廃墟の女王「摩耶観光ホテル」|そこは美しい廃墟か恐怖の心霊スポットか?

神戸の人気観光スポット摩耶山にあり、心霊スポットと噂される摩耶観光ホテル。本当に心霊現象は見られるのか?廃墟ファンには外観の美しさもあって、廃墟の女王とも呼ばれています。現在廃墟としての保存プロジェクトが進行している摩耶観光ホテルの歴史や実態を紹介します。

この記事をかいた人

読んでくださりありがとうございます! 読みやすく、わかりやすい記事を提供できるよう頑張ります! 生暖かく見守ってくださると、有難いです!
Array

摩耶観光ホテルの場所は?

マヤカンという愛称でも呼ばれる摩耶観光ホテルは、神戸北野偉人会館や、1千万ドルの夜景で有名な六甲山などがある、兵庫県神戸市に存在していたホテルです。神戸市の東にある灘区の区内に摩耶山と呼ばれる山があります。その山の中腹に1929年に建てられた建物で、有名な映画の撮影地にもなっています。

六甲山地の一角摩耶山

昔には、八州峰と呼んでいた摩耶山。八つの国を見渡せたその山は、標高702m。摩耶ロープウェイもありますが、摩耶古道があり、徒歩でも上ることが可能。兵庫県山岳連盟が定めた、ふるさと兵庫100山の山々の一つです。

登る方は、こちらの記事も合わせてご覧ください。

神戸市街地の眺望

山頂付近には掬星台があり、眺望がよく、星を手で掬ってしまえる程の星が見えたことから名づけられた展望台は、日本三大夜景に選ばれるほどの絶景で、一つの観光名所となっております。「ミシュラン・グリーンガイド兵庫Web版」の二つ星を獲得したことがあるほどです。

摩耶観光ホテル廃墟への歴史

1929年の開業当時は、4階建てL字型の建物。坪面積は700坪から750坪で、アールヌーボー風の洋風ホテルとして当時は売り出しました。崖からせり出した船のブリッジを想像して設計されたホテルは、大浴場や娯楽場、余興場なども用意され、「摩耶倶楽部」と健康ランドとして営業していました。

第1期ホテル時代

順調に見えたホテルの営業は、第2次世界大戦に直面します。1939年に開戦した当大戦で、1943年に軍用道路が敷かれました。1944年には摩耶ケーブルの営業が停止され、周辺地域が防衛施設へと変貌していきます。終戦時には営業していたと考えられています。

しかし終戦後「米軍の将校クラブ」という計画が持ち上がりました。その計画に従い、ホテルと周辺のケーブル等修理、改修工事が開始されました。にもかかわらず、一か月後にはそれらのプロジェクトが中止になり、ホテルは閉鎖に追い込まれました。

第2期ホテル時代

それから数年たった、1952年、摩耶山の観光地化計画が始まります。周辺地区は整備され、ロープウェイも営業を再開しますが、終戦前の賑わいは取り戻せませんでした。しかし1961年、親会社が変わり、5階建てに改装された摩耶観光ホテルが営業を再開。戦前の賑わいが戻ってきました。

1967年にまた、苦難が襲います。台風から温帯低気圧に変わった集中豪雨にみまわれ、土砂崩れが発生します。周辺地区に甚大な被害をもたらし、ロープウェイはもちろん、ホテルも被害を受け、またもや営業停止に追い込まれます。

学生センター時代

次に、日の目を浴びたのは、1974年です。ホテルの一部を、学生の合宿のために開放しました。その後、摩耶学生センターと改名したホテルは、閉鎖以前の調度品を使用した廃墟ホテルとして営業を再開します。

1970年代から1980年代にかけて、天上寺の焼失とともに、摩耶山の周辺施設は衰退していきました、学生センターは、またしても1980年代前半に、4階の厨房より火災という災難に見舞われたホテルは、1993年に管理者の体調不良で閉鎖されます。

廃墟の女王と呼ばれる摩耶観光ホテル

あらゆる災害により、閉鎖や焼失などを繰り返した摩耶観光ホテルは、その歴史の長さと、経験を感じさせるたたずまいから、廃墟の女王と呼ばれるようになっていきます。閉鎖された今でも、その輝きを失わないホテルを、掘り下げていきます。

美しいアールデコ様式の建築

当時の洋式は、1925年のパリ万国装飾美術博覧会でアール・デコと呼ばれるようになった様式です。アール・ヌーヴォーは、曲線を多用し有機的であったが、アールデコ様式は工業製品の発展によって、直線的で、実用的で装飾を廃したデザインとなっています。

映画デスノートのロケ地

デスノートといえば「週刊少年ジャンプ」の連載を得て、ドラマや映画化された作品で、今もファンの絶えない物語です。それの映画にでてくる「約束の場所」が摩耶観光ホテルで撮影されました。終盤に主人公とヒロインがある約束を交わす場所で、ミステリアスな雰囲気が、場面においていい味を出しています。

摩耶観光ホテルは映画やドラマの撮影地

geralt / Pixabay

デスノートでも使われた摩耶観光ホテルですが、閉鎖前にも映画に出演していました。それだけではなく、廃墟となったあとも数々の映画やドラマにも出てきています。その一部を紹介していきます。

映画「春日和」や「ユー・ガッタ・チャンス」で使われた

skeeze / Pixabay

「春日和」では1967年ちょうど、台風の被害を受ける年に撮影がなされています。ホテルの最盛期であるこの時期。映画の終盤に差し掛かり、神戸にに来た主人公たちは摩耶ケーブルに乗って、神戸を一望するシーンがあります。

WenPhotos / Pixabay

「ユー・ガッタ・チャンス」では、アイドルである主人公が、一度仕事をしたことのある映画監督を探しに行きます。仕事も投げうって探し回り、謹慎も受けた主人公は、ようやく話す機会を得ます。その舞台になったのが、摩耶観光ホテルの廃墟でした。

ドラマ「過ぎし日のセレナーデ」

1989~1990年にフジテレビで放送されたこのドラマは、歴史的な映像価値も高く、前半は神戸市で撮影が行われました。その際に、阪神・淡路大震災が起こる前の神戸雅叙園ホテルや、摩耶観光ホテルが使われています。

摩耶観光ホテルの内部はどうなっている?

摩耶観光ホテルは、現在は4階建ての(増築された5階部分は確認されていない。焼失したとも言われている。)アールデコ様式で、1~2階部分がホテルの客室、3階がロビーやカジアルコーナー、4階が大ホールやグリル、今は無き5階部分は、大宴会場と中宴会場でした。

4階ステージは映画デスノートで使用

大ホールのあった4階は、映画デスノートの撮影場所です。撮影時に、雰囲気を崩さないよう、廃墟感を残しつつ、壁が塗られています。それでも地面には瓦礫やタイヤの様なものが転がっており、廃墟としての威厳が残っています。

3階は額縁の部屋など多彩

3階は、額縁の部屋があり、緑の部屋とも呼ばれたスイートルームです。かなり有名な写真の撮影スポットです。1面が窓になっており、外の緑をどこからでも望むことができ、日当たりが非常によく、古びたテーブルと椅子が今も残されています。

動画で撮影されている部分が、序盤がエントランス、食堂が左に曲がった部分です。他にも、礼拝堂があったのも3階になります。古びたシャンデリアが落ちていたりなど、冒険心がくすぐられます。

1・2階は客室多数

NEXT 1・2階は客室多数