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驚愕!これがチャールズ・マンソンの洗脳術
なぜマンソンの信者たちは命じられるがままに殺人事件を起こしたのでしょう。どのように洗脳をしたのか、どのように信者を思うがままに操ったのか、それを詳しく説明します。
狙ったのは純粋な若者たち
ヒッピー文化発祥のサンフランシスコでマンソン普通の家庭で育った世間を知らない純粋な若者に狙いを定め次々に信者を増やしました。マンソンは長い間刑務所におり、看守や囚人のボスから特別待遇を受けるなど、相手の欲しいものや必要なもの、弱点など見つける能力に長けていました。
麻薬とセックスの快楽三昧に溺れさせる
マンソンは信者を集めた後、心を離さないよう麻薬を与えとろけるような甘いセックスをし信者を蟻地獄へと導きました。男性の信者には美しい女性信者を与え満足させました。信者には麻薬を与える一方でマンソン自身が麻薬を使うことはありませんでした。
何度も繰り返す洗脳の言葉
マンソンはトリップしている信者を見つめながら考えることをやめるよう何度も囁き自分についてくるよう説得し、そうすれば素晴らしい世界が見えるはずと同じ言葉を繰り返し、麻薬と快楽を与え信者の自分への忠誠心を確固たるものにしました。
麻薬について少し紹介しましたが世界には麻薬王と呼ばれた恐ろしい男もいます。そちらの紹介記事はこちら。
逮捕後も増え続けるチャールズ・マンソン信者達!恐怖のカリスマ性!
無事逮捕されホッとした束の間。何と逮捕後も信者による世間への大きな影響が出ました。逮捕後、具体的にどのようなことが起きたのか説明します。
カメラを意識したパフォーマンス
逮捕されたチャールズ・マンソンですが、157センチという小柄ながらも鋭い眼力と整った顔を生かしカメラに向かってポーズを取り質問にも気さくに答えマスコミを喜ばせようとしました。裁判中にも机に乗り裁判官に詰め寄るなどパフォーマンスを欠かすことはありませんでした。
信者達が行う無実を訴えるデモ
逮捕された女性信者3人はマンソンが作った曲を歌いながら裁判所に入りマンソンがいかに素晴らしいかを語り、残された信者は裁判所の外で無実を訴えるデモンストレーションを行いました。この時裁判中にもかかわらず信者となった若者も多数いました。
額に掘られた鉤十字
マンソンの額に掘られた鉤十字は社会から抹殺され、排除された人間を象徴する意味であるとマンソンは宣言しています。すると、拘束されているマンソンファミリーの女性信者3人もマンソンと同じ鉤十字を同じく額に掘りました。
チャールズ・マンソンへの判決!
事件発生から逮捕後まで世間を賑わし恐怖と混乱の渦に巻き込んだチャールズ・マンソンですが遂に判決が出ます。マンソンの判決結果を経緯を元信者の証言と共に詳しく説明するのでご覧ください。
実行犯でも現場にはいない
チャールズ・マンソンは殺人現場に居合わせたことは無く、直接殺したわけではありません。ラビアンカ夫婦殺人事件の際には先に一度マンソンが家に入りマンソンが家を出た後に信者が殺人をするという徹底ぶりでした。なので、当初はマンソンを有罪にするのは難しいと言われていました。
元信者の証言
有罪にするのは難しいと言われていたチャールズ・マンソンでしたが事態は一変します。洗脳から解けた元女性信者が証言台に立ち、全ての責任がマンソンにあり洗脳されていたと証言しました。元女性信者の証言により、逮捕されている女性信者含め全員が有罪判決となりました。
判決は有罪へ
元信者の証言により有罪が決まったマンソンとその信者達。全員死刑判決が下されましたが、服役中に死刑制度が廃止になったため終身刑に軽減されました。マンソンの服役中にもかかわらずマンソンファミリーは一時期、拡大した。死刑が確定しても無罪を信じるファミリーが飛行機ハイジャックを計画をしたとも言われています。
今は亡きチャールズ・マンソン
服役中も世界を賑わせ続けたチャールズ・マンソンでしたが、彼の最期はどのようなものだったのでしょうか?
いつ亡くなった?
亡くなる前は胃腸の不調で病院と刑務所を行き来しており2017年11月19日に自然死に病院で83歳で死去しました。マンソンが死去したことが書かれている当時の新聞には悪は死んだ、地獄で焼かれる等の過激な見出しが並んでいます。
人生の大半が収容施設だった
9歳で少年院に初めて入り、新しい人生を始めると決意する32歳までの間の人生のほとんどを収容施設で過ごしました。そして、マンソンファミリーの指導者として殺人事件の有罪判決を受け40年以上も刑務所に入り亡くなりました。12回もの仮釈放申請をしましたが許可が降りることは無く生涯の大半を刑務所で過ごし亡くなりました。
今もなお崇拝されている反社会的な象徴
死してもなお反社会的な象徴として崇拝され続けるチャールズ・マンソン。彼が生きてる間に与えた影響はお話ししましたが、今度は彼の死後どのような影響が起きたか説明します。
毎年6万通のファンレター
1971年に服役したチャールズ・マンソンですが今もなお反社会的な象徴として社会に馴染めなかった若者たちに崇拝され続けています。服役して40年が経っても彼を崇拝する人は多く、毎年6万通ものファンレターが刑務所に届いています。犯罪者でありながらたくさんの人を惹きつける魅力を持つ彼をアメリカは悪魔として恐れ続けました。
有名アーティストの名前の由来
アメリカのミュージシャン、マリリン・マンソンもチャールズ・マンソンのファンの一人です。彼の芸名はチャールズ・マンソンから取り、悪の象徴という意味があります。マリリン・マンソンはチャールズ・マンソンの訃報を受け、ツイッターにLIE(嘘)と書いたチャールズ・マンソンの写真と、チャールズ・マンソンのカバー曲を添えて投稿しました。
映画化にドラマ化!止まらないチャールズ・マンソンのメディア化
社会に様々な影響を与えたチャールズ・マンソン。彼を題材とした映画やドラマが多数作られています。どのような作品が作られたのかその映画とドラマをご紹介します。
数々の映画化
チャールズ・マンソンを題材とした映画が2つ作られています。1つ目の殺人事件から逮捕、服役後までを描かれたヘルタースケルターという映画と元信者が過去を回想し1つ目の殺人事件までを描かれたチャールズ・マンソンという映画です。事件が事件なだけにどちらも残酷な映画となっているので見る際には注意が必要です。
ドラマ化も!
チャールズ・マンソンの事件を扱うドラマも作られており有名なものでは、アクエリアス 刑事サム・ホディアックです。
2015年に放送され日本でもアメリカで放送された数ヶ月後にスーパー!ドラマTVで放送されています。このドラマは1960年代後半のロサンゼルスを舞台に作られており、マンソン・ファミリーが起こす事件など混乱した時代に起きた事件を描いた犯罪捜査ドラマです。
稀代の犯罪者・チャールズ・マンソン!
人を操り支配したくさんの犯罪に手を染めたチャールズ・マンソン。彼が社会に与えた影響はとても大きく今も尚カリスマと呼ばれ多くのファンがいる彼ですが、二度とこのような痛ましい事件が起きないことを願うばかりです。
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