アウシュヴィッツ強制収容所とは?
アウシュヴィッツ収容所とは、第2次世界大戦中のナチス・ドイツが推し進めた人種の絶滅政策・ホロコーストを実行するために作られた強制収容所です。当初は、ナチスに反するポーランド人を虐殺するのが目的でしたが、後にヨーロッパ中のユダヤ人を撲滅する殺戮施設となっていきました。
実際に存在した強制収容所
強制収容所は、ドイツ占領地のポーランド南部のオシフィエンチムという小さな街に建設されました。オシフィエンチムは、ヨーロッパの中心にあり、交通の便が良く、広大な土地もあったことから選ばれたようです。
現代では、「負の世界遺産」として世界遺産に登録されていて、ポーランド政府によって国立博物館として保存されています。
世界最大級の犠牲者数
強制収容所での犠牲者数については、様々な意見がなされています。1945年にソ連軍によって解放された時の報告では、400万人の犠牲者として報告されていました。しかし、後の調査では、実際には110万人の犠牲者(多く見積もって150万人)であったことが判明しました。
収容所は全部で3か所存在していた
強制収容所は、1つの施設ではなく、3カ所存在していました。第一収容所は、施設全体を管理する基幹収容所としての役割がありました。入口に「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)」の文字が掲げらていることで有名です。
第二収容所は、収容人数増を補うための施設として、第一収容所の隣接する村に建設されました。総面積は第一収容場よりかなり広く、東京ドーム約37個分にもなります。アウシュヴィッツ収容所でよく目にする鉄道の引き込み線があるのもこの第2収容所です。
第三収容所は、当時ドイツを代表するイーゲーファルベン社などの大企業の製造工場や炭鉱に付随するように造られ、主にブナの製造作業のための労働力として収容されていました。
収容所には女性や子供も存在した
ナチスは男女・年齢問わず殺害の対象とし、収容所内には女性や子供もいました。女性や子供は、労働力としての価値がないと判断され、ガス室に送る最初の対象者として選ばれていたのです。
収容されると行われる「選別」
収容所では、思想や人種、性別、健康状態の情報によって、「選別」されていました。選別とは、収容者を労働者・人体実験の被験者・労働力としての価値がない者の3種類に人間を選別することです。価値なしに選別された収容者は、即刻ガス室で殺処分されます。その多くは子供や女性、老人でした。
収容所内での女性の暮らし
強制収容所に送り込まれた女性たちは、親衛隊に見つからないようグループを作り、情報や食料、衣服を共有することで、何とか生き残ろうとしました。グループに属さない女性たちは、ナチス親衛隊から衣服の補修や料理、掃除などの仕事をもらい、生き残っていきました。
収容所で女性は不利だった
収容所内の女性の立場は低く、暴力や強姦の対象とされ、しばしばドイツ人との性交渉によって妊娠をさせられました。多くの子供は中絶させられたり、出産後すぐに劣悪な環境に追いやられ、死亡していきました。
アウシュヴィッツの住環境
強制収容場での生活は言うまでもなく、過酷なものが強いられました。自由はなく、不衛生な環境下で食事もまともに取れず、病気も蔓延する劣悪な住環境です。その特徴について3つ紹介します。
夏は暑く、冬は寒い
強制所が建築された地域の気温は、夏は暑く、最高で37℃にもおよびます。冬は、最低でマイナス20℃を下回る過酷な環境でした。暖房設備はありましたが、燃料である薪は供給されず、かけ布団は穴だらけの薄手の麻布で十分な暖を取ることもできませんでした。
衛生環境が悪く、感染症が多い
強制収容所内は衛生環境も悪く、病気による死者は、相当な人数にのぼると言われています。特にトイレは排水も上手くできず、ただ丸い穴があいているだけの不衛生なものを利用しなければならず、チフスなどの伝染病が蔓延しました。
医療環境も整っていない
収容者の中には、医師や看護師がいました。しかし、医療環境も整っておらず、満足な治療も施せませんでした。不衛生な生活により病気にかかり、回復の見込みがないと判断された収容者は、容赦なく殺処分されたとされています。
アウシュヴィッツでの労働は4つに分類される!
収容所された収容者たちは、過酷な労働を強いられる日々を過ごしました。その労働は主に4つに分類され、収容者はそれぞれの労働を振り分けられて強制されていました。その4つの労働について見ていきます。
①懲罰部隊
1つ目の労働は、肉体や体力の消耗を目的とした労働です。一例として、石切りの作業や道路の舗装作業などの体力仕事を課せられる労働です。午前中に穴を掘り、午後にはその穴を埋めるという全く意味をなさない作業を強いられる場合もありました。懲罰部隊の収容者の多くは、短期間のうちにその過酷さから死亡したと言われています。
②兵器の生産・施設の管理
2つ目は、戦争に必要な兵器や資材の生産、収容所施設の管理などを目的とした労働です。この労働には、何らかの技能や知識(電気工事士、建築士など)を持った収容者が振り分けられました。懲罰部隊と比較すると、労働の程度の差はありますが、劣悪な食糧や衛生環境による伝染病が蔓延している過酷な環境であることは変わりはありませんでした。
③死亡した収容者の処分
3つ目の労働は、収容所内で死亡した収容者の死体を処分することを目的とした労働です。ガス室での殺処分や栄養失調、病気で死亡した多数の死体を焼却炉へ運び処分する労働が該当します。他の労働者より待遇はいいとされていましたが、実際には、数か月後には口封じとして彼らも殺害されました。
④他の収容者の監視
4つ目の労働は、他の収容者を監視する「カポ(労働監視員)」と呼ばれる労働です。主には第一収容所のドイツ人犯罪者から振り分けられることが多く、収容者の中でも階級の頂点に立つ立場でありました。
大量殺害が行われた恐ろしいガス室
強制収容所では、日々搬送される収容者を効率的に殺害するため、ガス室を研究し、実際に大量殺害に使用されています。それでは、恐ろしい殺害施設であるガス室について以下で見ていきましょう。
ガス室は7か所存在した
ガス室は、第一収容所に1つと第二収容所に6つの合計7か所に造られました。最初のガス室は、1941年頃に第一収容所に造られ、約800人のソ連兵捕虜やポーランド人が実験的に殺害されました。
現在は、収容者の反乱による破壊や証拠隠滅のためにドイツ軍により破壊されていて、原型はとどめていません。しかし、負の遺産として復元され一般公開されています。
ガス室の広さとは
ガス室の広さは、各施設によって異なります。第一収容所のガス室の広さは、約7m×30mで、現在復元されています。このガス室に一度に約2000人押し込められ、天井からガスを噴射し、およそ20分で絶命させていたそうです。
使用したガスはチクロンB
使用していたガスは、チクロンBというノミやシラミの駆除で使用された殺虫剤です。チクロンBは、空気に触れると致死性ガスに変わるという性質を持っていて、最も即効性があると認められています。このチクロンBは、ガス室での大量殺害に採用されました。
ガス室以外の殺害方法
ガス施設での大量殺害以外にも、収容者は様々な方法で殺害されています。どれも収容者達への見せしめの意味合いを持ち、精神的な抑圧を目的としていました。