筑紫女学園大学の教授の説は、卑弥呼の鬼道説ではありませんでした。龍の神様を信仰する遺跡であったのではないかと考えを表明したのです。一体論理はどのようなものでしょうか?ご紹介します。
菊池川地域は龍神信仰を行なっていた
この地域には龍神信仰が以前から行われており、龍の神様のなかには地龍と呼ばれる溝や穴、堀を造ると信じられています。トンカラリンの構造からして龍神信仰と一致するため、この場所で信仰行事を行っていたのではないかと示しているのです。
地龍を安全に呼び出す為の地下通路か
龍神様には、3つの災いが天敵でありこれらから身を守るためには安全な地下通路が必要でした。それがトンカラリンであり、この地は龍神様を信仰していた人々が集う宗教施設だったという考えが出されました。
トンカラリンは何の為に作られたのか考察⑥防空壕説
戦争時に身を守るため人々は各地に防空壕を造りました。丈夫な石組み作りだったことから、案として防空壕説が出ましたが、身を守ることが果たしてできたのでしょうか?真相に迫ります。
緊急時に成人が通るには狭すぎるか
防空壕説もありましたが、狭い部分があったり狭さがさまざまで、子供ならば身を守ることができても大人は屈んでも通れないほどの狭さだったことから、この説は難しいでしょう。
もし本当ならば身を守るためのものでありますから、もっと隠れやすく造るはずです。
トンカラリンの内部に迫る
では、実際に内部はどうなっているのか探っていきましょう。いまだ謎の多いトンネル内部はどうなっているでしょうか?入口と内部、そして一番奥深くの最深部をそれぞれご紹介していきます。
トンカラリンの入口の様子
入口の手前には大きな岩が一枚、地面に敷かれています。これを石舞台と呼び人工的にスパンと切ったような半円の岩です。卑弥呼がこの岩の上にて祈祷していたとされます。
高度な技術の石組み
トンネルの高さは約5mほどで大人でも立ったまま歩くことができます。人工的にカットされた綺麗な四角の石がいくつも組まれていて両壁の石は苔や草が生えていて長い年月を物語っています。
トンカラリンの内部の様子
内部は暗くて懐中電灯がないと前へ進むことも難しいほど、外の光が遮断されています。中へ進むにつれ高さが低くなるので、屈みながら進みます。周りは全部石でレンガ作りのように綺麗に敷き詰められていて頑丈にできています。
トンカラリンの最深部の様子
腹ばいになって進まないと難しいほどの狭さです。四方は石組みで綺麗に組まれています。こんなに長い石組みを作りには相当な技術が必要だったと感じさせます。
ある場所へと繋がる
出口に近づいてくると左に通路が曲がっていて、一瞬行き止まりに見えてしまいますが、進んでいくと明るい光が見えて、出口に到着です。そのまま進んでいくと菅原神社に繋がります。
広島にもトンカラリンがあった!
実は、広島県にもトンカラリンが存在します。東広島市安芸津町にある同じような形状のトンネルがあるのです。ですがこちらは遺跡でもなく熊本にあるトンカラリンにあやかって名付けられたもので、卑弥呼とも古代歴史にも関係していないトンネルです。
他にもあった日本の謎ある遺跡
トンカラリンはいまだに謎多い遺跡です。ですが、これだけではなく他にも謎多き遺跡は日本に存在しています。その謎多き遺跡をご紹介します。