津山三十人殺しの真相に迫る!犯人都井睦雄が起こした日本犯罪史上最も凶悪な事件とは

日本犯罪史上最も凶悪で世間を騒がせた「津山三十人殺し」を時系列を追って紹介しながら犯人「都井睦雄」がどんな人物だったのかに焦点を置き、津山三十人殺し事件は防ぐことができなかったのか、また犯人都井睦雄と問題の女性についても詳しく解説していきます。

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小さな村で起こった悲劇!津山三十人殺しとは

津山三十人殺し(通称・津山事件)とは、1938年(昭和13年)5月21日午前1時頃、岡山県北部に位置している苫田郡西加茂村(現津山市加茂町行重)の集落内で発生した大量殺人事件です。たった一人の青年がわずか1時間30分の間に30人以上を殺傷したという犯罪史上類を見ない前代未聞のこの事件の全容を明らかにしていきます。他の猟奇的殺人に関する記事は下記を参考にしてください。

犯行現場(岡山県)

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現場となったのは岡山県苫田郡西加茂村内の貝尾と坂元部落、現在は津山市に含まれている地域です。のどかな山村で茅葺屋根の家々が山裾に点在していました。当時村人のほとんどが農業に従事して生活しており、雪の降る季節には男性は出稼ぎに出る習わしであったといいます。

犯人都井睦雄

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この事件を引き起こした犯人都井睦雄は大正6年加茂村内で誕生し、幼少期に両親を結核で亡くしたのち祖母に育てられています。小学校卒業後、実業補修学校に入学、1937年に徴兵検査を受けましたが不合格となっています。

被害者総数

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わずか1時間半の間に死亡者は30名、負傷者は3名にのぼりました。現場は凄惨極まりない状況で、犠牲者の身体には大きな穴が開き、内臓が飛び出した見るも無残な状態で発見されています。彼らの死因は銃撃や斬撃による失血死やショック死で、重傷者も病院に搬送されたのち亡くなっています。

津山三十人殺し事件の時系列

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この未曾有の大規模殺人事件は果たしてどのように進んでいったのか。事件の裏側には犯人の緻密な犯行計画が潜んでいました。諸説ありますが、現在判明している被害者と犯人との関係に可能な限り触れ、かつ犯人都井睦雄の動向に注目しながらその経過を辿っていきます。

凶器の入手

都井は犯行用の複数の凶器を様々なルートで入手しています。事前に土地を担保に借金をし、知人のつてを頼って銃や弾薬を購入、日本刀などを収集家から譲り受け入手しました。この他にも入手先は判然としていませんが、家で日常的に利用していたと考えられている斧も犯行に使用されました。

駐在所までの時間を計測

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都井は事件前、自転車を走らせ駐在所まで何度も往復しています。村の住民が異変に気付き救助を求める時間をあらかじめ計測していたのでした。警察が出動するまでに犯行を終わらせる必要があったためです。このことから彼が入念に計画を練っていたことが分かります。

送電線切断

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5月20日17時頃都井は電線を切断し、集落中を停電にさせました。日の暮れ方であるため村の住人は停電に気付いたものの、これをあまり怪しいとは思わず電力会社に問い合わせる等具体的に行動することはありませんでした。

 

 

 

 

 

 

犯行

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5月21日午前1時30分頃、都井は犯行を開始します。一番初めに犠牲となってしまったのは彼の育ての祖母でした。寝ている祖母に合掌した後彼はその首めがけて斧を振り下ろしました。その後身支度を整えた都井はまず1軒目の家に忍び込みます。夜這いによって肉体関係を持ちながらも村中に悪評を吹聴して回った人妻の家でした。

その家の人妻とその子供を手にかけましたが、最初に発砲すると住民を起こす危険があるため、ここでは日本刀を使用します。2軒目の家には夜這いの関係を持った人妻と娘の4人家族で、都井はここで初めて猟銃を使用し全員を惨殺します。少し離れた3軒目の住人たちを射殺しました。殺害されたこの家の妻は妊娠中だったそうです。

祖母は助けを乞いしましたが、都井は恨みのある家の娘を貰ったからと理由を言い目の前で猟銃を発砲しました。しかし、彼女は奇跡的に一命をとりとめています。4軒目は都井の犯行動機としてあげられている寺井ゆり子の実家であり、6人家族でした。主人を射殺したのを皮切りに次々と殺されていきましたが寺井ゆり子は向かいの家に逃げ込みます。

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5軒目は寺井ゆり子が逃げ込んだ隣家で匿われて助かりますが彼女めがけて発砲した都井の銃弾によって負傷します。この家では彼女を追う都井の怒声に応対しようと雨戸を開けた戸主の父親が射殺、四女も負傷しています。6軒目は未亡人の母親と息子2人暮らしで、高台にあるためか銃声が響き渡る中でも騒ぎに気付かず熟睡していました。

都井は眠ったままの母と息子を撃ち殺します。この母親と都井は金銭によって関係を重ねていましたが、他の男性に心変わりしただけでなく寺井ゆり子の結婚の際媒酌人を務めたことを恨んでいました。7軒目は都井宅の南隣りの6人家族で、1軒目の娘とかつて都井との関係を拒否した他家の女性が養蚕の手伝いのために来ていました。

都井は寝ていた彼女らを射殺したのち長男の妻も射殺しています。その後母屋に押し入り、茫然と都井を見つめ座り込んだまま動かない戸主に対し悪口を言わなかったから見逃してやると言いその場を去ります。

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奥納戸に隠れていた長男はこのやり取りを聞き、助かる見込みがあるかもしれないと息をひそめ寝たふりをしていました。すると都井は彼を叩き起こし銃口を突きつけ、「動くと撃つぞ。おとなしくせえ」と脅します。「決して動かんから撃たんでくれ」と訴える彼に「よし助けてやるけん」と言い置き、その家を出ました。

8軒目の家は3人家族で、戸主はある一時期寺井ゆり子と婚姻関係にありました。この家の娘は既に7軒目の家で絶命しています。母親が自宅の養蚕室で保温用の炉の様子を見ているところに都井が現れ、「娘はもう殺した。次はお前じゃ」と猟銃を連射し重傷を負わせました。

戸主は異変に気付いてすぐ脱出したことで難を逃れ、加茂町駐在所まで走り午前2時40分頃通報しました。9軒目は8人家族で戸主は寺川マツ子という女性の兄でした。寺川マツ子は都井と夜這いの関係にあったにもかかわらず、肺病患者であることを知るや否や急に心変わりしたことで彼の恨みを買ってしまいます。

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襲撃時戸主はなんとか難を逃れ、修学旅行中だった長男と見逃されたとみられる次男・三男も無傷で助かりましたが、妻と四男、戸主の両親は射殺されました。ちなみに寺川マツ子の一家は身の危険を感じ、数日前に京都に引っ越しています。10軒目は集落の高台に位置するこの村一番の富豪の家でした。

この家の主人は資産にものを言わせ金目のものをちらつかせ、何人かの村の女性と関係していました。都井は雨戸に向かい発砲し、中にいた戸主の妻に被弾させ重傷を負わせます。さらに2階の窓から助けを求めて何度も叫ぶ戸主に向けても発砲しますが、命中せず諦めます。

妻はこの後12時間後に出血多量で死亡しました。11軒目はそれまでの貝尾集落から少し距離を隔てた坂元集落の夫婦2人暮らしの家でした。妻は都井だけでなく10軒目の主人とも関係を持っていました。この家の主人は都井の夜這いを阻止しようと企んでいましたが、特に都井を警戒して戸締りを厳重にするようなことはありませんでした。都井は空気銃で応戦してきた主人と妻を射殺しました。

隣村で遺書をしたためる

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犯行後都井は隣の集落に移動し、ある一軒の家を訪れ紙と鉛筆を借りています。返り血を浴びた異様な出で立ちの彼の姿に驚愕する家の住人に代わり、顔見知りだった少年が対応したといいます。その少年に対し都井は「勉強して偉くなれ」と声をかけて去りました。家人はすぐ「遺書を書いて死ぬのだ」と悟ったと言われています。

新坂峠にて自殺

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そしてそこから3.5㎞離れた仙の城と呼ばれる新坂峠の山頂に登りました。彼は追加で遺書を書いたのち、猟銃で自らの心臓に引き金を引き自殺しました。即死だったといいます。傍らには犯行に使用された凶器が並べられていました。遺体は翌朝の山狩りで発見されています。

津山三十人殺し事件犯人の遺書からみる犯行動機

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都井睦雄は事件の数日前にいくつかの遺書を書き残しています。長文でしたためられたその遺書からは彼の凄まじい怨念や屈辱感が伝わってきます。文中には犯行動機と考えられている記述が多くみられます。ここでは遺書の内容から読み取れる犯行動機を紹介します。

肺結核発病・徴兵検査不合格の劣等感

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都井は成人を迎え、徴兵検査を受けます。しかし、肺結核が原因で不合格となってしまいます。戦前の日本は男子は兵隊として国の役に立つことが名誉とされていた時代であり、日中戦争が始まり戦争が激化する中で兵隊になれず国の役にたてないということは日本男児としてかなり屈辱的なことでした。このことが彼に多大な劣等感を与えることになったのでした。

村八分の辛さ

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当時結核は不治の病であり、罹患すれば助からないとして忌み嫌われました。人々はみな冷たく、彼が道を通ると村人は皆避けて歩いたといいます。閉鎖的な村のコミュニティから疎まれるということは自分のよりどころを失うことに繋がります。この冷酷な仕打ちが都井の心に追い討ちをかけたことは想像に難くありません。村社会に関する都市伝説は下記をご覧ください。

女性からの拒絶

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さらに、肺病でありそれによって徴兵検査に不合格になったことで交際していた女性たちからも拒絶されてしまいます。ある女性はこれ見よがしに彼を侮辱し、関係を持っていた女性のひとりは根も葉もない噂や悪口を吹聴していたといいます。このことも彼の復讐心に火を着け、やがて関係していた女性たちに殺意を向けていったのでした。

津山三十人殺し事件犯人都井睦雄の人物像

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この凄惨な事件を引き起こした犯人都井睦雄とはどのような人物なのか。その用意周到な犯行計画からも彼の頭脳の明晰さを垣間見ることが出来ますが、成績優秀で真面目な彼がどのようにして犯行を起こすに至ったのか、その生い立ちや遺書などからその人物像に触れていきましょう。

学校の成績が良く頭脳明晰

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都井は彼を側に置いておきたいと願う祖母の溺愛により小学校を1年遅れて入学します。しかし、欠席がちながらも学業優秀で級長を任されたり、担任に上の学校に進学を進められるなど成績は良かったといいます。この頃の彼は将来を嘱望されており、のちに小説家を志望していたことも明らかになっています。

女性への異常な執着

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