試合開始から柳龍拳が技をしかけに行きましたが、岩倉豪に見切られててしまいそのまま放ったパンチが柳龍拳の顔面にヒット、出血をし一旦レフェリーが止めに入ります。
続いて試合が続行すると最初のパターンと同様にまたもパンチがヒット、柳龍拳が立ち上がれず試合は終了します。
探偵ファイルの編集長山本が対戦のきっかけ
きっかけとなったのは探偵ファイルという芸能ニュースを取り扱うサイトの編集長が対戦相手を募集している柳龍拳に対決を申し出たことです。
この編集長の名は山本陽介といい、格闘技経験者でもありました。また柳龍拳側も自身のホームページで募集相手を煽るような発言をしており、それが山本の心に火をつけたのかもしれません。
元は編集長山本が対戦するはずだった
そのまま柳龍拳と山本の対決が行われるのかと思いきや、調整が上手くいかなかったり、双方の意見が思うようにかみ合わないなどの事態が起こりもめてしまいます。
山本に格闘技を教えていた岩倉豪がその事態を収めるように動きますが、山本は「それなら、お前が代わりに出ろ」という指示をだし、直前で試合相手が変更になりました。
柳龍拳公式HPではわざと負けたと説明
その試合の後、柳龍拳公式HPで「決闘罪になるからわざと負けた」という文が発表され、これは試合前に決闘罪であると警察が判断しそうなる前にわざと殴られることで警察沙汰になるのを抑えた、というものでした。
結果としてけがを負ってしまい同情の目が向けられていた柳龍拳ですが、この件で世間からは「卑怯だ」などという言葉が飛びました。
柳龍拳の生い立ち
そんな多くの人を騒がせた柳龍拳ですが、彼にもしっかりとした生い立ちがあります。
1941年にサハリンに生まれ、親や祖父が柔術などを他の子供に教えている傍ら、自身も空手を学んでいました。またそのころから高い実力はあったようです。
実家は樺太の道場
実家は樺太の道場を開いており、武術系の家系でもあります。
そのため家族のほぼ全員が空手を習っており、柔術に関しても高い知識を持ち、地元の門下生たちにしっかり指導を行っていました。
また過酷な環境で育ったこともその強さに起因するものでした。
クマと戦うのが普通の環境で育つ
実家はクマと戦うことが普通というほどの過酷な環境で、柳龍拳の父は夜に道場にやってくるクマを銃と鉈を使い倒していたそうです。
そんな厳しい状況に陥っても戦う父の姿を見て育った柳龍拳は、自身も子供のころに猟犬を倒した経験があるそうです。
僧侶として修業を積む
柳龍拳はその後北海道の釧路に移住し、18歳のときには出家、僧侶となり修行をつむことになります。
その出家をした理由として柳龍拳が語っているのが、「夜な夜な幽霊をみかけるようになったから」というものです。
またその頃出会った別の僧侶の影響で気功を学び、それが合気道の基となりました。
柳龍拳は結局インチキなのか?本当の能力は?
ここまでは柳龍拳の人物像や生い立ちを説明していきましたが、続いては肝心の部分である「柳龍拳は本当に人に触れることなく倒すことができるのか」という点に注目してみていきます。
特に「インチキなのではないのか?」という話はよく話題に上がるので検証していきたいと思います。