廃墟の女王「摩耶観光ホテル」|そこは美しい廃墟か恐怖の心霊スポットか?

1967年にまた、苦難が襲います。台風から温帯低気圧に変わった集中豪雨にみまわれ、土砂崩れが発生します。周辺地区に甚大な被害をもたらし、ロープウェイはもちろん、ホテルも被害を受け、またもや営業停止に追い込まれます。

学生センター時代

次に、日の目を浴びたのは、1974年です。ホテルの一部を、学生の合宿のために開放しました。その後、摩耶学生センターと改名したホテルは、閉鎖以前の調度品を使用した廃墟ホテルとして営業を再開します。

1970年代から1980年代にかけて、天上寺の焼失とともに、摩耶山の周辺施設は衰退していきました、学生センターは、またしても1980年代前半に、4階の厨房より火災という災難に見舞われたホテルは、1993年に管理者の体調不良で閉鎖されます。

廃墟の女王と呼ばれる摩耶観光ホテル

あらゆる災害により、閉鎖や焼失などを繰り返した摩耶観光ホテルは、その歴史の長さと、経験を感じさせるたたずまいから、廃墟の女王と呼ばれるようになっていきます。閉鎖された今でも、その輝きを失わないホテルを、掘り下げていきます。

美しいアールデコ様式の建築

当時の洋式は、1925年のパリ万国装飾美術博覧会でアール・デコと呼ばれるようになった様式です。アール・ヌーヴォーは、曲線を多用し有機的であったが、アールデコ様式は工業製品の発展によって、直線的で、実用的で装飾を廃したデザインとなっています。

映画デスノートのロケ地

デスノートといえば「週刊少年ジャンプ」の連載を得て、ドラマや映画化された作品で、今もファンの絶えない物語です。それの映画にでてくる「約束の場所」が摩耶観光ホテルで撮影されました。終盤に主人公とヒロインがある約束を交わす場所で、ミステリアスな雰囲気が、場面においていい味を出しています。

摩耶観光ホテルは映画やドラマの撮影地

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デスノートでも使われた摩耶観光ホテルですが、閉鎖前にも映画に出演していました。それだけではなく、廃墟となったあとも数々の映画やドラマにも出てきています。その一部を紹介していきます。

映画「春日和」や「ユー・ガッタ・チャンス」で使われた

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「春日和」では1967年ちょうど、台風の被害を受ける年に撮影がなされています。ホテルの最盛期であるこの時期。映画の終盤に差し掛かり、神戸にに来た主人公たちは摩耶ケーブルに乗って、神戸を一望するシーンがあります。

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「ユー・ガッタ・チャンス」では、アイドルである主人公が、一度仕事をしたことのある映画監督を探しに行きます。仕事も投げうって探し回り、謹慎も受けた主人公は、ようやく話す機会を得ます。その舞台になったのが、摩耶観光ホテルの廃墟でした。

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