「業が深い」ってどういう意味?使う場面や成り立ちを徹底解説

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自分の行った事は返ってくる

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その概念を一言で表すとするならば、「因果応報」の言葉につきます。善い行いにせよ、悪い行いにせよ、自らの行動は、いずれ自らに帰ってくる。これを仏典では「カルマ」と呼ぶのです。そしてそれを日本語にすると「業」となるのです。

果報と対になる言葉

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対になる言葉、また概念として「果報」という言葉があります。「果報は寝て待て」なんて言葉で馴染みがありますが、その意味は「運のよいこと、またその幸せな様」です。仏典での概念は同じく「因果応報」のことをいいまずが、その違いは前世の「罪」ではなく、前世の自分の行いによって生じた「報い」のこと。

「業が深い」の類義語や英語表記

仏典で扱われる言葉、概念、仏教用語、などとそれだけを聞くと非常に難しそうに聞こえるかもしれません。こちらのセクションでは、類義語などを用いて多方面からその意味についてフォーカスし、解説をさせていただきます。

類義語

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まずは類義語から言葉の意味を探っていきたいと思います。仏典の概念だけではいまいちピンとこないでしょうから、もう少し日本語で意味合いの似たニュアンスのものをご紹介させていただきます。

罰当たりな

罰とは悪い行いにより、神仏から懲らしめを受けることを指します。意味は罪が当たるのが当然のことと思われること、または悪事の応報を受けることをいいます。「悪いことをしたら罰が当たるぞ」などと、昔はよく言われたのではないでしょうか?

非道徳な

道徳とは社会生活を営む上で、ひとりひとりが守るべき行為のことを指します。こちらも「悪いこと」と大体似通った意味合いですが、非道徳となると、もう少し深刻な悪事を指すことが多いです。先ほどの罰当たりが些細な罪であるのならば、こちらは人間相互の関係性にヒビを入れかねない悪事を指します。

英語表記

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ではこの仏教的な考えである「業」ですが、英語表現とはどんなものでしょう?またこういった概念は英語のみならず、外国語に落とし込む過程でどこかニュアンスが変わってしまうことが多々あります。その表現は、どういったときに使われているのかも、併せて解説致します。

be sinful

英語表記での「業が深い」です。他にもこれは「罪深い、罪のある、罰当たり、勿体ない」などといった使われ方もします。「勿体ない」といった使われ方がよく見受けられますが、その他には、キリスト教の聖書に頻繁に使われる表現です。

業の分類①『三業』

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三業とは仏教の教えの一つです。主に三種類に分けられ、その種類は「身、口(あるいは語)、意」。これら三つが降りかかる一切の業として教えられています。ではこちらではその三種の内容について詳しく解説致します。

身(しん)

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身体に関わる行為のこと。起き上がる、食事をする、歩くなど、身体の行いのことを言います。今現在、貴方は何をしているでしょうか。パソコン、携帯、または何か違うものでこの記事を読んでいることでしょう。これを即ち『身業』といいます。

口(く)

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これは言語に関わる行為のこと。言語での表現、口での行い、つまりは話すことを指しています。人間は集団で生きる生き物。話すことが一般的に一番よく使われるコミュニケーションですから、日々この『口業』を行っていることでしょう。

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