収容所へ送られた人々は、ユダヤ人の他にも政治犯や心身障害者、同性愛者や聖職者が収容されていていました。当時ナチスのアーリア人至上主義の考えをもとに強制収容されています。
なぜ彼らが収容されてしまったのか?見ていきましょう。
ユダヤ人
中世以来、反ユダヤ主義は宗教問題としてヨーロッパ中で色濃く残っていました。ユダヤ人はイエス・キリストを救世主と認めず、キリスト教を冒涜する存在として虐げられ、様々な制限をかけられました。ヨーロッパ中にキリスト教が広まっていく中、ナチス党首であるアドルフ・ヒトラーがドイツ国民をまとめるため、共通の敵としてユダヤ人という存在を利用しました。
また、ヒトラーは「優生学」に関心をもっており、「優性民族」であるアーリア人こそがヨーロッパを統一するべきという考えのもと、「劣等民族」であるユダヤ人を迫害、追放することを推し進めたのです。ヨーロッパ中のユダヤ人は600万人の被害があったと言われています。
身体及び精神障害のある人
アドルフ・ヒトラーにとって、心身障害者は社会にとって無用な存在であり、純粋なアーリア人の血を脅かす存在として生きる価値なしとみなされました。知的障害、身体障害、精神障害者はガス室での殺害や「安楽死」プログラムという名目で殺害の標的にされました。これにより、1940年から1945年まで約20万人の障害者が殺害されています。
同性愛者や宗教家など
ナチスは「男性同性愛者はドイツ国家のために戦えず、子供も産めない存在」として、迫害の対象として位置づけていました。1937年から1939年にかけて同性愛者に対する迫害はさらに勢いを増していきました。収容所内では同性愛者を示すピンク色の三角形の印がつけられた収容者は、特に虐待があったと言われています。
収容所では、ユダヤ人以外にも、ポーランド人のカトリック聖職者やエホバの証人らも収容され、多くの宗教家も命を落としたとされています。エホバの証人は教えとして、武器を持つ戦いに参加しないことでナチスに忠誠を示さなかったため、強制収容場へ送られました。
残酷な人体実験
強制収容所内では、医学上という名目で様々な人体実験が行われていました。収容者は、実験に関する説明もないまま強制的に参加させられ、多くは死亡するか、後遺症が残りました。
双子への実験
双子への人体実験は、人体を人為的に操作することが可能かどうかや双子遺伝子の類似性・相違性を観察することを目的とされていました。異なる薬品を双子の目に注入され、色が変わるかの実験や双子を縫い合わせた結合双生児を作る実験がなされていました。
低温実験
ドイツ軍は、低体温症の予防と治療方法を発見する目的として、低温実験を行っていました。被験者は、氷水の中で最大5時間耐えることを強いられたり、-6℃程の屋外で裸で何時間も置き去りにされていました。
これらの実験により約100名は死亡しています。
強制収容された人々は延べ130万人に上る
ヨーロッパ中からアウシュヴィッツに強制収容された人数は、延べ130万人ともいわれています。内訳はユダヤ人が約110万人、ポーランド人が約15万人、ジプシーが2万3000人、他にはソ連兵捕虜や他の民族も収容されていました。
殺害された人数は推定110万人
強制収容上で殺害された人数は推定110万人以上とされています。アウシュヴィッツ収容所博物館の調査によると、その内訳はユダヤ人が96万人、ポーランド人7万5000人、ジプシー2万1000人、ソ連兵捕虜1万5000人です。記録のない収容者などを含めると、多く見積もっても約150万人の被害者と言われています。
脱走することができた人もいた
アウシュヴィッツ収容所内は、厳重な警備がしかれ、外には監視塔や電子柵が張り巡らされています。脱出は困難と思われていましたが、900人程が脱走を図り、生き残った脱走者はその中で140名程であったと言われています。
脱出に成功した例としては、ナチス親衛隊の服を身にまとい、車のカギを複製し、堂々と車に乗ってゲートを通過することに成功していました。
脱走が見つかると死刑
しかし、脱走が見つかれば死刑として処刑され、脱走者の10倍の人数を収容所内から無作為に選び、「飢餓刑」に処され、見せしめのために殺害されていきました。
アウシュヴィッツ収容所に関連する作品
アウシュヴィッツ収容所については、生存者を含めて映画や小説、音楽などで多く語り継がれています。この惨劇を知るためには、いくつかの作品を紹介します。
映画『シンドラーのリスト』
『シンドラーのリスト』は、1993年アメリカのスティーブン・スピルバーグによって公開された映画です。第2次大戦中、ドイツの事業家であるオスカー・シンドラーが1100人以上のポーランド系ユダヤ人を自身が経営する軍需工場の労働力として必要であるとし、強制収容所送りを阻止し、命を救った実話がもとになっている作品です。ホロコーストに関する代表的な映画となっています。
文学著書『アンネの日記』
『アンネの日記』は、第二次大戦中のドイツ占領下であるオランダが舞台となっていて、ユダヤ系ドイツ人である少女のアンネが綴っていた日記です。ナチス・ドイツからのホロコーストを避けるため、隠れ家に隠れ続けた8人のユダヤ人について描写されています。
のちにアンネは、最終的に秘密警察に捕まり、強制収容所内で死亡しています。
アウシュヴィッツ収容所の実態まとめ
アウシュヴィッツ収容所の惨劇は、歴史上最悪ともいえる悲劇でした。この歴史は、世界から一生消えることはありません。現代の平和な時代に生きている我々にとって想像しがたいことですが、この惨劇を通して、改めて平和について考える必要があるでしょう。