市橋達也の生い立ちや現在は?リンゼイ・アン・ホーカー殺害事件の判決も

市橋達也は「リンゼイ・アン・ホーカー殺害事件」で無期懲役判決を受けました。両親が医者で裕福な家庭に育ち、自身もエリートの市橋達也が、なぜ犯行におよび2年7カ月もの間、逃走する事態となったのでしょうか。この記事では、市橋達也の生い立ちから現在までを解説します。

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市橋達也とは?「リンゼイ・アン・ホーカー殺害事件」の犯人

市橋達也が一体どのような人物なのかと言うと、なんと複数名もの刑事の包囲網をかいくぐり、数年の逃亡生活を続けたことで知られる人物です。そしてこの逃亡生活の中で起こした外国人女性を殺害した事件の犯人だという点も含めて有名となっていきます。

市橋達也の経歴は、医者の両親のもとに生まれ、裕福な家庭の中で将来は医者になるよう期待されていたものの、大学受験に失敗し、夢をあきらめ別の学部のある大学へと進学します。しかし卒業した後も仕事をせずに両親から贈られてくるお金だけを頼りに無気力な生活を続けていました。

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そして業を煮やした両親にお金を送ることを終わりにすると告げられ、同時に両親のお金で借りていたマンションからも立ち退くように言われます。このような状況の中、彼を有名にする事件が起きることとなります。では次からはこの事件の内容について詳しく触れていきます。

市橋達也の起こした「リンゼイ・アン・ホーカー殺害事件」の概要

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ここまで市橋達也の経歴やどのような人物なのか、簡単にではありますが紹介をして行きました。ではここからは市橋達也の名前が悪い意味で広く世に知られることとなった女性を殺害した事件について、この人物がどのように関わっていったのか、その詳細を見ていきます。

被害者のリンゼイ・アン・ホーカーさんは英会話講師

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では本題に入る前に被害者である女性はどのような人物だったのかについてですが、彼女は日本で英会話を教える学校の教師として勤務していました。そしてこれとは関係なく今回の事件の犯人である市橋達也に個人的にレッスンをしていました。この際の料金は3500円で、両親から贈られるお金のない彼にとっては決して安くはない料金でした。

市橋達也は駅で見かけたこの女性に声をかけて、洗濯機を治したことを覚えていないかと話し始め、女性は知らないと答えてその場を後にしようとしますが、彼はそのまま後を追いかけ話を続けました。

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その際には絵の勉強をしていてその為に英語が必要であり、勉強を教えてほしいと話し水だけでももらえませんかと話す彼に女性は水を渡し、勉強を教えることを約束することとなったのです。この時に市橋容疑者は勉強を受けるのと引き換えに自分の電話番号と彼女の似顔絵を描いて渡していました。

個人レッスンで「レッスン代を忘れた」と自宅に誘い込む

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複数回の連絡を取りあい、1回3500円で勉強を受けることに決まるのですが、ここから今回の事件は起きることとなってしまいます。21時ごろにカフェで英語の勉強を受けた後、市橋容疑者は唐突に今回の授業の代金を忘れてしまったと話し、家まで一緒に来てもらいたいといったのです。

このカフェに男性と英会話を教えていた女性がいたことは店に設置されたカメラで分かっており、22時を回りそうな時刻になると市橋達也の住んでいる家のマンションに備え付けられているカメラにも二人の姿がはっきりと映っていたそうです。この事から男性の自宅へと向かって言った事は間違いないことが分かります。

市橋達也のマンションにリンゼイさん監禁の後に殺害

こうして市橋容疑者が英語の授業料を忘れたことから自宅へと向かう事になったのですが、男性は自宅へ彼女を招き入れると態度を豹変させ、床に押し倒してすでに用意していた結束バンドを使って女性を縛って動けなくしたのです。その後彼は女性に対して性的な暴行を行うという最悪の行為を行っています。

この行為の後、市橋達也は外国人女性を監禁する為に風呂場から付けはずしの出来る浴槽を部屋までもってきてその中に女性を入れて16時間その中に入れ続けたのです。その後縛っているのをほどいてほしいと話す女性に対して暴行をするなど卑劣な行動を繰り返していくこととなります。

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早朝に差し掛かったころ、女性を縛っていた手をようやくほどいた際に女性が逃げようとしたことに逆上した市橋達也は首を締めあげて彼女を殺してしまいます。後の取り調べではこの時には殺す気はなかったとも発言しています。女性を殺した後には交際していた彼女に1週間会う事ができないといった事を連絡しています。

市橋達也はリンゼイさんの遺体を浴槽に埋葬

女性を殺害した後、市橋達也は彼女の死体を隠すために近所のホームセンター内でかなりの量の道具を買っています。しかし購入したものの中にはなぜか苗木が入っているなど用途がよくわからないものもあり、恐らくはこの時点では気が動転していたのではないかとも推察できます。

そしてこれらを家まで運んできた男性は女性を縛り付け閉じ込めていた浴槽をベランダまで運び出し、そしてその場所に勝ってきた大量の土をかぶせて女性の死体を隠そうとしたのです。また、買ってきたものの中に消臭剤が入っていたことから、臭いに関しても対策をしようとしていたことが伺えます。

市橋達也宅に警察が訪問し裸足で逃亡、トイレでセルフ整形へ

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このようにして死体を隠した市橋達也ですが、この事件はすぐにばれることとなります。というのも殺された女性の友達が連絡の取れなくなった彼女を心配して警察に調査を依頼していたのです。女性の家には市橋達也の情報の書かれたメモや似顔絵といったものから場所を特定し、家に向かう事になりました。

市橋達也の家には複数名の刑事たちが訪れますが、マンションの共有スペース内で男性と鉢合わせになり男性の部屋に入ろうとしたところ、彼は裸足で逃げ出しました。刑事複数名を振り切ってマンションの非常階段から駅の方へ逃げ、隠れていたところを取り押さえるものの再び振り切って逃走に成功していました。

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なぜ市橋達也がここまで逃げ切ることが出来たのかについてですが、彼は高校時代足の速さで有名だったらしく、複数名の警察を振り切るほどの足の速さを有していたのです。そして逃走中に彼女に電話をかけ助けを求めたものの、つながることはありませんでした。

そして逃げ延びた後、市橋達也は身を隠すために自分で無理やり鼻を切り裂いて縫い付け、顔の雰囲気を変えるといった自己流の方法で顔を変え、各地を転々とすることとなります。その後も男性は幾度も自分で顔の作りを変え、人の目を欺き続けました。

市橋達也の2年7カ月の長い逃亡生活はフェリー乗り場で終結

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こうして始まった市橋達也の3年近くにものぼる長い逃走生活ですが、その最期は船の乗り場での逮捕でした。大阪へ向かう船の乗り場で男性が何も手荷物を持っていないことを怪しく感じた一般の乗客が警察に連絡をしたことがきっかけとなって捕まることとなったのです。

こうして長きにわたる逃走の末に捕まった市橋達也ですが、彼が輸送される車両に衝突したとしてテレビ局員の男性が逮捕されています。彼は映像を撮るために入ってはいけない栓を越えてしまい、それを止めた警備員を突き飛ばし輸送車の窓を何度も叩いたために公務執行妨害で取り押さえられました。

こうした経緯からテレビ関係者が逮捕されたのですが、そのほかにも現場はかなりの混乱だったと言われています。捕まった男性以外にも、新聞会社に勤務している男性が混雑の中に巻き込まれて右手の骨にひびが入る怪我をするなどしていました。

この事件に関してもっと深く知りたいという方はこちらの記事もチェックしてみてください。

市橋達也の事件後の裁判での様子と判決は?

 

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こうして逮捕された市橋達也は裁判にかけられるのですが、どうやらこれまでの逃走についての記述を手記にして発表していました。これによって出た利益は全て女性の家族に支払うと話しており、償いの気持ちからの行為なのだそうです。

また、裁判に関しては市橋達也が大学に在学していた頃にお世話になった恩師ともいえる教師が支持をする活動を行っていた事でも知られています。ではここからはこの事件によって開かれた裁判について、順を追って説明していきます。

市橋達也の初公判での供述により殺害までの経緯が判明

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2011年の7月に行われた最初の裁判内では男性自身の口から今回の殺人となぜその行為を行ったのかについての経緯が説明されることとなり、今回の殺人について殺意の有無を確認するといった事を話しました。殺意に関してはその当時はないと話すものの、性的な暴行をしたことについては認め、行為が終わった後に罪悪感が生まれたと話しました。

殺すまでの経緯について、当初は性的暴行についてなんとか許してもらおうと監禁後に話しかけたりなどして関係を築こうとしたと話します。その後前述したように縛っている手と足を開放して欲しいという要求をされるもののだめだと答え、次第に要求をのめない状況に苛立ちを覚え始めます。

苛立ちを紛らわせるかのように何度か彼女の顔を殴るなどした市橋達也はその後早朝まで眠り、起きた時に這って外に出ようとする彼女を発見し覆いかぶさったそうです。それでも大声を出して逃げ出そうとする女性を止めようと体を締めたのですが、この時はどの部分を占めていたのかわからなかったと話しています。

その後暴れていた女性が動かなくなったことに気づいた市橋達也は慌てて救命の為の活動を行ったのですが間に合わず、彼女は死んでしまったのだそうです。このような経緯で殺人を犯してしまったのですが、内容を裁判中に話しているときは時折涙を浮かべる場面もありました。

市橋達也の第3回公判でリンゼイさんとの出会いが判明

2回目の裁判内では殺された女性の死体の状況を解剖に携わった女性の医師が出席し、説明をしました。その中ではどの部分に男性から暴力を受けたのか、詳しく説明を行い、そこから弁護士側と検察の両方面が核心に迫る言葉を引き出そうとしていました。

3回目の裁判内では女性と犯人がどのようにしてであったのか、その経緯を話しています。最初に出会ったのは男性が住んでいる地域の近所の駅付近だったようで、市橋達也から些細な事をきっかけに自転車に乗っていた女性に話しかけ、前述したように英語の勉強を個人的に頼むという話をしたようです。

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その後女性の家に向かった男性ですが、家には一緒に住んでる同じく外国人の女性が2人おり、どちらも市橋達也に対してあまり良い印象は持っていませんでした。彼は少しでも場の雰囲気を柔らかくしようとするために前述した女性の似顔絵を描いたのだそうです。

市橋達也の第4回公判で事件後の心境を供述

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4回目の裁判では犯人の今回の事件を起こした後について詳しく語られました。女性が死んでしまった事がわかった際、市橋達也は気が動転してそのまま気絶をし、目が覚めたのはそれから半日が過ぎた午後14時頃だったそうです。市橋達也はこの時現実で会ってほしくないと思い、まだ気が動転し続けている状況でした。

そして事件の中で警察からなぜ逃げたのか尋ねられた際には腕をつかまれた時に女性の顔が浮かび、恐怖を感じそのまま裸足で逃げ出したと話していました。これを話しているときに男性は自分自身を卑怯だと言い、涙を目に浮かばせながら答えていました。

市橋達也の第5回公判でリンゼイさんへ謝罪した

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5回目の裁判では市橋容疑者が遺族や女性に向けて書かれた手紙が読まれる事になり、その文面には市橋達也の謝罪の言葉が述べられていました。手紙が読まれた後になにか他に伝えておくことはあるかと聞かれ、彼女が恐怖していたという事について改めて謝罪し、罪に一生かけて向き合っていくといった事を話しました。

また、刑が確定した後どのように罪を償っていくのかといった事に関しては殺されてしまった女性やその両親の気持ちを考えていくことで責任を果たしていきたいと話し、この中で市橋達也は自身の親とは会っておらず、会う資格はないとも話していました。

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そして市橋達也の刑が決定した後に男性は女性の両親に再び謝罪の意味を込めた手紙を送っていたそうなのですが、受け取りに関してはこれまでと同様に拒否されていました。彼のこれまで行ってきたことを考えれば、当然のようにも推察できます。

市橋達也に無期懲役の判決が確定

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こうして行われてきた裁判の結果、市橋達也には無期懲役の宣告が下されました。事件が起こってから5年もの時間が経ってのことでした。この判決に至った理由としては、市橋達也が彼女を殺意を込めて首を絞めたことは明らかで、救命行為についてもその証拠がどこにもなく、嘘だと判断されたためこの判決に決定されました。

また、女性の両親は男性のこれまでの言動は刑をできる限り軽くするためのもので信用ができないとしてより重い刑にするよう裁判所に要求するものの、市橋達也にはこれ以外の罪状がなく、殺された人数も1人の為この刑が最も重いと説明しました。このような経緯もあって、彼にはこの刑が宣告される事になったのです。

市橋達也の生い立ちや性格は?

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ここまで今回の事件の犯人の裁判の内容について見ていきましたが、市橋達也は一体この事件を起こすまでどのような人生を送っていたのでしょう。見てみると、医者の一家という家に生まれ、不自由のない生活だったことが分かっています。ここからは市橋達也の経歴について見ていきます。

市橋達也の生い立ち①絵をかくのが好きだった幼少期

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市橋達也は岐阜県で生を受け、家族には前述した両親以外にも姉が一人いました。一人息子ということもあり、非常に大切に育てられたことが分かっています。子供の頃のこの人物は絵を描く頃が大好きで、成績も他の子供達よりも抜きんでていた優秀な子供だったようです。

小学校の頃には夢が首相になることと話すなど子供としてはかなりすごい夢も語っており、他の子供達とは少し違うような側面も見せています。また卒業の際に書かれた将来の夢にはオリンピックで活躍する事や別の人生があるなら優秀な人になりたいといった事を書いていました。

市橋達也の生い立ち②優秀だった中学・高校時代

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中学校に進学した男市橋達也はバスケ部に所属し、そこでも優秀な人物として知られていました。また、このほかにも学校の生徒会にも責任のある立場であり、部活動以外にも有主な一面を見せていました。勉強の成績も秀でており、文武両道な性格だったと言われています。

その後高校では進学校に進み、成績の良いものしか在籍できない組に選ばれるなどここでも優秀な存在として知られていました。この頃の市橋達也の夢は医者であり、親と同じ道へ進む気持ちだったようです。また、陸上部に所属しており、足の速さではかなり有名だったと言われています。

市橋達也の生い立ち③4浪して入った大学での挫折

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高校を無事卒業した後市橋達也は将来の夢の為に医学部のある大学の受験を行うのですが、思うようにいかず浪人生としての人生が続くことになり、その後ようやく入学した大学も1年ほどで自主的に退学してしまいます。彼はここで恐らくは人生で初めての挫折を経験します。

そして退学をした後園芸関係の大学に再入学をしています。市橋達也はここで建築などのデザインについて勉強をしており、両親には将来的にはこの道に進むという事を話していました。この大学に関しては卒業をしており、裁判の際に支援をしていた教師ともここで出会っています。

市橋達也の生い立ち④就活失敗後も両親からの仕送りは15万円

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大学在学中に就職活動を続けるものの失敗してしまい、卒業後は無職となった市橋達也は勉強のために海外に一時的に留学をしていたものの特に勉強をするわけでもなくその後帰国をして再び無職となります。その後は事件の起きた家に住み、そこで大学院に行くという名目で暮らしていました。

この頃には両親から仕送りをもらい、それで生活をしていたのですがその金額が15万円という点も市橋達也がこの生活に甘んじていた理由のようにも推察できます。しかし事件が起きる数日前に父親から仕送りを止めるといった連絡が入っており、親もこの金額には何か思うところがあったのだと推察できます。

市橋達也の性格は繊細で頑固で怒りっぽい

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市橋達也の性格についてですが、母親からの話によると繊細な性格でまじめな性格だというのは他の人たちと同じ意見だったのですが、自分の意思を絶対に曲げない頑固な性格だとも話しており、間違った事や嘘をつかれるなどすると感情が抑えられなくなるといった怒りっぽい一面もあったようです。

また、市橋達也のここまでの性格を作り上げた要因は両親のあまりにも甘すぎる環境にもあると推察されます。仕送りといってもあまりにも高すぎる金額や自分の思い通りにいく環境だったことから、市橋達也の自分の意見がまかり通る頑固な性格ができあがったようにも推察できるのです。

その他の殺人犯の生い立ちについて知りたい方はこちらの記事もチェックしてみてください。

市橋達也の2年7カ月に及ぶ逃亡生活と繰り返された整形

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この人物を元も有名にしたものとして、約3年近くもの間日本中を逃げ続けていたという点があります。どうやら自宅から逃げ始めた際、身に付けていた衣服を脱ぎ捨て、近くのごみ置き場から新しい服を手に入れた格好で逃げ始めたそうです。

その後放置されている自転車や時には徒歩で逃走を続け、最初は秋葉原の方面へ逃げるルートを取っていました。ではここからは市橋達也が逃げた道筋について、どのような経路をたどったのか詳しく見ていきたいと思います。

市橋達也の逃亡生活①北関東から静岡へ南下の後に青森へ

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市橋達也はまず関東の北部を転々とした後、熱海を経由して静岡の方面へ向かいました。静岡まで逃げ延びることに成功した彼は、次に逆に北上を開始し、青森まで逃げることを決めたのです。理由としては九州にいる友人に対して連絡を取っており、南下することを予想される恐れがあったことを危惧してのことだったと推察されます。

その後青森に行くためにまずは新潟県まで進み、その後目的地にしていた青森まで捕まることなくたどりつくことに成功しています。そしてしばらくは付近の公園で寝泊まりをしており、その後は当面の生活費を稼ぐために大阪の西成へ男性は向かいます。

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大阪へも何事もなくたどりつくことに成功した市橋達也は職業を見つけるために施設を何か所か回るものの、ここでの勤務で足がつくことを恐れたからか仕事をする事はせずにそのまま四国へとルートを変更し、向かいました。

市橋達也の逃亡生活②青森から四国へと移動しお遍路を歩く

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大阪から四国まで流れ着いた市橋達也は今回自分が犯してしまった犯罪に向き合うという意味を込めて高知県からお遍路を歩きはじめます。しかしこの試みに関しては途中であきらめてしまっていたようで、付近で自分の情報が書かれた紙を見つけ、ここも危険だと感じた彼は再び別の場所へ逃走を開始します。

また、この時になぜ罪の意識を感じて生産の意味を込めた行為を行ったにもかかわらず出頭をしなかったのかについては、もしそれを行っても刑は軽くならないからだということから行わなかったそうです。この点から罪の意識は根本的にはあまり感じていないようにも推察できます。

市橋達也の逃亡生活③オーハ島生活と大阪の日雇い労働を繰り返す

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次に市橋達也が向かった先は、なんと沖縄の島でした。彼は逃げ続ける生活の中で島で一人で暮らすという方法を思いつき、実行に移そうとしたのです。その為に逃げている最中生き残るための技術を学ぶために本を読んで勉強をしており、実際に数か月間もの間島で暮らせていたことからもそういった能力は高かった事が伺えます。

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