戦争に行った兵隊熊「ヴォイテク伍長」の物語|英雄の熊の魅力と活躍をご紹介

「戦士」という名前をつけられたヴォイテクと呼ばれる二足歩行の熊の物語が映画になり、注目を集めています。実はこのヴォイテクは、第二次世界大戦のとき、人間と戦場で活躍をしていた熊で、ヨーロッパでは非常に愛されています。ヴォイテクについて知ってみませんか。

この記事をかいた人

日本の端っこに住んでいます。自然が大好きで、リフレッシュしたい時は海に行ってぼーっとしたり、山に登ってみたり・・・長いお休みがある時には旅行にでかけます。アウトドア情報が大好物です!さて、次はどこに行こうかな?
Array

熊の赤ん坊が「ヴォイテク」と名付けられるまで

熊に名前をつけて、軍隊と一緒に生活していたって本当?!とこの話を今聞くと、ただの作り話だろうと思ってしまいます。しかし、実際に実在した熊で現在でもポーランドでは英雄として親しまれています。

少年がヒグマの赤ん坊を発見

rmt / Pixabay

イランのハマダーン近辺で現地の少年が見つけたのがのちに語り継がれていく戦時中に部隊と共に過ごしていく子熊でした。一緒にいたはずの母熊は猟師に撃たれてしまい一頭でいた生後3ヶ月ほどの子熊がさまよっていたのです。

ポーランド陸軍によって保護される

Defence-Imagery / Pixabay

その子熊は少年に発見された後、少年に引き連れられ行動を共にし始めます。そして、偶然山中で子熊を連れている少年の姿を見つけたポーランド陸軍が肉の缶詰と引き換えにこの子熊を保護したのです。まだ赤ちゃんの子熊だったので、部隊の中で共に過ごしながら育てる事になりました。

ヴォイテクの名前の由来は?

TeroVesalainen / Pixabay

保護された赤ちゃんグマがポーランド軍より名付けられた「ヴォイテク」の名前の由来とはなんでしょうか?日本では聞き慣れない名前ですが、海外やポーランドでは割とポピュラーな名前の1つだったりします。今では彼の名前を聞けば有名な兵士になったクマだよねと言われるほど有名な名前になりました。

「戦士」を意味する名前

LiteraryTitan / Pixabay

彼が保護された軍隊が所属するポーランドでは一般的な男性につけられる名前の1つ「ヴォイチェフ」の愛称です。キャサリンという名前の人をキャシーという愛称で呼ぶようなイメージになります。そして語源は「戦士」や「武人」から来ており、「戦を楽しむ者」や「微笑む戦士」などという意味を込められた名前です。

ヴォイテクはポーランド陸軍のみんなが大好き

suju / Pixabay

ポーランドの兵士に育てられた子熊のヴォイテクはとても甘えん坊で、育ての親のように接してきた兵士達と共に眠ることが好きだったようです。野営中の夜には部隊の兵士達を守るように付き添ってくれたとも言われています。

兵士たちと衣食住をともにした

Natalia_Kollegova / Pixabay

保護後、兵士達と共に暮らすようになったヴォイテクは周りの人間を真似するように育っていきました。普通の熊とはちがって二足歩行で生活したり、兵士と同じように敬礼をすることもありました。そして、テントの中で人間と共に眠っていたりとまるで人間かのように振る舞うシーンも多く見られたと言われています。

レスリングやボクシングで遊んだりもした

Steppinstars / Pixabay

兵士仲間と一緒に遊ぶことが大好きで、レスリング・ボクシングのように体と体をぶつけ合うような遊びも力を加減しながら楽しんでいました。クマのパワーで本気をだすと人間はかなわないのが本来の姿ですが、実際にはわざと兵士に勝たせるように力を抜いて遊んだこともあったのです。

お酒やたばこを好んだ

annca / Pixabay

人間に育てられた子熊は兵士達のまねをしていたのか、趣向品のアルコール飲料やたばこなども嗜んでいたといわれます。ビールはご褒美として与えられていたようですが、タバコは吸うのではなくそのものを食べて楽しんでいたようです。いつしかそのタバコは彼のご褒美となり与えられるととても喜んだのでした。

「伍長」にヴォイテクが任命

skeeze / Pixabay

戦時中(1944)に所属していた陸軍部隊がイタリアへと配置されます。その際に共に育った子熊を一緒にイタリアへ連れていくには「兵士」として軍へ登録しなければいけませんでした。軍隊は彼と常に一緒にいられるように部隊の一員として正式に「伍長」として兵士登録するという機転を働かせたのでした。

伍長となったヴォイテクの仕事内容

PhotoMIX-Company / Pixabay

伍長として任命された兵士と共に成長してきたクマは、人間では運ぶのが大変だったとても思い追撃砲の弾丸が入っているクレートを運ぶように教えてられました。彼が、熊なりに軍隊に貢献できるようにと考えられてのことでした。

ヴォイテクの働きぶりはとても役立った

skeeze / Pixabay

実際に、人間よりも力持ちの熊がいたことで兵士たちの作業も軽減され助かっていたと言われています。それ以外にも、子熊の頃から育てている彼の存在が人々の唯一の心の癒しであったとも言い伝えられています。

実はヴォイテクは怠け者だった?

raincarnation40 / Pixabay

そんな戦争中でも可愛らしくとても力持ちだったマスコットのような存在だったのですが実は人間味あふれるところも沢山あったと言われています。普通の人間と同じような行動が見える瞬間が彼の愛くるしさを感じさせる時でもあったのです。

追撃砲の入ったクレートを運ぶ際、いつも手を抜いていた

BigiXS / Pixabay

彼の役職は、訓練されていたクレートを運ぶ仕事ですが、時折怠ける姿を見せることがありました。それは重い追撃砲の砲弾が入っているクレートを運ぶべきなのに、空の状態の物ばかりを意図的に運んでいたりしたようです。

1944年のモンテ・カッシーノの戦いで手柄をたてる

Game_of_pics / Pixabay

そんな彼も1944年に起こった今でも歴史上で大きな戦いといわれているモンテ・カッシーノでの戦いでは、部隊からの指示通りにしっかりと仕事をこなしました。50kg近かった重い砲弾のクレートを、一度も落とすことなく前線まで運び軍隊の勝利に貢献したのです。

ヴォイテクの功績がたたえられ、部隊章のデザインが熊に

Free-Photos / Pixabay

以来この「戦争に行ったクマ」の功績・勇気・戦う意思を讃えて、彼が所属していたと記録されている第22弾薬補給中隊の記章が変更されました。弾薬を抱え運んでいるデザインは、戦時中の彼の姿を描いているものなのです。

戦争終結後ヴォイテクはスコットランドの動物園へ

medievalfreak101 / Pixabay

戦争中は部隊と一緒に転々と移動を繰り返していたヴォイテク、終戦後は兵士たちが「ソ連に支配されてしまった母国に戻りたくない」という理由からイギリスへと亡命します。もちろんヴォイテクも一緒でした。

兵士と離れ離れの生活

3dman_eu / Pixabay

やがて長い間共に過ごしてきた所属部隊も解散することになってしまいます。子熊の頃から共に過ごしてきた仲間達はそれぞれバラバラになってしまい祖国へ戻る者もいれば新たな場所を求めていく者もいました。そして彼自身は一匹でスコットランドのエディンバラ動物園に預けられることになったのでした。

元ポーランド兵士が訪れると大喜び

移動した先の動物園でもすぐに人気者になりました。しかし、彼はポーランド語しか理解できず、反応もできない日々を過ごす中で鬱のような状態になることもありました。そんな彼を所属していた部隊の元兵士たちが頻繁に訪れて好物のタバコをあげたり、一緒に取っ組み合いをすると大喜びして遊んでいたのでした。

ヴォイテク人気は死亡後も衰えず

Pezibear / Pixabay

NEXT ヴォイテク人気は死亡後も衰えず