この実験で駆逐艦エルドリッチが移動した先は、ノーフォーク軍港です。この軍港までは320kmあります。320kmを色々なところで例えてみると、東京から西を見れば名古屋までは余裕で収まります。東京から東(というより北)の方を見れば仙台まですっぽり入ってしまいます。
九州でいうと福岡から鹿児島までの距離ですし、本州の太さは殆どで320km未満です。つまり日本海側にいた戦艦が一瞬にして日本の本州を横断して平洋側にいた、という程の距離感になります。それくらい移動距離が大きかったテレポーテーションとなります。
ノーフォーク滞在6時間
さらに驚きなのがノーフォーク軍港に6時間滞在したということです。仮に幻覚や集団心理があったとしても6時間というのは長すぎます。実験場に居た人の証言では数秒で戻ってきたとあります。しかしノーフォーク軍港では6時間もの間滞在していたという目撃情報もあります。
これはどういうことでしょうか?テレポーテーションの際にどちらかの軍港でタイムスリップも同時に起きていたということでしょうか?数秒と6時間では認識違いという次元ではありません。タイムスリップと考えるのが自然な事です。情報を整理したはずが、謎は深まるばかりです。
超強力磁場発生によるテレポーテーション
意図しない結果だったとは言え、戦艦の瞬間移動が起こってしまいました。にわかには信じがたいですが、瞬間移動先であるノーフォークでの目撃談も報告されており、複数の目撃者がいることで科学史上初の瞬間移動の事例となりました。超科学が好きな方はこちらの記事もオススメです。
フィラデルフィア実験実行までの経緯
当時の国際情勢はアメリカ、ロシア、ドイツの三国が軍事開発競走をしていました。最先端の科学技術を取り入れるために、各国躍起になって技術者の獲得、育成につとめました。このブロックではその背景や重要なポジションにいた科学者について取り上げます。
第二次世界大戦中の軍事実験~ステルス開発~
実験当時は第二次世界大戦中でした。猛威を奮ったのが、海底に仕掛けられた地雷が戦艦の磁力に反応して爆発するというものでした。それを防ぐために戦艦に磁力を発生させない装置やレーダーに映らないようにする技術の開発が急務となっていました。
他国に先立ってステルス技術が実現化すれば、攻撃はもちろんのこと防衛の面でも大きくリードできます。その様な背景で各国は技術者に無理なスケジュールと無理な要求を主張しました。これはフィラデルフィア実験も同様で無理な要求に反対した者もいました。
アインシュタインの統一場理論
フィラデルフィア実験にはアインシュタインの統一場理論が使われていました。統一場理論についてざっくり説明します。この理論は中学生の時に学んだ、電磁力の法則から発展させた考えです。電磁力の法則はフレミング左手の法則と言ったほうがピンとくる方もいるかもしれません。
電磁力の法則とは、電気と強めると磁力やかかる力が強まるというものです。これに”重力”を絡めたのが統一場理論です。電磁力と重力は反比例するので、電磁力を極端に大きくしていくと重力は限りなく0に近づいて行くというものです。それを実現するために当時ステラ・コイルという特殊なコイルを使用しました。
アインシュタイン自身は統一場理論は完成しなかったと言って亡くなってしまいましたが、アメリカ軍の内部告発の機密資料によると、アインシュタインは統一場理論を応用が効くまでに完成させていると記されています。フィラデルフィア実験もその応用でした。
フィラデルフィア実験の主要人物「テスラ」
「ニコラ・テスラ」は日本ではあまり知られていませんが超天才の科学者です。交流電流を発明し、直流推しのエジソンとライバルの関係にありました。また、エネルギーを飛ばすことへの基礎を作り上げ、レントゲンやリモコンなどの基礎技術として今も生きています。さらに興味深いのは、晩年は霊界との交信などオカルトに多くの時間を注ぎました。
彼は今回のフィラデルフィア実験のプロジェクトに初期から参加していました。彼の研究結果であるステラコイルが評価されていました。しかし実験の準備段階で、強力な磁場をコントロールできずに多くの死者や精神錯乱者を出してしまいました。強い電磁力を発生させる必要が有るこのプロジェクトに危機感を抱くようになります。
そこで上司に実験の中止を何度も訴えましたが聞き入れられず、多くの実験を強制されていました。モチベーションが保てなくなった彼は実験から身を引きます。そして、次にふれるノイマンに引継がれます。その際には、この実験は危険だとノイマンに忠告していました。
フィラデルフィア実験をテスラから引き継ぐ「ノイマン」
現代のパソコンの原型を作り上げたことで知られる「ジョン・フォン・ノイマン」です。彼もまた稀代の超天才です。物理学だけでなく、数学や気象学、経済学まで広く習得していました。そんな彼がフィラデルフィア実験を引継ぎました。まさに天才から天才へとバトンが引き継がれていきました。
一方で、ノイマンは原爆開発計画のマンハッタン・プロジェクトにも参加していました。彼は国の実験や軍事開発に対して積極的でした。そんな彼もこのフィラデルフィア実験では危険性を次第に認識していきます。本番前のドッグテストの段階でシステムの暴走から水兵が何人も犠牲にしてしまったからです。
テスラコイルを3つ同時に走らせ同調させれば安全になるという仮説も有りました。しかし当時の技術水準では難しく、実現しませんでした。これをきっかけにノイマンもこの実験は危険だと上層部に延期を提案しました。しかしこの実験は海軍参謀長が決定権を持っており、急務であったステルス開発を伸ばす事は許されませんでした。