現代にも息づく天文暦学
この「太歳」ですが現代でもその名残があります。といいますのも風水でもこの「太歳」が使われているのです。
風水ではその年の十二支が深く関係していて、「太歳」がある方角つまり木星から鏡像の方角は災いが起きるといわれています。しかし風水では太歳の神様が宿ってる方角であってもじっとしていれば特に問題はありません。例えば寝室やデスクはじっとしていることが多いので問題はないとされています。
しかし、玄関などエネルギーが動く場所については注意が必要です。
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太歳の神格化
先ほど「太歳」は仮想の惑星であることをご紹介しました。この「太歳」は当時どのような存在であったのか、どのように扱われていたのかをご説明します。
太歳星君は畏怖の対象
仮想の惑星である「太歳」この「太歳」が神化されて人々が信仰する対象となるのが、「太歳星君」です。この「太歳星君」は土の中を動く肉の塊と考えられ恐れられていました。住居を建設するときは絶対に犯してはならないと言い伝えられていたそうです。
『三教捜神大全』に見る、誕生の逸話
巷であふれていた神々について書かれた『三教捜神大全』という書物にその誕生について記録されています。中国の古代王朝の殷(いん)の紂王(ちゅうおう)の子で、母親である姜皇后が巨人の足を踏んだことによって孕み、産み落とした肉球から生まれたといわれています。
後に周の武王が殷の紂王を打つ援助をしたことにより、「太歳」は最高神の玉皇大帝によって太歳神の位置に封じられました。
民間信仰としても深く根付いている「太歳」
実は中国の民間信仰でも太歳星君は凶神として根深く残っています。中国のことわざで「太歳頭上動土(太歳の頭上で土を動かす)」という言葉があり、身の程を知らない行為をすることを意味して使われます。
「太歳」が祭られていた場所がある
「太歳」の意味についてご紹介しましたが、もしご興味がありましたら中国の北京に人々が祭っていた「太歳」の場所を実際に目にすることができます。一体どのような所なのか見てみましょう。
「北京古代建築博物館」として公開されている「太歳殿」
人々から恐れられていた「太歳」ですが、現在では祭られていた建物が中国で実際に残っています。それが「太歳殿」です。ここでは昔皇帝が「太歳神」の災いを恐れ、1532年に建てられて旧暦の12月24日と正月に祭祀を行ったとされています。現在では「北京古代建築博物館」として一般公開されていますので、中国に訪れた際は一度行ってみてはいかがでしょうか?
日本での「太歳」
さて、ここまで中国で言い伝えられている「太歳」について触れました。しかし「太歳」は中国だけでなく、日本でも言い伝えられているエビソードがあります。日本では「太歳」はどのようなことを意味していたのかを見てみましょう。