「業が深い」ってどういう意味?
さてこの「業が深い」という言葉。意味は一体何でしょう。「ごうがふかい」という読みから、まず「業(ごう)」とは何か疑問に思われる方も多くいらっしゃることでしょう。本来の意味と、現在使われる意味合いについて紹介致します。
罪深いと言う意味
「業が深い」というのは「罪深い」という意味。その他、運の悪さであったり、それによって受ける報い・罪のことを言います。こうしてみると、ネガティヴなイメージが強く感じられるかもしれません。
その罪は前世から続いている
「罪深い」と言わず、わざわざ「業が深い」という言い回しをするのは何故でしょう。この元は仏教の概念からきており、業とは前世から続く罪のことを指しています。つまり「前世から続いた罪」のことをいっているのです。
現在は『欲深い』や『不運』の意味でつかわれる
と、ここまでは元々の意味だったのですが、現在では少々違った意味合いで使われています。それは「欲深い」ことに対し使われ、しばしば嫉妬深さ、物欲の強さ、お金に汚い人などを指すようになりました。
「業が深い」はどういう時に使うの?
たったこれだけの言葉だけでも、たくさんの意味が含まれております。では実際にどういった状況や状態を指して使われるのでしょうか。例文を用いてその使用例やどの意味合いなのかを解説致します。
業が深いの使用例
さて、意味合いが様々ありましたが、実際にはどのように使用されるのでしょうか。現在使われている意味合いの中でも比較的、使用頻度の高い例、かつての意味合い「前世からの罪」についての例文を挙げて解説させて頂きます。
〇〇は業の深い生き物だ
〇〇の部分は「人間、女、男、自分」など様々です。この使用例が現在見当たる中でも断トツで高いのではないでしょうか。この意味合いは「欲にまみれた」であったり「前世から続く罪のせいで」というものがあます。
業の深い顔つきをしている
このたとえは「行い」だけにとどまらず、状態や表情を表すために使用されることもあります。「あの人は、業の深い顔つきをしている」などと言うと、相手が欲深い顔をしている、などを示します。あまり良い意味では使われません。
そもそも「業」ってどんな意味なの?
先ほどこの言葉が仏教の概念からきている、と記したことを覚えていらっしゃるでしょうか。前世からの罪、のくだりで書かせて頂きましたが、となるとそもそも「業」とは一体何を指しているのでしょうか。
元は仏教用語
業とは「カルマ」を日本語訳した言葉です。元はインド発症の宗教、とりわけ仏教で頻繁に使われる言葉であり、その言葉自体は多くの媒体で創作に使われるため、知っている人がちらほらいることでしょう。
サンスクリット語でこの言葉を「行為」、または行為の結果として蓄積される「宿命」と訳します。行為、所作、意志による身心の行い、および意志による身心の生活を意味する言葉であり、その概念は仏教での大きな基盤のひとつです。
インド最古の宗教バラモン教について興味のある方はこちらもご覧ください
自分の行った事は返ってくる
その概念を一言で表すとするならば、「因果応報」の言葉につきます。善い行いにせよ、悪い行いにせよ、自らの行動は、いずれ自らに帰ってくる。これを仏典では「カルマ」と呼ぶのです。そしてそれを日本語にすると「業」となるのです。
果報と対になる言葉
対になる言葉、また概念として「果報」という言葉があります。「果報は寝て待て」なんて言葉で馴染みがありますが、その意味は「運のよいこと、またその幸せな様」です。仏典での概念は同じく「因果応報」のことをいいまずが、その違いは前世の「罪」ではなく、前世の自分の行いによって生じた「報い」のこと。
「業が深い」の類義語や英語表記
仏典で扱われる言葉、概念、仏教用語、などとそれだけを聞くと非常に難しそうに聞こえるかもしれません。こちらのセクションでは、類義語などを用いて多方面からその意味についてフォーカスし、解説をさせていただきます。
類義語
まずは類義語から言葉の意味を探っていきたいと思います。仏典の概念だけではいまいちピンとこないでしょうから、もう少し日本語で意味合いの似たニュアンスのものをご紹介させていただきます。
罰当たりな
罰とは悪い行いにより、神仏から懲らしめを受けることを指します。意味は罪が当たるのが当然のことと思われること、または悪事の応報を受けることをいいます。「悪いことをしたら罰が当たるぞ」などと、昔はよく言われたのではないでしょうか?
非道徳な
道徳とは社会生活を営む上で、ひとりひとりが守るべき行為のことを指します。こちらも「悪いこと」と大体似通った意味合いですが、非道徳となると、もう少し深刻な悪事を指すことが多いです。先ほどの罰当たりが些細な罪であるのならば、こちらは人間相互の関係性にヒビを入れかねない悪事を指します。
英語表記
ではこの仏教的な考えである「業」ですが、英語表現とはどんなものでしょう?またこういった概念は英語のみならず、外国語に落とし込む過程でどこかニュアンスが変わってしまうことが多々あります。その表現は、どういったときに使われているのかも、併せて解説致します。
be sinful
英語表記での「業が深い」です。他にもこれは「罪深い、罪のある、罰当たり、勿体ない」などといった使われ方もします。「勿体ない」といった使われ方がよく見受けられますが、その他には、キリスト教の聖書に頻繁に使われる表現です。
業の分類①『三業』
三業とは仏教の教えの一つです。主に三種類に分けられ、その種類は「身、口(あるいは語)、意」。これら三つが降りかかる一切の業として教えられています。ではこちらではその三種の内容について詳しく解説致します。
身(しん)
身体に関わる行為のこと。起き上がる、食事をする、歩くなど、身体の行いのことを言います。今現在、貴方は何をしているでしょうか。パソコン、携帯、または何か違うものでこの記事を読んでいることでしょう。これを即ち『身業』といいます。
口(く)
これは言語に関わる行為のこと。言語での表現、口での行い、つまりは話すことを指しています。人間は集団で生きる生き物。話すことが一般的に一番よく使われるコミュニケーションですから、日々この『口業』を行っていることでしょう。
意(い)
意思に関わる行為、心意作用のことを指します。またそれは「心の行い」とも例えられ、物を思う、喜怒哀楽を感じるなどといった意思というとわかりやすいのではないでしょうか。これらを即ち『意業』といいます。
業の分類②『十悪業』
では日ごろの行いの三種類を理解したところで、次は人間が侵す罪についてのお話です。この「十悪業」とは、人間が侵す十の罪「十悪」の行いのこと。この十悪業は先ほどの三業の中に分類された悪業のこと。先ほどの三種類に分け詳しく見ていきましょう。
十悪『身業』
これは身体の行いであると先ほども紹介致しました。堅く戒めた悪業のうち三つがここに当てはまります。それは「殺生、偸盗、邪淫」。これについての読みと、その内容について詳しく解説致します。
殺生
せっしょう。聞いたことがあるかもしれません。これの意味は「ありとあらゆる生き物を殺す」こと。また、他の意味として「残酷であること、むごいこと、可哀想であること」を表し、仏教では最も重い罪の一つとされています。
偸盗
ちゅうとう、または、とうとう(偸盗の慣用読み)と読みます。意味は「人のものを盗むこと、またその人のこと、ぬすびと」こと。また、他の意味として「自我により、他者の心を束縛する」ことを表します。
邪淫
じゃいん。男女間で淫らな性交を行ってはならない、淫らな心を起こすこと、また男と女に限らず「相手に性交の共用をしてはならない」ことを示しています。その他、不倫や横恋慕、破廉恥な行為などについても禁じられています。
十悪『口業(語業)』
これは口での行い、即ち話すことをいいますが、十のうち四つの悪業がここに当てはまります。「妄語、両舌、悪口、綺語」、こちらではこれについての読みと、その内容について詳しく解説致します。
妄語
もうご。「嘘をつくこと、詭弁で人の心をみだりに惑わしたり、いたずらに他人を騙すこと、そして人を騙すために嘘をついてはならない」ということを示しています。他にも、妄舌、妄言などと記されます。
両舌
りょうぜつ。二枚舌、という言葉をご存知でしょうか?「両の舌」と書くだけあり、この言葉と同じ意味を持ちます。これは二枚舌を活用し、双方の人間で争わせたり、離れさせたりすること。他人を中傷することを表しています。