合戸孝二は狂気の男?失明理由やトレーニング方法とは?奥さんはいる?

合戸孝二とは、現在も活動中のボディビルダーです。左目を失明を乗り越え、トレーニングを続ける姿勢から「狂気の男」と呼ばれており、ボディビル界のレジェンドとも言われています。今回は合戸孝二の失明理由やトレーニング方法、奥さんや子どもはいるのかなど紹介します。

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合戸孝二とは?狂気の男と呼ばれる現役ボディビルダー!

狂気の男と呼ばれる、未だに現在に及ぶまで目まぐるしい活躍を残す彼。彼は今なお伝説を綴っているトップ選手で、過去には怪我などを経て大変な活動をしてきた選手です。

しかし、そんな彼ですが、その体を一切妥協することなく、また全く衰えを感じさせず、未だ現役を貫き通しています。今回はそんな彼に焦点を当てて紹介していきます。

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また、彼のこなすトレーニングメニューや食事など筋肉事情はもちろんのこと、奥さんについてなども徹底調査して、ピックアップしていきましょう。

合戸考二とはどんなボディビル選手?

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ボディビル選手である合戸孝二さんですが、競技に浅学であれば初見であり聴くという人も決して少なくないでしょう。しかし、その業界であ伝説給の人であり、知らぬ人はいないと呼ばれる存在なのです。

さらに、彼は人生をボディビルにささげた男としても有名で、その筋肉の鍛え上げ方などは他人がこなせるメニューではないのだとか。そのことから「狂気の男」としても呼ばれています。

合戸孝二のwiki風プロフィール

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一流選手としての肉体美を羨望しつつ基本的なプロフィールをwiki風にご紹介しましょう。その強靭な身体つきはデータからもわかるところです。人生を見てみるとさらに存在の偉大さ背中のでかさが伺えます

彼がどれだけ筋肉とトレーニングに費やしてきたかというと、人生の半分以上費やしてきているのだとか。御年56歳にり、取り掛かり始めた年は20歳とのことなので36年もの間を筋肉に費やしているわけです。

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さらに言えば、今なお現役です。56歳というとして現役を続けられるのはなかなかいないそうで、レジェンドと呼ばれる理由はここにあるそうです。徹底的に追い込むトレーニングも彼独自のものと有名です。

  • 名前:合戸孝二
  • 生年月日:1961年4月1日
  • 年齢:56歳
  • 出身地:静岡県
  • 身長:164㎝
  • 体重:70㎏

4度も日本ボディビル選手権大会で優勝している

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彼の功績を見てみると、4度もの大会にて優勝経験があります。詳しく深堀していきましょう。まず初めての大会に出場したのは27歳ごろの時。なんと初出場ながらも2位という戦績を残します。

そこから怒涛の功績を残していきます。トレーニングにトレーニングを重ね、1998年から2001年のアジア大会にかけては準優勝を果たします。そしてその後、2005年と2007年、2008年と2009年大会にて見事優勝を果たします。

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彼の鍛え上げられた筋肉は、どの選手よりも優れており、拍手喝さいの中称賛を浴びたといわれています。それほど自分を追い込んでトレーニングに励み、この成果を成しえたということでしょう。

左目を失明するもボディビルを続けている

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後継していく彼の伝説の中には語らずにはいられない言説があります。それが、失明しながらも今なお現役を貫いていることです。これが「狂気の男」の異名を持つ男の矜持だといわんばかりです。

詳しくは後述しますが、合戸孝二さんがかつて出場していたスロバキア大会の頃にこの病気を患ったそうです。しかし、失明という苦難を背負いながらも彼は今なお元気に熱心に競技生活に取り組み、一流選手として活躍しています。

合戸孝二の戦歴を紹介!

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4度の大会で優勝という戦績を残しながら現役の名を轟かせ続ける彼ですが、それはほんの一部です。詳細な戦歴の数々を紹介していきましょう。偉大な男は今なおその戦績を刻み続けています。

  • 1999年 世界選手権 70㎏級 4位
  • 2010年 日本選手権     2位
  • 2010年 世界選手権 70㎏級 6位
  • 2011年 アーノルドアマチュア 70kg級  4位
  • 2011年 アジア選手権大会 70kg級 優勝
  • 2011年 日本選手権      2位
  • 2011年 世界選手権 70kg級  5位
  • 2012年 アーノルドアマチュア 70kg級 6位
  • 2012年 日本選手権     3位
  • 2012年 世界選手権 70kg級 9位
  • 2013年 日本選手権     3位
  • 2013年 世界選手権 70kg級 15位
  • 2014年 日本選手権     4位

合戸孝二の経歴と生い立ち!ボディビルを始めた理由は?

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すさまじい功績を残す彼ですが、今なお現役選手生命を維持する彼がなぜ競技世界に体ををささげたのか、その理由についてみていきましょう。彼が世界に飛び込んだのは20歳の頃だったそうです。

これは業界の中でも決して早い方ではなく、あることをきっかけに始めたのだと本人は語っています。そして初優勝も44歳と、業界内では遅めになります。しかし、その後ドキュメンタリー番組で取材されるほどの大活躍と大人気選手になります。

20才の頃に女性との出会いを求めてジムに通い始める

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この世界に踏み出したきっかけについても詳細に探ってみたところ、きっかけは些細な理由からだったそうです。その理由が女性との出会い目的。20歳の頃に始めた当初は、とにかくジムで少しでも出会いがあればという気持ちだったそうです。

合戸孝二は99年世界選手権70kg級でデビュー

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不純ともとれる動機で挑んだ世界でしたが、しかし次第にはまっていきます。鍛え上げるたびに大きくなる筋肉と体に感動し、鍛え上げていったそうです。そして、初デビュー戦が1999年の世界大会。

70㎏級という選手の中でデビュー戦を飾ります。その時の様子を本人は、恥ずかしかったとも語っています。人前に毛を剃ることに多少緊張と恥ずかしさを覚えてしまったのだそうです。そして、4位という結果を残しています。

現在はジム経営も?マッスルハウスジムを設立

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デビュー戦後も数々の戦歴を残し、伝説ともいわれるほどその活躍は衰えない彼ですが、現在はジムも経営しているそうです。その名もマッスルハウスジム。

静岡県に居を多くジムであり、彼は静岡ボディビル・フィットネス連盟のトップの座といわれる理事長も務める傍ら営んでいるといわれています。

合戸孝二が失明しているって本当?狂気の男と呼ばれている理由とは

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狂気の男と呼ばれる伝説の選手ですが、そんなかれにも避けられない過酷な現実が突き付けられた時があります。それが失明。彼は目と筋肉どちらを取るかを迫られることとなるのです。

しかし、彼はぶれません。失明よりも筋肉とトレーングの方を優先したのです。このことから狂気の男の名をほしいままに轟かせることになるのですが、詳しい内容を見ていきましょう。

スロバキア大会の後に左目を失明した合戸孝二

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大会終了直後に少し左目に違和感を覚えたことが始まりでした。砂嵐が走ったような感覚だったそうです。しかし、最初は些細なものだと思っていたそうです。

しかし、帰国後診察を受けてみると失明寸前。治療には完全に目の方に専念しなければならず、そこで葛藤があったそうです。その結果、彼は失明に至ります。

合戸孝二は失明寸前の眼底出血をおこしていた

砂嵐のような感覚感じながら日本に帰国後、疲れが原因かと思いながら受診したところ、意外な結果が返ってきたそうです。その結果が、眼底出血。これは目の奥の神経などが集まるか所で出血を伴うことで、失明寸前の状態だったようです。

合戸孝二はステロイド治療を3日で終了させた

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疑うまでもなく最初は失明寸前ということで治療に専念したそうです。しかし、その治療法が問題でした。この方法は、業界内ではドーピングと判断されかねないステロイドを用いた改善法だったのです。

もちろん、失明は望むべく所ではありませんが、合戸孝二さんにとっては失明以上にドーピング行為誤認で大会に出場できな方が失う価値が大きかったのです。そのため、この薬剤を用いるす術は3日で中止したといわれています。

レーザー治療は痛みにより断念することに

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薬剤による治療は断念しましたが、それ以外にも治療は試みたそうです。それがレーザー療法。目についてはよく聞く治療方法ですが、ここでも活躍する術でした。

しかしそこには大変な痛みが伴ったそうです。麻酔を打った状態でもその痛みはすさまじく、神経に触るような痛みは耐えられるようなものではなかったそうです。そのため、こちらも途中で断念してしまいます。

視力よりボディビルをとったことから「狂気の男」と呼ばれるように

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色々な治療法を試しました彼でしたが、しかしどれも長期に及ぶ治療であり、筋肉と失明どちらをあきらめるかという取捨選択に迫られる物だったそうです。そこで彼が選んだのは肉体でした。

視力など些細なもので彼にとってはボディビル以上の価値の物などありはしないのです。その後失明をするも今なお現役で活動するほど、鍛え上げる様子をたたえて「狂気の男」と称賛されるようになります。

合戸孝二のトレーニング内容は?

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