【長岡京殺人事件】ワラビ採り事件の真相と犯人の考察を徹底解説!

長岡京殺人事件(別名をワラビ採り事件)は犯人未逮捕のまま時効を迎えた未解決事件です。被害者が残したメモと残忍すぎる多くの殺傷痕が話題になりました。長岡京殺人事件の詳細、警察の目に留まった容疑者たち、5年後に起きた未解決事件とのとある噂についてご紹介します。

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長岡京殺人事件とは?

昭和という時代には、たくさんの猟奇的な殺人事件が発生しています。今回ご紹介する事件では奇妙な事が重なり、被害者である主婦が残した怪奇文や、見当がつかない犯人、そして事件から数年後に起きた関連している可能性がある謎多き殺人事件など、この事件の事を知れば知るほど謎は深まり寒気すら覚えるのです。

現在でも謎めいて恐ろしい昭和の事件に名前が度々挙がるほど、世間の関心を集めている事件なのです。被害者となり無残にも殺害された主婦2人は、猟奇的な暴行の跡が残っていました。犯人は残虐的で卑劣な人格者なのは間違いありませんが、そんな人物が逮捕されずに世に溶け込んでいるのが、恐ろしいですが現実の事なのです。

長岡京殺人事件の概要

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まずこちらではこの事件の大部分となる概要について皆さんにご紹介します。この事件はいつ起きてしまったのか?また被害に遭ってしまったのはどんな方で何人なのか?またこの事件はどんな結末を迎えるのか?

これらを時系列に沿ってまとめていきます。大きな謎や不可解な点について考察するためにも、まずは大部分となる概要を知っておかなくてならないのです。皆さんも是非読んでいただいてどんな事件であるか、基本的な情報をおさえて把握しておきましょう。

1979年、京都府長岡京市で事件発生

事件が起きたのは現在から40年前の昭和54年。現場となったのは京都府長岡京市という町。この長岡京市はたけのこや菜の花の産地とも知られており、美しい森林や竹林などが目立ち自然豊かで、駅近くには有名な大手電機メーカーの会社が連なっているのです。また竹取物語の舞台かもしれないとも囁かれています。

そして今回の奇妙な未解決事件の現場となっている事も世間から広く知られており、皮肉にもその名が事件によっても有名となっているのです。時期はちょうど今頃の5月23日水曜日でした。以上が基本情報である日時と場所になります。次は被害者となる人物や当日の経緯について記述していきます。

ワラビを採りに竹林へ向かった主婦2名が行方不明となる

事件当日、同市内にあったスーパーに勤務していた水野恵子さんと明石英子さんの主婦2名は、勤務終了後2人一緒にワラビを採りに近くの竹林に足を運びました。そしてそこから行方不明となり突如として失踪してしまうのです。ちなみにワラビとはきちんとあく抜きをすれば美味しく召し上がる事ができる食用の野菜の一つです。

勤務を終えたのはまだお昼の事で、ワラビを採りに行った時間もお昼の時間帯で外はまだ明るかったのです。この時竹林に向かっている最中の2人の主婦を、複数名が目撃していることからこの時の足取りは間違いないでしょう。事件の現場となった自然豊かな環境は地域の人々の遠足地としても知られていますが、同時に犯罪が多い事でも知られていました。

薄暗い環境だった

当時の時刻を推測するとまだ日が出ていて外は明るいはずなのですが、如何せんその森林や竹林の中は木々に囲まれて光が届きづらく、日中でも薄暗い印象を受ける環境だったのです。また人通りやひと気も少ない土地柄でした。

行方不明となってから2日後、山頂付近で2人の遺体が発見

行方不明に初めに気付いたのは、明石さんの子供が預けられている保育園の先生でした。迎えに来るいつもの時間帯を過ぎても一向に姿が現れない事を不審に思い、明石さんの夫に連絡をして、2人の捜索が開始されました。しかし失踪当日は2人の姿は発見できませんでした。

その明くる日には水野さんの夫も捜索に加担して2人の姿を必死に探しますが一向に見つからず、失踪して2日目の午後には警察や地元地域の自治体が一丸となって捜索をしました。そしてその日には2人の自転車は見つかりましたが身元は発見できず、事件から2日後の3日目でようやく山頂付近にて2人は遺体となって発見されるのです。

捜査は難航。1994年、時効となり長岡京殺人事件は未解決事件に

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現場に残っていたのはごく僅かな謎と証拠、そして被害者女性2人の遺体のみだったのです。そして捜査は一向に進展を見せず難航を辿り、事件から15年後つまりは時効年の平成6年を迎え、時効となり未解決事件となってしまうのです。

今回のご紹介しているのは昭和に起きた奇妙な猟奇的殺人事件ですが、平和にも奇妙な事件がいくつか発生しているのです。

平成最初に起きたと言われている、一人の女性がありえない場所に入って怪死していた、非常に気味が悪い未解決事件、福島女性教員宅便槽内怪死事件について興味がある方は、是非こちらの記事を合わせてご覧ください。

長岡京殺人事件に残された謎と証拠

事件当時に被害者2名が失踪発覚して捜索が行われ2日後に遺体として発見されるまでの流れや、現場となった環境の詳細、何年に時効となってしまったか等、事件の大部分となる概要について理解していただけたのではないでしょうか?

いよいよこの事件のメインテーマとなる現場に残された僅かな謎と証拠について皆さんに解説していきます。僅かなだけではなく、残されたものはとても奇妙なモノばかりだったのです。それがこの事件の真相をくらまし捜査を難航させた大きな要因なのかもしれません。読者の皆さんも新たな観点からこれらの謎と証拠について考察してみてください。

長岡京殺人事件に残された謎と証拠①被害者の残したメモ

主婦の1人である水野さんの衣類のポケットの中には、スーパーの物と思われるレシートが入っていました。普通のレシートであれば何ら変わった事はありませんが、そのレシートの裏面に被害者がえんぴつで筆記したものと思われる怪奇文が書いてありました。怪奇文の内容は以下の通りです。

オワレている たすけて下さい この男の人わるい人

(引用:Wikipedia)

走り書きしてあり、正式通りではないこの異様な文面から、彼女に当時危機が迫っていた事は明らかであると判断できます。恐らく男の人、悪い人とは犯人の事だと思われます。そしてその犯人から追われていた事を意味しています。この筆記に使われたえんぴつは被害者から発見されませんでしたが、現場近くで何故かそのえんぴつの芯だけが発見されています。

長岡京殺人事件に残された謎と証拠②現場に残された包丁

怪奇文の様な悲痛なメッセージが筆記されたレシート用紙だけではなく、現場には犯行に使われた凶器である包丁が残されていました。それも地面に落ちていたのではなく、被害者の身体に突き刺さったままで放置されていたのです。

そしてその包丁からは指紋は一切検出されませんでした。この事から計画的犯行であった事が伺えるのです。またこの包丁の販売元や製造元などのルートが一切掴めず、有力な物的証拠として機能する事はなく、一つの謎と証拠を残すのみでした。

長岡京殺人事件の被害者の異様な状態とは

当然現場に残されたのは怪奇文が記されたメモ用紙、被害者に突き刺さったままの刃物、えんびつの芯だけではありません。現場には異様な状態の遺体となった被害者2人も残されていたのです。そして2人の財布や金目になる物は奪われていませんでした。この事から金目的や強盗殺人でない事が分かります。

その被害者の異様な状態とはいったいどんなものであったのでしょうか?その無残に痛めつけられた被害者たちの状況について皆さんに解説していきます。犯人の禍々しい暴行の数々が露わになり、暴力的な表現を多く含みます。想像するだけでも相当ショッキングなものでしょう。どうぞ覚悟して読んでください。

長岡京殺人事件の被害者の状態①逃走防止にアキレス腱切断

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2人の主婦は遺体となって発見されたのですが、この時2人の遺体にはそれぞれ首を絞められた跡、刃物で突き刺された跡、そして数十か所もあちこちを殴られた跡が見つかった事から、すぐさま殺人事件と断定されるのです。そしてこの他にも特徴的な損傷部位がありました。

それは脚部のアキレス腱です。アキレス腱はふくらはぎの後ろの方に付いており、歩行や走る事だけではなく人が立っている為にも大切な部位なのです。なんとそんな部位が犯人によって切断されていたと囁かれているのです。この事実が本当であれば犯人は逃走を恐れる状況であったという事、つまり1人のみの単独犯である事が伺えるのです。

全身に打撲跡

2人の遺体にはそれぞれ数十か所の打撲痕がありました。それも遺体を検出した結果では鈍器の様な物で殴ったものではなく、全て拳や蹴りなどで負ったものだという事が判明したのです。この事から犯人は空手などの武道を習っていた経験があると想像され、少し犯人像を絞ることが出来たのです。

その打撲痕の数から察するに犯人は何度もまだ生きていた被害者を殴って痛めつけたのです。この行為から激しい恨みや憎しみを感じられるのですが、被害者2人はそのような恨みや憎しみを買う人物は全くいなかったそうです。であればサイコパスや愉快犯の犯行なのでしょうか?

体内から犯人の体液が

被害者の1人である明石さんの遺体は上着は少し荒れていたものの、下着やズボンなどは履いていたままでしたが、体内から犯人のものと特定される体液が検出され性的虐待を受けていた事が分かりました。その体液から判明したことは血液型がO型という事のみでした。この体液も犯人を突き止める重要な手掛かりとなったのです。

もう1人の水野さんは下着が破かれていた事や、遺体近くに衣類が散乱していた事から性的虐待を受けていた事が伺えます。犯人は初めから性的な目的で彼女らを殺害したのでしょうか?明確な動機や目的も現在に至っても判明していないのです。

長岡京殺人事件の犯行現場となった場所とは?

今回の事件の犯行現場となった場所広く言えば名前の通り長岡京市という市内なのですが、具体的には周辺はどういった環境なのでしょうか?当然ワラビという山菜を採りに行っている事から人通りが多い市街地ではない事は分かります。そしてそこは木々が生い茂っている自然豊かな場所だという事も先ほどお話しさせていただきました。

長岡京殺人事件の犯行現場①昼間でも薄暗い場所

今回の事件の犯行現場となった場所は、日中や昼間、火が出ていて明るい時間帯であっても、林や竹に囲まれ、光は行き届かない薄暗い場所だったのです。また自然に囲まれていた環境でありながら、更には街灯なども満足に設置されておらず、余計に周辺の暗さを引き立てたのです。

いわゆるそこは裏山や野山と地元周辺の方々に呼ばれていたのです。そのエリアが明るい時間帯であっても薄暗く犯行にもってこいの環境である事を熟知していての犯行であれば、当然犯人はその地元地域の住人という事になりそうですが、果たして犯人はどんな人物なのでしょうか?

長岡京殺人事件の犯行現場②レイプ事件が多発していた

この殺人事件が起きる前にも、この森林や野山では女性を狙った性的暴行やレイプ事件が相次いでいたのです。この事からも表向きは地元地域の住民の山菜取り場、遠足地と知られていますが、実は犯罪が多発していて治安が良いとは到底言い難いエリアであった事が分かるのです。

恐らく被害者2名の主婦たちも性的暴行を受けているので、このエリアで性犯罪を繰り返している犯人による犯行なのでしょうか?あるいはまったく違う人物が犯人なのでしょうか?色々な犯人像が浮かび上がりますが、候補や対象者が広く多くなるばかりで、逆に捜査を難航させる事になってしまったのかもしれません。

長岡京殺人事件の犯人は?

この事件は未解決のまま既に時効なってしまいました、犯人が捕まらなかったという事実も確かですが、犯人の見当が付かなかったのです。なぜ血液型やかなり力の強い男性という所まで犯人のヴィジョンがある程度出ているのに、特定できず犯人を捕まえる事は出来なかったのでしょうか?

2019年現在でもこの不可解で謎多き未解決事件の犯人は未だに逮捕されていません。しかし事件当時、事件直後に怪しいとされる人物たちがいました。その人物はどういった人だったか、また何故その人が犯人でなかったのか等。犯人と疑われた人たちについて皆さんにご紹介します。紹介した人たちの中に真犯人がいるか考察しながら読んでみてください。

長岡京殺人事件の容疑者①不良の2人組

まず真っ先に容疑者の候補として挙げられるのがアウトローな性格の若者2人組なのです。なんと彼らが慌てて急ぎ足でこの野山や森林から出ていく様を、目撃していた人も実際にいたのです。当時彼らは工事や建設に携わる大工や鳶の様な職に就いていたらしく、2人とも力もあり1人は空手などの武道の経験もあったのです。

そしてこの事件の後、彼らは心を入れ替える様に一生懸命に仕事に取り組む姿勢が見れたそうで、この辺も妙に不自然で非常怪しい2人組なのですが、警察の事情聴取や取り調べでは事件に直接関与していると確認できず、また当時のアリバイも2人の職場の社長から供述された事から、容疑は取り下げられたのです。

長岡京殺人事件の容疑者②25〜30歳の男性2人組

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被害者となり無残な姿で殺害されてしまった2人の主婦が生前森の中に入るように続いて、20代半ば~30代前半の男性2人組が森の中に入っていく様子を目撃している人がいたのです。そしてその目撃者の証言では彼ら2人の格好は木々が生い茂っている現場周辺に入るのには相応しくなく、散歩や山菜取りに来た客人には見えなかったそうです。

また彼らは手荷物を何も持っておらなかった事も目撃者は証言しています。この20代半ば~30代前半の男性2人組も容疑者の候補として挙がってくるのですが、残念ながら彼らに関しての情報はこれ以上はなく、身元などは不明なのです。

長岡京殺人事件の容疑者③包丁を持ち歩いていた40代男性

そして最も容疑者として有力候補であったのが、当時包丁を持ち歩いていた40代男性です。この男性は事件が起こる前からワラビ採りをしている女性をターゲットにして声をかけるなどの事案を起こしていたのです。

その事案の状況を再現すると、ワラビを採っていた一人の女性におもむろに包丁を片手に近づいて『採れますか』と不意に聞いてきたので、その身なりや持っている狂気に驚き、慌てて女性は家族の元に逃げ去ったそうです。そんな40代男性の似顔絵などが地元地域で公開され、捜索されましたが結局身元が掴めず、この容疑者有力候補も蒸発してしまうのです。

長岡京殺人事件の容疑者④被害者の夫

この被害者の夫というのは、主婦の2人の夫両方ではなく水野さんの夫のことを指しているのです。なぜこの人物が容疑者の候補に挙げれているのか?それには理由があるのです。まず明石さんの夫の話をすると、彼は妻が殺人事件に巻き込まれ亡くなった際に、得た保険金をほぼ全てを捜索の資金に充てているのです。

一方の水野さんの夫はそんな素振りを見せずに、その保険金で高級車を買ったり新たに彼女を作ったりとして平然とした立ち振る舞いをしていたそうです。この事から保険金目当てで殺害したのではないかという見方も生まれましたが、事実上事件に関与していると判断できる物的証拠の一つも見つからなかったのです。

長岡京殺人事件での警察の捜査方針

実際にこの事件の犯人を割り出して特定するという業務を担った警察では、どのような捜査方針が執られたのでしょうか?もう一度改めて犯人の情報で判明している事を整理すると、血液型がO型、力の強い男性で過去に武道の経験がある。という情報のみです。

犯人の正確な動機や目的が分からないため、犯人像をプロファイリングする事が困難で、基準となるのは現場に残された僅かな謎と証拠しかなかったのです。そんな中警察ではどのようにして捜査が進められたのでしょう?こちらの見出しでは当時の警察の捜査方針について解説していきます。

長岡京殺人事件での警察の捜査方針①メモの内容から単独犯と断定

怪奇文の様な文章が筆記されたメモには男の人。悪い人。と単数で表されているのです。もし万が一複数人の犯人がいた場合は男の人たち。悪い人たち。と筆記するのではないか?と警察は考えこの内容から単独犯と断定して捜査を進めていくのです。結果的にこの断定的な捜査が良かったのか悪かったのかは分かりません。しかし結果的には現在でも犯人は逮捕できていないのです。

実は単独犯と断定する理由は他にもあるのです。それはそもそもこの走り書きした怪奇文のメモを書く余裕が少しでもあったという事、もし複数人いたとしたら直ぐに筆記している所を見つかってしまい、そのメモを消去するでしょう。けれども単独犯であったからこそ、メモを筆記する隙があったのではないかと考えられるのです。

凶器からは指紋が取れず…

色々な事件の犯人を特定させ証拠としても解決に導く事ができる指紋。人それぞれによって特定のパターンでオンリーワンな模様があり、人間には塩分や汗、油分などを皮膚から排出しているのでそれが形となって物に付いて残る事が多いのです。その指紋をどんな刑事事件でもよく探し出して鑑定するのは皆さんご存知ですよね。

この頼みの綱である指紋も凶器である刃物から検出されなかったのです。この時計画的に犯行を実行してあらかじめ手袋を用意していたのか、突発的な犯行で山菜採りにきた客人が軍手などをしていたのか、どっちであるかも犯人が捕まっていないため、その真相も明らかとなっていないのが現実なのです。

長岡京殺人事件での警察の捜査方針③犯人はサディスティック

被害者の2人の女性の遺体の状況を見ると、無数の打撲痕がありそれも全て犯人の拳や蹴りで殴ってできたものなのです。この事から犯人は異常なまでのサディストつまりはSな人格者であったと当時考えられたのです。警察は犯人はサディストな人格者と絞って容疑者を割り出して捜査していたのです。

そもそもSとはどんな人格であるか皆さんご存知ですか?最近では攻めっ気があったり虐める事が好きな人の事を指す場合がありますが、正確には他人に身体的または精神的に虐待や苦痛を味わさせ、性的快感を得る人の事を指すのです。

長岡京殺人事件のその後とは

事件が発生したのは現在から40年も前の昭和54年の5月に起こっているのですが、それから警察の捜査に何か進展はあったのでしょうか?新たに犯人に関する情報は入ってきたのでしょうか?この不可解な事が多く、犯人像が見当つかないこの事件のその後はどうなっていくのでしょうか?

こちらでは2人の無残な遺体が発見され事件が起きたその後の事について、簡潔にまとめて皆さんに解説していきます。その後とは即ち私たちが生きる現在を意味するので、ぜひこの事件のその後の事について考えてみてください。

長岡京殺人事件のその後①容疑者はいるものの逮捕には至らず

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事件当日つまりは2人の主婦が行方不明となった当日には、不審な2人組を目撃したという地元地域の人たちもいました。そしてその2人組は2組いて、1組に至っては力が強い武道の経験ありという犯人像に良く当てはまる人物でした。しかしアリバイがあった事や物的証拠が無かった為、事実として犯人ではなかったのです。

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