アウシュビッツ収容所には子供や女性もいた!ガス室や強制収容の実態を詳しく解説!

アウシュビッツ収容所の実態

アウシュヴィッツには、なんと女性や子供も収容されていました。収容所では、女性はどのように生活していたのでしょうか?この記事では、大量殺害が行われたガス室や強制収容の実態を紹介します。また、アウシュビッツでの生活やガス室や強制収容の実態もあわせて解説します!

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アウシュヴィッツ強制収容所とは?

アウシュヴィッツ収容所とは、第2次世界大戦中のナチス・ドイツが推し進めた人種の絶滅政策・ホロコーストを実行するために作られた強制収容所です。当初は、ナチスに反するポーランド人を虐殺するのが目的でしたが、後にヨーロッパ中のユダヤ人を撲滅する殺戮施設となっていきました。

実際に存在した強制収容所

強制収容所は、ドイツ占領地のポーランド南部のオシフィエンチムという小さな街に建設されました。オシフィエンチムは、ヨーロッパの中心にあり、交通の便が良く、広大な土地もあったことから選ばれたようです。

現代では、「負の世界遺産」として世界遺産に登録されていて、ポーランド政府によって国立博物館として保存されています。

世界最大級の犠牲者数

強制収容所での犠牲者数については、様々な意見がなされています。1945年にソ連軍によって解放された時の報告では、400万人の犠牲者として報告されていました。しかし、後の調査では、実際には110万人の犠牲者多く見積もって150万人)であったことが判明しました。

収容所は全部で3か所存在していた  

強制収容所は、1つの施設ではなく、3カ所存在していました。第一収容所は、施設全体を管理する基幹収容所としての役割がありました。入口に「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)」の文字が掲げらていることで有名です。

第二収容所は、収容人数増を補うための施設として、第一収容所の隣接する村に建設されました。総面積は第一収容場よりかなり広く、東京ドーム約37個分にもなります。アウシュヴィッツ収容所でよく目にする鉄道の引き込み線があるのもこの第2収容所です。

第三収容所は、当時ドイツを代表するイーゲーファルベン社などの大企業の製造工場や炭鉱に付随するように造られ、主にブナの製造作業のための労働力として収容されていました。

収容所には女性や子供も存在した

ナチスは男女・年齢問わず殺害の対象とし、収容所内には女性や子供もいました。女性や子供は、労働力としての価値がないと判断され、ガス室に送る最初の対象者として選ばれていたのです。

収容されると行われる「選別」  

収容所では、思想や人種、性別、健康状態の情報によって、「選別」されていました。選別とは、収容者を労働者・人体実験の被験者・労働力としての価値がない者の3種類に人間を選別することです。価値なしに選別された収容者は、即刻ガス室で殺処分されます。その多くは子供や女性、老人でした。

収容所内での女性の暮らし

強制収容所に送り込まれた女性たちは、親衛隊に見つからないようグループを作り、情報や食料、衣服を共有することで、何とか生き残ろうとしました。グループに属さない女性たちは、ナチス親衛隊から衣服の補修や料理、掃除などの仕事をもらい、生き残っていきました。

収容所で女性は不利だった

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