人食い殺人鬼・アルバートフィッシュの事件|背景には異常すぎる性癖と生い立ちが

人食い殺人鬼・アルバートフィッシュをご存知ですか?アメリカ犯罪史上最悪の殺人犯ともいわれるアルバートフィッシュは、400人もの人間を殺害し、食人した人物です。そのショッキングな内容から今でも話題に上がるアルバートフィッシュの起こした事件の概要や彼の生い立ち、異常な異常な性癖をご紹介します

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目次

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アメリカ犯罪史上最悪の殺人鬼?アルバートフィッシュとは

非常に残忍な事件で、犯人の曲がった性癖など数々の噂があり恐怖の内容となっています。今回は、そんな凶悪犯罪を起こした人物とその事件について紹介していきましょう。

狂気の殺人鬼アルバートフィッシュ!犠牲者は400人を超えている?

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この事件の凶悪さが伺えるのは、犯人の異常なる性癖とその犠牲者の数、そして事件の内容など様々です。過去に類を見ないほどの凶悪な事件であり、数多くの被害者とその遺族が悲しみに包まれました。

その犠牲者はなんと事件発生となる1910年から1934年までの間に400人を超えているともいわれており、多くの被害者が生まれました。そして、その被害者はただ殺されただけでは終わらないケースもあったそうです。

というのも、殺害された被害者の中には、裸にして吊るされているものや、時間をかけて拷問を受けているものなど、非人道的な殺され方をした人が多数いるというのです。さらに彼は遺族に殺害内容を手紙で送るといった猟奇きわまる犯罪を犯しています。

「満月の狂人」など数々の異名を持つアルバートフィッシュ

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数々の被害者を出し、その内容は非常に残虐な物ですが、それに加えて彼は殺害した人を調理して食すという奇人ぶりをも持っていたそうです。その殺人内容により、数多くの異名で恐れられる存在となります。

異名の中には、満月の狂人やグレイマン、ブルックリンの吸血鬼などとあり、そのい毛の数々がおびただしい数の人を殺めた上での、非常な殺人を起こした兄用を物語っていると言います。

アルバートフィッシュによる事件①最初の被害者になったのは19才の青年

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アメリカ犯罪史上最悪の犯罪といわれる事件ですが、最初に起こされた事件からまずは調べていきましょう。初めて起こした殺人事件の内容ですが、その被害者や猟奇的な部分などをご紹介していきます。

離婚前の1910年!19才のトーマス・ケッデンを家屋へと連れ込む

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事件の発端は、1910年。ここからわずか24年という短い期間の間に400人もの人が犠牲となってくのです。最初の被害が出たのは1910年、トーマス・ケッデンと呼ばれる少年を殺したことから始まります。最初の事件の被害者は19歳の青年でした。

そもそも犯人は殺人を犯す前から好みの男児を強姦するような男性で、その容疑で何度か逮捕をされており、1903年委は重窃盗罪で1年半という期間服役していた過去を持っていたのです。

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しかし、とうとう彼は殺人にも手を出すこととなります。犯行動機は、痛みに苦しむ顔が見たいという理由だけで彼に手を掛けたのです。古い小屋へと連れ込んで殺したといわれています。

2週間にも及ぶ拷問?トーマス・ケッデンの体を縛って男性器を切断

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彼の殺人雄異常性はこのころから発言しています。というのも、被害者をただ殺しただけではないのです。小屋に連れ込んでから約2週間もの期間を拷問にかけ、殺したといわれています。

体を縛り付け、男性器を切断しすさまじい拷問にかけていたぶるように殺したと本人が当時供述しているのです。異常性がその殺人に現れているといわれる理由がわかるでしょう。

犯行発覚を恐れたアルバートフィッシュ!男性器を持って立ち去った

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殺し終えた後は彼は犯行を恐れてとある奇怪な行動をとったといわれています。それが切断した男性器を持って立ち去ったというものです。被害者はそのまま小屋に置き去りにしてです。

事件発覚を恐れての行動といえば聞こえはいいですが、こちらでもその異常性が確認できるというものです。そして、男性器を持ち帰った以外にも、刺殺したなど数々の噂が流れており、初めての殺人にも関わらず非常に残虐な手口で事件が始まりました。

アルバートフィッシュによる事件②無残な姿にされた8才の少年

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続いての紹介する事件は1924年に起こされた事件です。こちらも同様に無残な姿で見つかった被害者の少年。遺族は大変感心だことでしょう。見つかるまでの間、目撃情報などを頼りに犯人と少年の捜索が行われたそうですがそちらもむなしく事件が起きました。

1924年に行方不明になった8才のフランシス・マクドネル

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当時行方不明になったのはフランシス・マクネドルという8歳の少年でした。事件が起きた日は、1924年のことです。当時この少年が姿を消した時は、その友人が班員の姿を目撃したとの情報がありました。

両親も警察に通報して捜索願いを出していたようですが、無残な姿で見つかることとなります。目撃所法の中には、犯人が挙動不審な行動をとっており、細かく情報が上がっており、誰もが見つかるのも時間の問題と思った事でしょう。

「グレーの髭の人物とどこかへ行った」という目撃情報が寄せられる

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犯人の目撃情報は非常に多数情報が寄せられました。友人の目撃情報はもちろんのこと、その他の周囲の人も同様の男性を目撃しており、その男性が少年を連れ去ったことはまず間違いなく、犯人が捕まるのも時間の問題と感じたことでしょう。

それに加えて、被害者少年の花親もその犯人の姿に見覚えがあったのです。数々の目撃情報と照らし合わせると母親でもその犯人が分かるほどでした。そして、多くの人が共通して言うのがグレーの髭の人物。

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ぶつぶつ言いながら通りを歩いており、その挙動不審さから多くの人が目にしていたのだそうです。そんな彼が少年を連れていったことは明白だったのですが、捜索は難航し少年は凄惨な姿で発見されます。

サスペンダーで絞殺され木に吊るされていたフランシス・マクドネル

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発見現場は異常な光景だったと言います。というのも、少年はサスペンダーを凶器に絞殺され、気に吊るされた状態で見つかったのです。あらに、少年が抵抗したからなのか吊るす際に手間取ったのか、体には無数の暴行の跡があったと言います。

まだ8歳の少年は、度重なる暴行の末体にあざを残し、最後は絞殺されたのだと見られています。かわいそうな姿で発見されたのです。

アルバートフィッシュは男性器を切り取ろうとするも断念したと語る

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無数の暴行の後をなぜつける必要があったのかわかりませんが、犯人逮捕後、この少年を殺害したことについて語っています。犯行当時、男性器を切り落とそうとしたらしいのですが、人が近づいてきたために逃げたのだそうです。

人に見つかる恐れがあったからとあきらめたそうですが、少年の命を乗った後にもてあそぶようなことをするその異常さはここでもうかがい知れることができます。

アルバートフィッシュによる事件③4才の少年にも魔の手が忍び寄る

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誘拐し殺害をした子供の被害者はまだまだいます。こちらの事件も衝撃的な内容で、殺人の異常さや感覚の異常さが、他の事件以上に際立っている内容となっています。ついには彼は人間を食べ始めたのです。

1927年“ブギーマン”に連れ去られた4才のビリー・ガフニー

事件発生は1927年、被害にあった男の子は当時4さんお言う幼い子供でした。この時も被害者の友人から目撃情報があったそうで、その友人は子供をさらうブギーマンが来たと語っていたそうです。

目撃情報をもとに事件は数多くの人に知らされましたが、事件発覚は残念ながら4歳の少年が変わり果てた姿となった後でした。被害者の少年は、なんと彼の食人の被害にも有っているのです。

拷問し殺害後に気に入った部分は食べたというアルバートフィッシュ

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なぜ彼が食人を行ったことが判明したかというと、彼が逮捕後に弁護士に当てて手紙を送っていたようで、その手紙の中に事細かに殺人の内容について語っていたのだそうです。その内容は、非常に凄惨な物でした。

まず少年を拉致監禁した後は過ぎに殺さず、もちろん解放せず強姦や拷問を行ったそうです。鞭で血が流れるまでお尻を叩いて、鼻や耳を切り裂き、目玉をくりぬき口を裂くまでして各パーツを解体したのだそうです。

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あまりにもすさまじいショックだったのでしょう。解体したお気に入りのパーツはそのまま持ち帰り、そうでないパーツは解体して袋詰め後、重しを入れて湖に捨てたのだそうです。

ここまででも十分猟奇的でその異常さをうかがえますが、それだけではありません。気に入った持ち帰ったパーツはなんと4日間かけて食べたというのです。少年が無くなった後、犯人は体から流れる血を飲み、パーツは様々な調理のもと食べたというのです。

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この調理についてもどんな調理をして食べたのか感想も含めて事細かに手紙に記してあったといいます。少年の肉はローストターキーの肉などよりもはるかに美味だったと語っているほどで、その異常さが際立っています。

アルバートフィッシュによる事件④狙っていた人物の妹が餌食に

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彼は幼い子供を狙って殺害し、その後食べてしまうケースは沢山存在します。先述紹介した以外の事件でも殺害しそのまま食べてしまうといった内容は存在します。狡猾な殺人はまずます巧妙に行われていくようになるのです。

1928年にエドワード・バッドの仕事を求める広告を見つける

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1928年に起きた殺人事件は、犯人の標的は最初は違ったと言います。家族4人で暮らすバッド家。その長男を狙っての事件でしたが、事件の被害者はその妹の女の子でした。事件の概要を紹介していきましょう。

当時犯人は、新聞紙の広告にてとある求人を見つけました。その求人をもとに訪れたのが、バッド家です。ここで初めて家族と面会することとなります。

偽名を使ってバッド家を訪れたアルバートフィッシュ

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面会した犯人は、当然本名を使うわけにはいきません。その時に使われたのがフランク・ハワードという偽名でした。偽名を使用して訪れた犯人は、自分を農場主だと嘘をつき、家族に話したそうです。

打ち解けることだけを目的としていたのか、この日は面会だけで彼は帰っていきました。その後同年6月3日にもこの家族を訪問します。この時は、カッテージチーズをお土産に持参するほど用意をしており家族と仲良くなる時間はそうかからなかったようです。

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そして、後の被害者となるグレースの兄で、広告主でもある兄に採用を告げたのち、家族と一緒に昼食をとることになります。

アルバートフィッシュの標的がエドワードの妹グレースに

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度々の訪問と一緒に時間を過ごすことで家族と仲良くなっていく犯人。次男には小遣いを渡すなどしてすっかりと打ち解けたといっていい状態だった言います。さらに、グレースの両親に至っても、完全に彼を信用しきっていたと言います。

一方で犯人の方は、いつ兄であるエドワードを狙おうか考えているところでしたが、その標的はとあるきっかけで妹のグレースへと変わることとなります。そのきっかけがとある昼食の時でした。

昼食時に妹のグレースが犯人の膝の上に載ってきたのです。そして彼にキスをしてきました。これにより何を思ったのか標的をこの女の子に変更したのです。

姪の誕生日会があると偽りグレースを誘い出す

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決して短くない時間を共に過ごして、妹へと標的を変えた犯人は、とうとう殺人の行動を起こしていきます。犯人はある日に、突然姪の誕生日があると話し始めました。当然この話は嘘です。

誕生日会でグレースに参加してもらえないかと話してきたのです。当然全く疑いを持っていない両親たちは二つ返事で了承を出し、愛娘を送り出したと言われています。これにより、女の子グレースを誘い出すことに成功したのです。

グレースを空き家へ連れ込み殺害!遺体も食べられてしまう

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グレースを誘い出した後は、空き家に連れ込むことは簡単だったようです。女の子なので力も弱く犯人に抵抗したところで逃げ出すことはできません。連れ出した犯人は、空き家に連れ込んで殺害を行います。

グレースの遺体は殺害後9日という時間をかけて、犯人に食されていったそうです。もちろん、家族からは捜索願が出されており、その間も賢明な捜索が行われていたそうです。捜索願自体は連れ去られて翌日には出されていたと言います。

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そして、その捜索願が出されていた時点ですでに、フランク・ハワードなる人物は存在しないこともわかっていたそうです。家族は二つ返事で送り出したことに非常に強い後悔と犯人への憎しみを持ったといわれています。

アルバートフィッシュの犯行が暴かれるきっかけになったのは“手紙”?

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数々のひどい事件を起こして、あまつさえ食人という被害者を殺害後に食べてしまった犯人。殺人内容も猟奇的で、一般的なそれとは一線を画すものでしたが、とはいえ計画的に犯行が行われていたことは確かでしょう。

400人という被害者を出すまで捕まることなく逃げ切っていたわけなのです。そんな彼がどうして捕まることとなったのか、犯行が暴かれることとなったきっかけを紹介していきましょう。

グレース殺害から6年後となる1934年にバッド家の母宛てに手紙が

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巧妙な手口で次々に被害者を増やしていく犯人でしたが、その犯行が暴かれることになったのはとある一通の手紙からだったそうです。その手紙は1934年にグレースの両親に送られた手紙でした。グレースが殺害されてから6年後のことです。

その手紙は匿名で、グレースの母親あてに届いたものでした。名前もない状態の手紙に当時母親は不思議に思いながらも封を開いたと言います。

アルバートフィッシュによる殺害方法など事細かに書かれた手紙

開かれた手紙に記してある内容は、思いもよらぬ悲惨な内容でした。それは愛娘を殺害した内容について事細かに書かれていたのです。殺害には絞殺を用い、その後食べたことを図入りで開設されていたのです。

そして、最後は娘に対してレイプはせず処女のまま点に召されたのだという言葉で締められていました。またさらに、手紙にはカッテージチーズも記されていたと言います。これは、犯人とこの家族鹿知るはずのない物で母親は確信を得たといいます。

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母親は慌てて警察へと届け、手紙をもとに犯人捜索が進められることとなります。そして、この手紙がもとで犯人である男が見つけられるのです。

封筒の刻印がきっかけで逮捕されたアルバートフィッシュ

手紙の内容は匿名で確かにこの家族鹿知りえない内容でしたが、しかし見つかるよな内容ではなかったはずです。ではどこから犯人特定となったのかというと、それは手紙に合った刻印でした。

その刻印はNYPCBAというもので、ニューヨークの個人運転手組合を示しているものでした。それを手がかりに警察は個人運転手組合の中の男性を洗いざらい調べます。筆跡鑑定などを行うも該当者がいませんでした。

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しかし、手紙が送られた日の前に一時的にある運転手が私用で使用して持ち出したことが判明するのです。その運転手こそが犯人につながる手掛かりとなったのです。運転手を調べて聞き出した警察は、犯人が潜伏しているという場所を突き止めます。

下宿先で利用していた場所を割り出し、張り込みを行ってついに犯人を逮捕へと追い込むことに成功しました。数々の異名を持つ犯人をとうとう捕まえることができ、これにより数々の事件にやっと終止符が打たれたのです。

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なおこの400人という数字が発覚したのは逮捕後であり、グレース殺害後も数々の殺人を犯していたこととなります。現に犯人は、無性に生が欲しくなったと供述しており、逮捕までの6年間の間にも数多くの子供たちを殺していたそうです。

アルバートフィッシュの逮捕後は?死刑判決を受けることに

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とうとう殺人に終止符が打たれた犯人。数々の子供を殺して将来有望な命を奪っていった彼ですが、逮捕後はどうなったのでしょうか。当然彼が受けたのは死刑判決。逮捕後のあらましを紹介していきましょう。

1935年に10日間に渡って行われたアルバートフィッシュの裁判

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1935年に行われた裁判はわずか10日という期間で終わったといわれています。しかし短期間とはいえ、彼が正気かどうかなど数々の精神状態に関する情報が問われ、審議の判断が難しかったといわれています。

精神異常を裏付けるのが彼の性癖です。精神科医が言うにはマゾヒズムや、ペドフィリア。そのほか糞尿性愛についても精神科医が証言しており、精神状態に異常をきたしていたのではないかという点が争点になったのです。

虐待の被害者であることや精神異常を主張したアルバートフィッシュ

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精神科医による主張が行われた裁判ですが、その主張内容と一緒にあったのが犯人自信の首長でした。彼は幼少期虐待に合ったことを主張し精神異常をきたしていることも主張したのです。

それを裏付ける情報も確かに今回の裁判中に精神科医が持ってきた情報の中に合ったようで論争が行われるようになりました。犯人本人から弁護士に対して、かつて自分も虐待の被害者であることを伝え、陪審員に伝えてほしいなどの希望もあったそうです。

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さらに精神異常に関しても彼には色々な情報が問われています。というのも現実的なことを言いながらも、彼は犯行は神の啓示のもとに行ったなどと供述する一面も持っていたのです。

さらにこれに加えて、犯人の異常なる性癖は、不幸な家庭環境に起因するものだとも情報がありました。当人の気室によるものでなく、後天的に植え付けられたものであり彼もその被害者であるという情報も述べられたのです。

アルバートフィッシュは死刑判決に!電気椅子に興奮していた?

上記のような数々の情報が争点に挙げられる中、死刑に判決が下るわけですが、その経緯は短いながらも非常に困難を要したといわれています。というのも見た目に騙されて冤罪に加担したくないという理由で、辞退する陪審員すらもいたからです。

確かに世間的には、彼の死を希望する者は数多くいました。しかし裁判に参加する人間には精神異常やこれまでの不幸などの情報を聴く中で、彼もただ殺人を犯した愉快犯ではないことはわかっていったのです。

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以上のような経緯で最終的には死刑判決が下った犯人ですが、その後も彼は不服を唱えつつも死刑にはかなりの興奮を示していたと語られています。死刑には電気椅子が用いられるのですが、その椅子に対して異常な興奮を抱いていたようなのです。

座る日を楽しみにしていたともいわれており、本人も当日椅子に座って固定される際に最高のスリルだと語ったそうです。さらに、死刑執行時には興奮のあまりに激しく勃起していたともいわれています。

アルバートフィッシュの生い立ちとは?精神疾患の多い家系に生まれた?

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凄惨な事件を起こした犯人ですが、裁中に彼の過去の遍歴など様々な情報が探られあました。決してすべて許されるようなことはありませんが、彼がいかに精神失火としてなったのか、またひどい目に合ってきたのかといった経歴を紹介しましょう。

精神疾患の多い家系で生まれたアルバートフィッシュ

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実はこの人が生まれたアルバート家は一家そろって精神疾患を患っていたといわれています。彼が誕生したのは1870年5月10日。その当時、父親は75歳で母親は32歳だったといわれています。

そして、12人もの兄弟に恵まれた環境だったのですが、それぞれ精神疾患にかかっていたそうなのです。幻覚症状に悩まされる母親、躁うつ病の父親、そして兄弟たちは精神薄弱者と診断を受けていたといわれています。

アルバートフィッシュは父の死後に孤児院へ行くことに

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精神疾患に悩まされた環境にいながらも一生懸命に生きてきた少年時代でしたが、5歳になったころ、彼は孤児院に行くことになります。孤児院の名前はセントジョン孤児院と言い、彼の父親が80歳の時に心臓発作で亡くなったことが大きなきっかけでした。

厳しいしつけ?孤児院で鞭による体罰を受けていた

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セントジョン孤児院に行くことになるアルバート少年ですが、底は彼にとって決して恵まれている環境ではありませんでした。厳しいしつけと称して激しい体罰が横行していたからです。

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