謎の遺跡「トンカラリン」とは?
みなさん耳にしたことありますか?熊本県玉名郡にある菊水町で発見されたトンネル型遺跡です。全長は464,6mもある長いトンネルなんです。長く続くトンネルは一体誰が何のために作ったのでしょうか?
古代歴史と深く関わっているかもしれないことが明らかとなったのです。謎に迫ります。
トンカラリンの概要
5つのトンネルが連なり一つの遺跡となっています。人工的に作られた石組と自然に発生した地隙とで構成されており、2~7mの高さのそれぞれ大きさが異なるトンネルが合体しています。
不思議な名前の由来
名前の由来説は、2つあります。
- 石を中に投げ入れると「トンカラリン」と可愛らしい音を出す
- 朝鮮語で「天帝」を意味する
現在の研究ではこの2つが有力となっています。
謎多き遺跡
発見された当初は、たくさんの考古学者が研究し諸説を報告しましたが、いまだに謎のベールに包まれた遺跡です。誰が何のために作ったのか、さまざまな憶測があります。
主な諸説として用水路として使われていたのか、信仰宗教のためのものか今も研究が進められています。順番に詳しくご紹介します。
トンカラリンは何の為に作られたのか考察①卑弥呼の鬼道説
諸説の一つとして作家である松本清張氏がこの地を訪れます。そして邪馬台国を築いた女王卑弥呼の鬼道説の可能性があることを世に公表しました。
すると、こぞって考古学者たちが本物を一目見ようと現地に殺到しました。鬼道とは?卑弥呼が関わっているのか?順番にご説明します。
地域に鬼神信仰があった
鬼神とは信仰する神のことで、邪馬台国の女王だった卑弥呼は鬼神を用いて国を統治しました。朝鮮半島からこの地域に渡って邪馬台国が存在していた説が高いことから、鬼神信仰するための施設だったという説があります。
巫女である卑弥呼がトンカラリンから出てくる鬼神を迎える
巫女がトンカラリンから出てくる鬼神をお迎えし、豊作や疫病退治を願います。この巫女が邪馬台国を築いた卑弥呼であり、彼女は鬼神信仰することで国を豊かにし女王として国を栄えさせました。
巫女とは?
「ユタ」と呼びます。祈祷師の役目をしており、宗教の信仰に基づいて神の依り代として自らの身体に神を宿すことで、祈祷をする人物のことです。
トンカラリンの穴の先にある菅原神社からも見える信憑性
狭いトンネル内を抜けるとその先には菅原神社があります。この神社は、鬼神の舞いという無病息災を願う神事で有名です。明治期に移転しているのですが、なぜこの地だったのでしょうか?
この地が神聖な土地であったからではないでしょうか。卑弥呼の鬼道をより信憑性の高いものとしています。
弥生時代は戦争が激しかった
村と村で争いごとが増えた時代です。高い丘の上に村を作り塀で村を守ったとされています。この争いは水田の範囲を広め、多くの米を作り富を築いていくためです。この時から貧困の差が生まれ始めました。
古代戦争について詳しく知りたい方はこちらも良かったらご覧ください
卑弥呼が争いを鎮めた
争いごとが絶えなかった弥生時代は、日本で最初の戦国時代だったのではないでしょうか。そんな時代を女王として君臨した卑弥呼が争いごとを鎮め、村に静けさと豊かさを与えたのです。
トンカラリンは何の為に作られたのか考察②排水路説
前途の松本清張氏から注目を浴びたことから、研究が進み多くの諸説が飛び交います。その一つとして排水路だったのではないかと熊本県の教育委員会が報告書を出し騒動を一旦鎮静化させました。
構造が排水路には不適切
報告書を元に調査が開始されましたが、トンネル内部の階段が水路と馴染まないことや用水路としての水源が発見されなかったことから、排水路として機能するかどうかは不都合な点が多すぎるとして撤回されました。
平成5年の集中豪雨時にも排水路として機能していなかった
熊本県集中豪雨では、浸水被害が多発しました。そして各地の排水路も大きな被害を受けたのですが、この場所は一切被害がありませんでした。このことから排水の機能をしていないことが定義され、排水路説は消え去ったのです。
トンカラリンは何の為に作られたのか考察③古代信仰遺跡説
現在、有力視されている説ですが、近辺にある古墳から変形した頭蓋骨が計4体発掘され、この変形頭蓋骨は祈祷師ではないかとされています。
そのことから宗教施設ではないかとの考えが強く、古代の信仰遺跡説の議論が繰り返されています。
人工的に変形させた弥生時代の頭蓋骨の発見
発掘した人物によると変形頭蓋骨の変形は埋葬されてから自然になったものではなく、人工的に手を加えたものと見解を示しています。顔を変形させることで神からの宿る力があることを証明し、特別感を演出していたのではないかと考えられています。
シャーマンがトンカラリンに篭って神を呼び出した?
発掘に関わった人物の見解によると、トンネルの一部に古代朝鮮から伝わる石組みの技術が使われているため、朝鮮との深い関りがあったとされます。
そして神を呼び出す朝鮮での信仰がこの地でも伝わっていたのではないかという研究が進められています。
トンカラリンは何の為に作られたのか考察④朝鮮的信仰遺跡説
古代では、この地域と朝鮮半島が深い関りをもっていたとの考えが有力であり、信仰も朝鮮から伝わったものが普及したと報告されています。一体どんな点で朝鮮と関りがあると繋がったのでしょうか?
古代朝鮮の特殊な石組み工法が使用された構造
古代朝鮮で普及していた特殊な石組み技術が取り込まれているため、朝鮮と繋がりがあったということがわかります。結果、朝鮮で信仰されていた宗教のために作られた施設ではないのかと説があるのです。
朝鮮半島で行われていた「隧穴信仰」のための洞窟か
朝鮮の人々は、洞窟に祈祷師が篭り神様を呼び出し神託を頂くことを信仰していました。石組みの作りからもわかるように朝鮮を真似たことから、朝鮮の影響を強く受けており信仰も同じではないかと有力視されているのです。
朝鮮から多くのものを学ぶ
朝鮮からの学びがなければ、歴史は変わっていたのかもしれないというほど弥生時代の日本は朝鮮からの影響を受けています。農業の発展から始まり、金属文化も朝鮮からです。日本と朝鮮は深く繋がっており、多くの刺激を受けていました。
トンカラリンは何の為に作られたのか考察⑤龍神信仰遺跡説
筑紫女学園大学の教授の説は、卑弥呼の鬼道説ではありませんでした。龍の神様を信仰する遺跡であったのではないかと考えを表明したのです。一体論理はどのようなものでしょうか?ご紹介します。
菊池川地域は龍神信仰を行なっていた
この地域には龍神信仰が以前から行われており、龍の神様のなかには地龍と呼ばれる溝や穴、堀を造ると信じられています。トンカラリンの構造からして龍神信仰と一致するため、この場所で信仰行事を行っていたのではないかと示しているのです。
地龍を安全に呼び出す為の地下通路か
龍神様には、3つの災いが天敵でありこれらから身を守るためには安全な地下通路が必要でした。それがトンカラリンであり、この地は龍神様を信仰していた人々が集う宗教施設だったという考えが出されました。
トンカラリンは何の為に作られたのか考察⑥防空壕説
戦争時に身を守るため人々は各地に防空壕を造りました。丈夫な石組み作りだったことから、案として防空壕説が出ましたが、身を守ることが果たしてできたのでしょうか?真相に迫ります。
緊急時に成人が通るには狭すぎるか
防空壕説もありましたが、狭い部分があったり狭さがさまざまで、子供ならば身を守ることができても大人は屈んでも通れないほどの狭さだったことから、この説は難しいでしょう。
もし本当ならば身を守るためのものでありますから、もっと隠れやすく造るはずです。
トンカラリンの内部に迫る
では、実際に内部はどうなっているのか探っていきましょう。いまだ謎の多いトンネル内部はどうなっているでしょうか?入口と内部、そして一番奥深くの最深部をそれぞれご紹介していきます。
トンカラリンの入口の様子
入口の手前には大きな岩が一枚、地面に敷かれています。これを石舞台と呼び人工的にスパンと切ったような半円の岩です。卑弥呼がこの岩の上にて祈祷していたとされます。