人食い殺人鬼・アルバートフィッシュの事件|背景には異常すぎる性癖と生い立ちが

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とうとう殺人に終止符が打たれた犯人。数々の子供を殺して将来有望な命を奪っていった彼ですが、逮捕後はどうなったのでしょうか。当然彼が受けたのは死刑判決。逮捕後のあらましを紹介していきましょう。

1935年に10日間に渡って行われたアルバートフィッシュの裁判

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1935年に行われた裁判はわずか10日という期間で終わったといわれています。しかし短期間とはいえ、彼が正気かどうかなど数々の精神状態に関する情報が問われ、審議の判断が難しかったといわれています。

精神異常を裏付けるのが彼の性癖です。精神科医が言うにはマゾヒズムや、ペドフィリア。そのほか糞尿性愛についても精神科医が証言しており、精神状態に異常をきたしていたのではないかという点が争点になったのです。

虐待の被害者であることや精神異常を主張したアルバートフィッシュ

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精神科医による主張が行われた裁判ですが、その主張内容と一緒にあったのが犯人自信の首長でした。彼は幼少期虐待に合ったことを主張し精神異常をきたしていることも主張したのです。

それを裏付ける情報も確かに今回の裁判中に精神科医が持ってきた情報の中に合ったようで論争が行われるようになりました。犯人本人から弁護士に対して、かつて自分も虐待の被害者であることを伝え、陪審員に伝えてほしいなどの希望もあったそうです。

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さらに精神異常に関しても彼には色々な情報が問われています。というのも現実的なことを言いながらも、彼は犯行は神の啓示のもとに行ったなどと供述する一面も持っていたのです。

さらにこれに加えて、犯人の異常なる性癖は、不幸な家庭環境に起因するものだとも情報がありました。当人の気室によるものでなく、後天的に植え付けられたものであり彼もその被害者であるという情報も述べられたのです。

アルバートフィッシュは死刑判決に!電気椅子に興奮していた?

上記のような数々の情報が争点に挙げられる中、死刑に判決が下るわけですが、その経緯は短いながらも非常に困難を要したといわれています。というのも見た目に騙されて冤罪に加担したくないという理由で、辞退する陪審員すらもいたからです。

確かに世間的には、彼の死を希望する者は数多くいました。しかし裁判に参加する人間には精神異常やこれまでの不幸などの情報を聴く中で、彼もただ殺人を犯した愉快犯ではないことはわかっていったのです。

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以上のような経緯で最終的には死刑判決が下った犯人ですが、その後も彼は不服を唱えつつも死刑にはかなりの興奮を示していたと語られています。死刑には電気椅子が用いられるのですが、その椅子に対して異常な興奮を抱いていたようなのです。

座る日を楽しみにしていたともいわれており、本人も当日椅子に座って固定される際に最高のスリルだと語ったそうです。さらに、死刑執行時には興奮のあまりに激しく勃起していたともいわれています。

アルバートフィッシュの生い立ちとは?精神疾患の多い家系に生まれた?

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凄惨な事件を起こした犯人ですが、裁中に彼の過去の遍歴など様々な情報が探られあました。決してすべて許されるようなことはありませんが、彼がいかに精神失火としてなったのか、またひどい目に合ってきたのかといった経歴を紹介しましょう。

精神疾患の多い家系で生まれたアルバートフィッシュ

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実はこの人が生まれたアルバート家は一家そろって精神疾患を患っていたといわれています。彼が誕生したのは1870年5月10日。その当時、父親は75歳で母親は32歳だったといわれています。

そして、12人もの兄弟に恵まれた環境だったのですが、それぞれ精神疾患にかかっていたそうなのです。幻覚症状に悩まされる母親、躁うつ病の父親、そして兄弟たちは精神薄弱者と診断を受けていたといわれています。

アルバートフィッシュは父の死後に孤児院へ行くことに

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精神疾患に悩まされた環境にいながらも一生懸命に生きてきた少年時代でしたが、5歳になったころ、彼は孤児院に行くことになります。孤児院の名前はセントジョン孤児院と言い、彼の父親が80歳の時に心臓発作で亡くなったことが大きなきっかけでした。

厳しいしつけ?孤児院で鞭による体罰を受けていた

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セントジョン孤児院に行くことになるアルバート少年ですが、底は彼にとって決して恵まれている環境ではありませんでした。厳しいしつけと称して激しい体罰が横行していたからです。

何かすれば体罰と称して鞭で打たれ、多くの子供たちがその体罰を恐れる生活を送っていたのです。そして、彼もまた同じくその対象であり、体罰を受けることとなりました。しかし、彼にとってはこの体罰は悪いものばかりではなかったそうです。

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というのも、彼は鞭による体罰を受けるたびに次第に快感を覚えるようになったといっています。そして、その興奮は、自分が鞭で打たれるだけでなく、他の子どもたちが体罰を受ける姿にも興奮を覚え始めるようになったのです。

彼のサドやマゾ思考はここで形成されていくことになります。実際に本院もこの思考に対して語っており、他の子どもたちが嫌がる体罰も楽しみにしているのは自分だけといっていたのだそうです。

安定した職を手にした母がアルバートフィッシュを引き取りに

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孤児院でひどい体罰を受けながらもサドやマゾ思考を身に着けた彼でしたが、その後7歳まで孤児院で生活をしたのち母親が迎えに来ることになります。母親が政府関連の安定した仕事を手にしたことでアルバート少年を引き取りに来たそうなのです。

少しずつ狂いだしたアルバートフィッシュ?異常な性癖に目覚め始める

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改めて家族たちに囲まれて生活を送り始めるアルバート少年ですが、しかし徐々に異常な性癖に目覚め始めます。それは、兄弟たちによる影響などいろいろな環境によって彼は次第に狂っていったのです。

兄が語った人食いの話に興味を持ったアルバートフィッシュ

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孤児院からの生活を終えて数年ぶりに兄弟や親との生活を始めることとなったアルバート少年ですが、時を同じくして、除隊されて帰ってきた兄の存在がありました。兄はアルバート少年に対して戦争体験やポルノ写真など非常に多くのことを話してくれました。

その中には、実際に戦争の地であった食人についての情報もあったそうです。そして、アルバート少年はその食人の情報にひどく関心を持つようになり、食人への興味を芽生えさせていくのです。

12才の頃に出会った少年から大きな影響を受けることに

さらに12歳のころに新たな性癖に目覚め始めます。それが糞尿性愛と両性愛です。12歳のころ、アルバート少年は売春宿で電報配達人として働いていた少年と出会い、彼にとって初めての性行為を経験することとなります。

その相手の少年が、まさに食糞と飲尿の性癖を持っていたのです。アルバートもその影響を受けるようになったのです。これをきっかけに、彼は公衆トイレの男児を除くようになったともいわれています。

1890年に男娼として働き始めたアルバートフィッシュ

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1890年の彼が19歳になったころ、家族でニューヨークに移住を始めます。そして、そのころから彼は男娼として働き始めます。もともと15歳くらいの頃から、自分は年下の男の子が好きだと自覚し始めた少年は、何度か強姦を繰り返していたそうです。

それはニューヨークでも実行しており、ホームレスとみられる男児を言葉巧みに誘い出し襲っていたともいわれています。こういった行為をしながら、ついには男娼として働き始めることとなるのです。

アルバートフィッシュは28才のときに切断された男性器に夢中に

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彼が28歳の時を迎えたころ、またしてもすさまじい性癖を持つこととなります。それは偶然の出会いでした。とあるきっかけで訪れた博物館で、医学標本出る男性器を見つけるのです。その標本は縦に切断されており、彼に大きな刺激を与えました。

そして、そこで去勢願望を持つようになったのです。その博物館には以後何度も足しげく通い、恍惚とした表情で医学標本を眺めていたといわれています。そして、これは人体切断への興味の始まりでした。

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彼が起こした事件において、数々の切断行為や男性器を持ち帰るといった行為は、この偶然との出会いによって生まれた性癖だったのです。実際に過去の事件を見返すとそのほとんどで切断行為を行っていることからも証明されています。

9才離れた女性と結婚したアルバートフィッシュ!しかしうまくいかず?

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幼少期から大人になるまで彼の人生に影響を与えた、そして狂い始めた環境を紹介していきましたが、ある年齢の時に実は結婚をしています。一般的な家庭を築こうとしたとした時期があったのです。

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