化女沼レジャーランドってなに?
人間が作り上げた建物と融合する自然がとても美しい雰囲気を醸し出す廃墟。世界各国に存在している廃墟好きがおすすめしたい廃墟が日本にもたくさんあります。その中でも特に人気が高い宮城県にあった化女沼レジャーランド(けじょぬまレジャーランド)をご紹介いたします。
宮城県にあったテーマパーク
1979年の宮城県古川市にオープンしたのが施設が、現在は廃墟として名高い化女沼レジャーランドです。古くから地域に存在していた化女沼という湖(現在の化女沼ダム)の近くに建築され、東北地方でもトップクラスの広さである15万平方メートルにも及ぶ広大な敷地面積を誇っていました。
最盛期には年間30万人も訪れていた
オープンして以降地元の人々から長きにわたって愛されてきたレジャーランドは、ピークだったころには年間で30万人も訪れていた大人気のお出かけスポットでした。野外ステージではアーティストのライブやキャラクターショーが行われることもありました。
現在は廃墟として有名
1979年の開園から人々を楽しませてきた化女沼レジャーランドは、残念ながら2001年をもって休園状態となりました。レジャー施設としての役目は終了しましたが、休園してからも取り壊されることなく自然のままに置かれた結果廃墟としての新しい一面を見せ、海外から見学に訪れる人がいるほど廃墟好きの間で有名になっています。
化女沼レジャーランドの歴史
多くの人を楽しませ、廃墟としてなお惹き付けられる魅力を持った化女沼レジャーランド。その歩みはどのようなものであったのか、開園から廃墟となった現在までの歴史を振り返ってご紹介いたします。
化女沼保養ランドの中に開園
開園当初は化女沼保養ランドと言う名前の複合施設内にオープンしており、単独の名称はありませんでした。化女沼保養ランドの中には大宴会場をいくつも備えた大型宿泊施設を始めとして、ゴルフ練習、ゲートボール、お土産店、ゲームコーナーなどがあり、世代を問わず楽しめるレジャースポットでした。
その後化女沼レジャーランドと名前を変え、より多くの子どもたちが訪れて親しまれました。園内にはオーナーがこだわって買い付けた海外製の大型アトラクションや、飛行機を改造した遊具、企画展示などがありました。広大な施設面積を活かして行われた野外ライブでも有名アーティストが訪れ賑わいを見せました。
バブル崩壊で経営が悪化
楽しくダイナミックな遊具やイベント、宴会などで人々がにぎわいを見せたレジャーランドですが、時代が進みエンターテイメントの幅が広がってきたことで徐々に集客力は落ちていきました。そしてバブル崩壊がきっかけで経営状態は悪化の一途をたどっていくこととなりました。
経営者の方針で施設はそのままに休園
一時代を作り上げ多くの人の心に残った化女沼レジャーランドですが、2001年に惜しまれつつ休園することとなりました。閉鎖されたテーマパークのアトラクションは撤去されて、更地にして売却するケースが多くあります。
しかしもう一度化女沼を一大テーマパークにしたいというオーナーの意向により、オーナーの想いを受け継いだ新しい経営者が現れるまでアトラクションやその他設備、施設もそのままに休園という形がとられました。