柳龍拳とは
「柳龍拳」とは格闘技ファンの間などで一時大きな話題となった人物で、「相手に触れることなく相手を倒す」という技を使います。
また合気道家や霊能師としての肩書も持っていますが、そのほかの素性はわからないことも多く謎の人物であると世間の注目を集めました。
大東流合気道の達人
その実力はとても高いという前評判があり、珍しい流派である大東流合気道の達人であるという主張を行っていました。
触れずに相手を倒すというのも「気」を操ることによって可能なことであり、この大東流合気道もまた気を操る合気道の一つです。
手を触れずに200人以上の格闘家に完全無敗
手を触れずに倒せるということでその映像も公開されており、さらには200以上の格闘家にも完全無敗であるという主張も行っています。
他の流派とも対戦経験が豊富でその実績も確かなものであると公言していました。
人気漫画「バキ」のモデルにも
人気格闘漫画「バキ」のキャラクターである渋川剛気のライバルキャラとして登場する「柳龍光」は柳龍拳がモデルであるといわれています。
しかしこのキャラに似ているのは名前と外見のみで、合気道などは使わず暗殺術を基本に戦います。
また漫画のモデルになった人物としては牛島辰馬も有名です。興味がある方はぜひこちらもご覧ください。
柳龍拳の大東流合気道とは
大東流合気道の達人という経歴もあり、その実力も確かであると主張していますが、歴史的にはこの合気道のもとには「武田大東流」という武術があります。
これは武田勝頼の二男である武田竜芳が伝えたといわれる武術で、この大東流の武術は第十五世宗家の小林大竜が継いでおり、柳龍拳はその弟子でもあります。
戦国時代からの武術
また柳龍拳の大東流合気道は歴史的にも有名な戦国武将である武田信玄の家臣、大東久之助が伝えたものであると言われています。
大東流を語る流派は他にも様々なものがあり、源頼義の息子であり、新羅三郎義光を称する源義光から始まり武田信玄が伝えたとする藤原会の「大東流」も有名なものの一つです。
一般的な合気道とは異なる
通常の合気道は日本の武道家で「開祖」と敬称される植芝盛平の武術から始まったものですが、「大東流」の名を持つものは上記にもある通り、植芝盛平が活躍した大正末期から昭和の時代よりさらにさかのぼったものであるので、一般的な合気道とは異なります。
柳龍拳と総合格闘家岩倉豪の勝負の結果は!?ボコボコにされた?
そんな映像や証言でしか語られなかった柳龍拳が公の場に現れ、一度だけ試合を行ったことがありました。
札幌にある体育館「きたえーる」の柔道場にて、ブラジリアン柔術を得意とするアマチュアの総合格闘家、岩倉豪を相手とした他流試合です。
そしてその結果は予想外のものとなりました。
柳龍拳の惨敗
札幌の公共体育館で行われた試合は結果として柳龍拳の惨敗に終わりました。
試合開始から柳龍拳が技をしかけに行きましたが、岩倉豪に見切られててしまいそのまま放ったパンチが柳龍拳の顔面にヒット、出血をし一旦レフェリーが止めに入ります。
続いて試合が続行すると最初のパターンと同様にまたもパンチがヒット、柳龍拳が立ち上がれず試合は終了します。
探偵ファイルの編集長山本が対戦のきっかけ
きっかけとなったのは探偵ファイルという芸能ニュースを取り扱うサイトの編集長が対戦相手を募集している柳龍拳に対決を申し出たことです。
この編集長の名は山本陽介といい、格闘技経験者でもありました。また柳龍拳側も自身のホームページで募集相手を煽るような発言をしており、それが山本の心に火をつけたのかもしれません。
元は編集長山本が対戦するはずだった
そのまま柳龍拳と山本の対決が行われるのかと思いきや、調整が上手くいかなかったり、双方の意見が思うようにかみ合わないなどの事態が起こりもめてしまいます。
山本に格闘技を教えていた岩倉豪がその事態を収めるように動きますが、山本は「それなら、お前が代わりに出ろ」という指示をだし、直前で試合相手が変更になりました。
柳龍拳公式HPではわざと負けたと説明
その試合の後、柳龍拳公式HPで「決闘罪になるからわざと負けた」という文が発表され、これは試合前に決闘罪であると警察が判断しそうなる前にわざと殴られることで警察沙汰になるのを抑えた、というものでした。
結果としてけがを負ってしまい同情の目が向けられていた柳龍拳ですが、この件で世間からは「卑怯だ」などという言葉が飛びました。
柳龍拳の生い立ち
そんな多くの人を騒がせた柳龍拳ですが、彼にもしっかりとした生い立ちがあります。
1941年にサハリンに生まれ、親や祖父が柔術などを他の子供に教えている傍ら、自身も空手を学んでいました。またそのころから高い実力はあったようです。
実家は樺太の道場
実家は樺太の道場を開いており、武術系の家系でもあります。
そのため家族のほぼ全員が空手を習っており、柔術に関しても高い知識を持ち、地元の門下生たちにしっかり指導を行っていました。
また過酷な環境で育ったこともその強さに起因するものでした。
クマと戦うのが普通の環境で育つ
実家はクマと戦うことが普通というほどの過酷な環境で、柳龍拳の父は夜に道場にやってくるクマを銃と鉈を使い倒していたそうです。
そんな厳しい状況に陥っても戦う父の姿を見て育った柳龍拳は、自身も子供のころに猟犬を倒した経験があるそうです。
僧侶として修業を積む
柳龍拳はその後北海道の釧路に移住し、18歳のときには出家、僧侶となり修行をつむことになります。
その出家をした理由として柳龍拳が語っているのが、「夜な夜な幽霊をみかけるようになったから」というものです。
またその頃出会った別の僧侶の影響で気功を学び、それが合気道の基となりました。
柳龍拳は結局インチキなのか?本当の能力は?
ここまでは柳龍拳の人物像や生い立ちを説明していきましたが、続いては肝心の部分である「柳龍拳は本当に人に触れることなく倒すことができるのか」という点に注目してみていきます。
特に「インチキなのではないのか?」という話はよく話題に上がるので検証していきたいと思います。
柳龍拳は触れずに人を倒すことができる?
柳龍拳は大東流合気道を使い、相手に触れることなく倒すことができます。百聞は一見にしかずと言いますので、実際に映像を見ていただきましょう。
いかがでしたでしょうか?映像にもある通り直接触れることなく次々に相手をなぎ倒していきます。また相手を気で拘束するような技も使うようですね。
「糸巻き」攻撃は本当?
また柳龍拳の攻撃の代表的なものに「糸巻き」と呼ばれるものがあります。
これは指でくるくると糸を巻くような動作を行うと、相手も同様に体がねじれるような動きをして倒れてしまう、というもので、これも相手に触れずに相手を倒すという原理を使ったものです。
柳龍拳の合気道は催眠術なのか?
「気」を使う武術であるという柳龍拳の合気道ですが、これは催眠術なのではないか?という声もあります。
実際に相手に触れずに倒すということはどう考えても無茶に思えてしまいます。それをなんとか説明しようと思うとたどりつくのが催眠術なのです。
戦った人の証言
そして実際に柳龍拳と戦った人も、あの技は催眠術が使われていると証言しています。しかし催眠術と言ってもその効き目は人そろぞれなので、中には効かない人もいます。
そういった人のケースの場合は周りの目を気にするあまりわざと負けた、という事態も起こっていたようです。
催眠術にかかると触れずに倒される
その催眠術というのは実際に柳龍拳が戦っている姿を見学することでかかってしまいます。