「まぐわい」ってどんな意味?昔から使われるまぐわいの意味や由来とは

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日常会話の中にも、英語を語源とする外来語が多く取り入れられました。言葉の置き換えが進んだ結果、日本古来の表現を宿した言葉遣いをする機会が減り、記憶から遠くなりつつあることも事実です。

最近では横文字が多くみられる

外来語の多くはカタカナで表記され、アルファベットに倣って横文字で表現されます。少し難しい漢字の読み方を憶えてからでなければ、意味が伝わりにくい言葉を使って相手の誤解を招くよりも、便利に思えてしまう機会が増えています。

通信機器が普及した結果

電報と異なり、メールは文字数を気にすることなく、便利に使うことができます。そして、今ではSNSで、短い言葉のやり取りを繰り返すことが可能になり、文字で表すよりも、写真や動画で相手に伝えることもできる時代になりました。

でも、だからこそ、かつての恋文が相手に対して、自らの品格と知性を知ってもらうことのできる方法であったように、丁寧な言葉で記した文字と言葉に、もう一度、価値を見出す時代が近づいていると言えるのかもしれません。

現在使われなくなった言葉は多い

例えば、昔ながらの言葉で厠(かわや)といえば、便所(べんじょ)を指し、今風にはエチケットルームや、トイレを意味します。しかし、実際に言葉で表される建物を目にすると、厠(かわや)と便所(べんじょ)は全くの別物だと気付かされます。厠(かわや)は水洗の便所(べんじょ)であることを示す特別な便所(べんじょ)を示す言葉なのです。

そのため、公家は厠(かわや)で用を足し、農民は便所(べんじょ)で肥やしを作るという言葉使いとなります。現代を生きる私たちからすると、大差ないように感じてしまいそうな言葉の違いですが、意味があるからこそ、使い分けられてきた日本語の奥深さを感じる話です。

時代の移り変わりで言葉の置き換えが起こる

西欧からの文化をもてはやす風潮がにわかに活気づくと、それまで白粉として販売されていた製品までが、ファンデーションと名前を変えて店頭に並べられたという記述を見つけることができます。中身はまったく同一であったそうなのですが、妙齢のご婦人方にはファンデーションの売れ行きの方が良かったそうです。

まぐわいの類義語

男女の視線が絡み合ったところから生まれる情愛を示すまぐわいの奥深さに対して、どうしても最後に男女間の行為に及ぶところから、意味合いがよく似ている言葉として類義語に数えられてしまう、いくつかの言葉との違いをまとめてみました。

性交

これはもう直線的な言葉で、それ以外に言い表しようのない部分を素直に表現しています。まぐわいとの違いは、まるで、最後の瞬間だけを切り取ったかのように、そこに至るまでの過程やお互いの心情について、一切、表現されない点をあげることができます。

性愛

こちらは性交渉のみならず、その欲望的な性欲や、愛着を示す際にも使われる言葉です。性交よりも広い意味を持つ反面、この言葉だけでは何を伝えようとしているのか不明瞭となってしまいがち。そのため、具体的な姿や形というよりも、芸術的な分野で多様される機会の多い言葉です。

情事

性交渉に至るまでの過程を含みながらも、そこに純愛とは異なる遊び心にも似た感情を匂わせる際に使われる独自の言葉です。そのため、相思相愛の間柄にある男女の関係を表す言葉としては不適切な言葉として扱われます。その点が、まぐわいと大きく異なります。

まぐわいに至る気持ちが大事

似て非なる言葉が数多く存在するまぐわいですが、古事記の中でも記されている通り、その本質は男女の存在を互いに認めあい、そして、相手を慈しむ心(内面の欠損を補う意味があると解する)が大事と捉えることができます。

そもそも、どうして人間は一人では子孫を残すことができないのかについて、神の視点から模索されたのが古事記における美斗能麻具波比(みとのまぐわい)の一説であれば、好きという感情では足らない気持ちを表現した言葉が、まぐわいなのだと考えることができます。

昔の時代の恋愛事情

まぐわいという言葉には、特別な意味があると考えていた当時の恋愛事情について触れておきたいと思います。昔の時代ならではのしきたりや、結婚観に加えて、本音と建前が入り混じる耽美な世界を記述をもとにご紹介します。

飛鳥時代には歌垣という文化があった

今から1,400年ほど昔にさかのぼる飛鳥時代(飛鳥を都としていた時期)には、歌垣という文化がありました。恋愛というよりも、宗教色をまとった儀式のようなもので、その点ではまぐわいに似ていると言えなくもないのですが、場に集まった男女が豊作を祝い、飲み食いを交わし、意中の相手と行為に及ぶという無礼講のお祭りのような慣習です。

歌垣はアジア圏では広い範囲で伝承されている

実際、この歌垣は公家、民間を問わず、神事の一つという理解に皆の納得を求めつつ、各地で慣習として受け継がれてきたようです。広くアジア圏の国々にも同様の風習があり、参加年齢に制限があったとする地域もありますが、当時は戸籍がはっきりしているわけではないので、おおらかな親睦の和に許された土着信仰とも言えます。

実際には、どこまでの行為が許されたのかは定かではありませんが、日本の例を紐解けば、歌垣の名前の通りに、自慢の歌を読んで異性の気を惹くことで、初めて親密な仲へと繋がりを持つことができたため、歌垣と呼ばれていたとする説が伝えられています。

平安時代は家柄が重視された

時代が進み、1,200年ほど昔の平安時代(平安京を都としていた時期)を迎えると、恋愛の要素に家柄が関わったという記述がつたえられるようになります。これは公家の結婚観にも繋がっており、出世と立身が身分に直結していたことを伺わせます。

しかし、それとは別に、夜這いと言われる男性が女性の寝所に夜に這い入る行為も、この頃から記述に見つけることができます。暗がりの月夜の下に男の影と言うと、無粋に思えるかもしれませんが、遠方の旅人を泊めた際に、家主の娘が種を授かるのを名誉とする考え方もあったようで、若い男の数が少ない時代の姿が見え隠れします。

結婚するまで相手の顔がわからない

本当に、結婚するまで相手の顔がわからなかったのかというと疑問に思えるところですが、今のように写真が普及する前の時代では、人相書きや、物見小僧の話で相手の顔を見知ったという記述が日本国内のみならず、ヨーロッパの文献でも見つけることができます。

また、当然のことながら、そのような意識的な情報収拾とも取れる方法を選べるのは、資金に余力のある身分の者たちであって、多くの庶民は外観よりも心情を褒め称える姿勢が根強く、日本の子女の褒め言葉の一つに、器量好し(器の量が大きくて良い)と言われるのは、外見よりも内面が重視されてきたことに起因する証なのだとか。

鎌倉時代は和歌で気持ちを伝えた

時代も進み、今から800年ほど昔の鎌倉時代(公家の政治から距離を置いた鎌倉に幕府が開かれた時期)を迎えると、武家社会と公家社会の垣根が少しづつ、距離感を詰めるようになり、複雑化しつつある身分制度の荒波の中で、知性と品格(=本人の才覚)が試される時代へと移り変わろうとしている風潮が生まれ始めます。

家柄だけでは出世できない壁ができる

どちらの公家の出であっても、分家の数が山のように裾野を広げると、次に問われるのは、本人の才覚というわけで、時代の荒波を生き残れるだけの知性と品格が、結婚観にも反映されるようになり始めます。

実際、日本は歴史の上では、この200年の後には戦国時代へと舵をとることになります。見目麗しい女子と言われる慶びもさることながら、まずは生き残ることを考えた一夫多妻の現実が見え隠れします。

歴史に見る貞操観念と恋愛の話

実は、世界における貞操観念は、かなりまちまちです。それには生活環境や教育水準、信仰する宗教観念、集団の立場や権力構造が大きく関わっています。現在の日本とは明らかに異なる貞操観念について紹介します。

性交渉をタブー視させたのは誰なのか

性交渉は大っぴらに行うものではないと考え始めたのは誰なのかと言うと、そんな人物を特定するのは極めて困難なため、どのような地域から性交渉をタブー視するようになったのかを考えてみたいと思います。まずは、諸説ある中からもっとも影響力があったと考えられるのが、キリスト教の存在です。

キリスト教における処女性は、信仰の対象となっています。処女生殖によって懐胎したという件から、神の子と呼ばれるに至り、預言者の祝福を受けたことが聖書に記されていることから、後に大航海時代を迎えての植民地競争で、性交渉が大っぴらに行われていた南半球の国々を支配する際の理由の一つになったと考えられています。

ヨーロッパ社会における貞操観念

個人の自由が謳われるようになるまで、ヨーロッパの一部地域では、身分制度に基づく初夜権が定められている地域が点在していました。初夜権とは、新郎に先立って新婦と関係を持つ権利のことです。この行為は宗教色が強く関係しています。

領民は貴族の所有物であるとの考え方から遊び半分であったとする説や、新郎を魔女から守るために司祭が先に一夜を過ごすべきとする考え方や、宗教の立場を尊重し非処女であることを隠す意味があったとまで言われており、処女と魔女という、ヨーロッパの歴史上もっとも陰惨な女性名称が頻繁に登場することになります。

現在も続く割礼の風習

割礼は、男性に対しても、女性に対しても存在しますが、特に処女性を重んじる風潮は、性病に対して有効な手立てがなかった時代からの子孫存続のための最終手段として、命を産むことができる女性に課せられた使命として表現されることがあります。

しかし、そこに宗教色が色濃く関わってしまったことで、本人が望んでいないにも関わらず、外科手術によって性器の一部を切除されることがあります。女性の場合、そのままでは性交渉に及ぶことができないように縫合し、処女性を強制的に担保する手段となってしまっている地域があります。

土着信仰と日本の貞操感

当然ながら日本の貞操感も、昔から変わることなく、一つだったわけではありません。平安時代ともなると、夜這いという言葉が定着していたことが伺われます。実際、すべての女性が夜這いを受け入れていた訳ではありませんが、夜這いから結婚に繋がることも珍しくなかったようで、人妻も応じていたとする記述が残されています。

一夫多妻も珍しくなかった時代の日本では、お祭りの時期ともなると特に盛んに機会が持たれたようで、人妻がまだ経験のない、今でいうところの童貞に手解きをしてでも子を産むことが、その土地の安定と豊穣に繋がるとする考え方は、日本の各地に見つけることができます。

この時、注意したいのが、産むための行為が目的ではなかったという点です。男女の視点の差はありますが、建前としては神聖な儀式として扱われます。つまり、名誉な行いであり、隠す理由が乏しいのです。もっとわかりやすく表現するならば、授かることができなければ、それこそ一大事だったのです。

そのため、女性としては何としてもと願い、男性としても、何が何でも愛する相手を不幸にさせてはならないと、真剣にことに及んだと記述されています。正に、子宝が村の将来とその年の豊作、豊穣や人生のあり方にまで関わっていたことを示しています。

日本の貞操感はいつ頃代わり始めたのか

そんな日本ですが、産めよ増やせよという時代は終わりを迎えます。理由はいくつも考えられますが、大きな要因の一つと考えられるのは、経済の仕組みに変化が及んだことです。これと同時に、日本は女性の社会進出が加速度的に拡がります。

それは恋愛自由の解禁を及ぼし、女性は男性側からの視点を跳ね除ける形で、自分でも意中の男性を探す機会を得られるようになります。しかし、男性社会であった日本は、女性にも男性と同じ責務を求めるヨーロッパ的な構造へと傾きを強めます。結果として、産む機会が減るという現実に立たされることになります。

愛の先にある命

恋愛の末に意中の恋人と望む結婚を果たすことは、いつの時代でも男女の憧れです。戦時中であれば、尚更、今を生きる命をつなぎとめるために、愛を語ることに熱心になったに違いありません。長い歴史の中で、戦争は各地で起こり、多くの人の命を奪い、また、失ってきました。

まぐわいという言葉は、そんな時代を乗り越えて、今日へと受け継がれてきた言葉なのです。案じるより産むが易しとは言いますが、時代ごとに違いこそあれど、妊娠と出産は女性にとって命がけの行為であることに違いはありません。産まれてくる命と、一緒に生きられる時代を守ることができるように、まぐわいたいものです。

現在でのまぐわいの意味

歴史の積み重ねの末にある現在では、残念ながら、まぐわいの意味も少しづつ変化しています。昔のような高潔さや愛おしさへの意識は鳴りを潜め、どちらかと言うと、低俗な言葉遣いのように思われがちです。

セックスを表す言葉となってしまっている

最終的に性交渉に及ぶことを意味することに違いはないため、現在でのまぐわいの意味は、昔とは違いセックスのみを指す言葉としても使われることがあります。しかし、元々は男女間の愛情を含んだ交流を表した言葉であることを忘れないようにしたいものです。

昔と今は意味が少し違う

男女間の出来事の中でも、結婚は不倫以上に大きな意味を持ちます。しかし、この定義すら怪しいとなると、今の価値観とは別の話として考えるべきです。なぜならば、まぐわいは生涯において、その相手としか成し得ない特別な感情からの行為を意味する言葉だったからです。

実際、古事記では、出産を通して命を落としてしまった女神の伊邪那美命(イザナミノミコト)を諦めきれずに、夫である伊邪那岐命(イザナギノミコト)が彼女の蘇生を願う場面が重厚に描かれています。

残念ながら、死んで相応の時間が過ぎて、全身に蛆の湧いた死体となってしまっていた伊邪那美命(イザナミノミコト)の姿を見た伊邪那岐命(イザナギノミコト)が逃げ出してしまったため、蘇生は失敗に終わります。

生涯において、これほどまでに相手を愛したことはなく、また、自分と相手が収まるべき姿として、一つになることを意味するまぐわいとは、元々は男女間の愛情を含んだ交流を表した目配せのようなわずかな所作から生み出された言葉であることを忘れてはならないのです。

まぐわいは古来から伝わる古き良き言葉

言葉の持つ意味は、確かに時代を経ることで少しずつ変化して行きます。それでも、今日まで伝えられてきたと言うことは、本来の意味を隠し持ちながら、新しい価値観を受け入れて、お互いの立場から必要とされる言葉であったからなのでしょう。

どんな理由であれ、古来から伝わる古き良き言葉を失わせてしまうのはもったいない話です。ちょっとした夢まくらの中で、まるで千夜一夜物語のように、愛しい相手の耳元で囁く言葉として、語り継いで行きたいものです。

新しい言葉も日々生まれている

新しい言葉も日々生まれています。それまでの意味に加えて、別の意味を増やした言葉や、それまでとはまるで違う意味を手に入れた言葉もあります。それもまた、私たちの生活の中から作られた言葉。入り混じりながら、次の時代へと伝えられていくのでしょう。