【狭山事件】真犯人や真相を検証!トトロのモチーフ?石川一雄の現在は?

日本の警察には何も期待できないというのが当時の世の中の風潮でした。今更狭山事件は誤認逮捕だとは言えない、重ねての不祥事など世論が許さない。吉展ちゃん事件の失態はこれまでにないほど国民の怒りをかいました。何がなんでも犯人を速やかに逮捕する事だけが課せられ課題でした。

警察のミスが悔やまれる吉展ちゃん事件の全貌はこちらからご覧ください

狭山事件の犯人として逮捕された石川一雄さんが受けた判決は

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当時の石川さんは長谷部警視に「無期懲役なら10年で出してやる」といわれ10年ならいいやと条件を鵜呑みにしてしまったのです。当時の日本なら、裏から手を回すのはあたり前で取調は酷いものでした。警察署に関巡査部長という石川さんの昔からの知り合いの警察官がいました。

昔近所に越してきて、小学校の野球の試合を見に来た時に知り合いになりました。この巡査部長がキーマンで、狭山事件の最初の自白は関が引き出したのです。証拠品としてあげられるれた万年筆は彼が発見しました。普段家の中になど上がらない関が被害者宅の鴨居の前にいました。

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その前に、この家には2回の家宅捜査が行われていて、隅々まで調べたはずです。鴨居など、1番始めに捜査をするものです。サスペンスドラマ好きなおばちゃんでもわかります。それが家宅捜査では見つかったのです。万年筆がこの日に偶然見つかった不自然さには驚きます。

1964年3月11日に死刑判決を受けた石川一雄さん

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第1審では弁護人は無罪を主張しました。検察側に、確固たる証拠がないのです。スコップに付着していた土も、殺害現場の土ではなかったのたです。唯一の証拠は本人の自白です。疲れさせ気力を失わせるのが、尋問です。もっともスコップ各所から採取した土は混ざってしまっていたので、確固たる証拠にはならない筈です。

被差別部落の者をどうしても犯人にしたかったのです。すでにストーリーは出来ていました。お前が無実と言うなら、兄を代わりに犯人にするからと脅されてもいました。ここを出ても警察に睨まれるに決まっています。当時の取り調べは自白したのが悪いなどとはいえない状況下です。朝となく、夜となく呼び出し眠らせず調書を取ります。

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石川さんは弁護士が謁見できない間に自白してしまいました。調書を取るときのテープが残されていますが、石川さんには脅迫状は書けないと弁護人はこのテープで確信を得ます。一字一句書き方を教えないと、文字も書けないのです。石川さんは友達に教えてもらったとかその場しのぎの辻褄合わせをします。

控訴した石川一雄さんは1974年10月31日の裁判で無期懲役に

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第2審がはじまると、石川さんは自白を撤回しました。調べが進むうち、長谷川警視が虚偽の発言をしていたことが明るみにでました。そのほかにも弁護団は無実の証拠を次々に出しますが、現場検証もされないまま却下となりました。差別か、別の理由かわかりませんが、石川さんじゃなければまた捜査のやり直しだと言っていたようです。

取り調べをした関巡査部長は石川さんは遺体の状況を知らなかった、そして単独犯行を自白したと証言しましたが長谷部警視は否定しました。しかし、第3次再審において、開示された証拠では関が正しく長谷部は偽証していたと発覚します。また長谷部は石川に言った10年の約束を否定しました。今や故人になってしまいました。薮の中です。

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石川さんの無期懲役が確定となりました。その後1977年に最高裁は事実審理もせずに、上告を却下します。石川さんは千葉刑務所での受刑生活をします。弁護団はすぐに再審請求を行いましたが、これも却下されます。弁護人は諦めません、多くの検証作業も証拠として提出します。

無罪を主張する石川一雄さん!1994年には仮出獄も

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石川さんは1994年12月に仮出獄しました。31年が過ぎていました。1996年には支援者の女性と結婚しました。2人で海水浴をしたときに、海が初めてだと言ってすごく喜んだそうです。全国を二人で回り、再審請求の署名を集めています。

石川さんは事件の解決までは両親の墓参りには行けないと、言います。ずっと励ましてくれていた両親はすでに亡くなっています。現在は80歳という高齢です。初動の段階で警察にねつ造があり、嘘がありそれでも再審すらしないのは、よほど都合が悪いことがあるのでしょうね。今更間違いだとは言えない?それとも石川さんだという確信があったのでしょうか?

真犯人は他にいる?狭山事件が冤罪だと言われている理由とは

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今でも犯罪者に対する扱いはいいとはいえません。犯罪者が居心地のいい場所であってはいけないからです。しかし、最低限の権利は保証されなくては証言もままならないのです。眠らせないで取った調書が正しい訳がないのです。寒い、ひもじい、眠いときの証言はあてにならないのです。

拷問のような取り調べ?刑事に言わされた可能性も

暴力をふるうなどどした行為はありませんが録音されたテープからは明らかに誘導する行為が確認されました。刑事に言わされた可能性は高いとされています。また犯行を知らないがゆえに質問に対する答えにもなっていないところがあります。証言刑事に促されるまま、二転三転します信憑性に欠けています。

弁護人が接見禁止になっているあいだに、仕込まれたニセ市長が来たことがあったようですが、石川さんはそんなトリックにも引っかかってしまいそうです。もちろん、警察も検事も裁判所も悪いことはしないと、一般市民も思っていますからトリックなんてころりと引っかかってしまいます。誘導尋問も軽くかかります。

証拠品の場所の地図を描くも実際は写しただけだった?

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小学校すら行かせてもらえなかった。経済な理由よりも差別によって生まれた歪みだといわれています。石川さんには脅迫文を書くことは難しかったのと同様に地図を書くことは不可能に近かったのです。それなのに石川さんが書いた地図が存在するのは、書かされたからにほかなりません。

地図に描かれた場所で見つかった証拠品は偽物?

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石川容疑者が描いた地図のところに善枝さんのカバンが埋まっていました、また家宅捜査のときにはなかった万年筆が鴨居から出てきます。この2つの証拠品ですが、地図については警察が2枚の紙を用意し、下の線をなぞって描いたものと判明しています。

万年筆については自供により調べたところ、鴨居にあったことになりましたが、のちに警察官がなんらかの事情でそこに置いたのではないかとされています。この事件は複雑な社会構造が見え始めました。最近の情報で、自白の場所からら見つかった証拠品とされている物証は弁護側の専門家が調べました。

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カバンはまったく自供と離れた場所で発見されたのですが、裁判所では、未だにその審議は行なっていません。一度確定ときめたら、なかなか動かない理由はどこにあるのでしょうか。ミスを犯した警察や仲間内をかばっているのでしょうか。

脅迫状に使われた万年筆が発見されるも未使用?

この事件は犯人の初期の自白は嘘であり、警察の調書も物的証拠にもねつ造の疑いがあります。捜査も調書も警察がしますから、弁護団は数々の証拠を集めました。しかし、それらは検証すらされないことが多く、次の裁判に持ち越されます。

脅迫状の筆跡鑑定は別人のものだったと判明?

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石川さんは最初の別件逮捕の時にはがんとして自分はやっていないと主張します。しかし、釈放されたと同時の本逮捕後に自分がやったと自白をはじめます。そこには警察サイドからの強い圧力がありました。これは石田さんに限らずこの事件の証人として出廷した人物の自殺の件でも、拷問まがいの取調べがあったといわれています。

万年筆は証拠品とされていますが、被害者が使っていたものではないと、実証実験がされています。以前から被害者が使っていたとされていますが、その前に入っていたインクの反応が出ていません。インクは入れ換えても前のインクの反応が出る筈だといいます。

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裁判所の判断は帰宅途中の郵便でインクを入れ替えることが出来た可能性があるとしています。はじめから論点が違います。インクを入れ替えたのが論点ではなく、その万年筆は被害者が使っていたものかどうかで、なぜ鴨居にあったのかなのです。鴨居にあった方が都合がいい人物がいたのです。

狭山事件に関係のある人物が次々と不審死?

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身内の死もあり、不審死と言える件は現在確定されている件としては、2件とされています。突然死や自殺も含めれば、少なくとも6件以上はあるはずです。56年という長きに渡る裁判でもありますし、全ての死を不審死と言ってしまうのは、あまりに乱暴なことですが、確かに不審死と疑いがかけられたものも存在します。

①5月6日に善枝さんと顔見知りの奥富玄二さんが自殺

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奥富さんの場合、5月6日は被害者の葬儀の日で、翌日は奥富さん本人の結婚式を控えていました。それが農薬を飲んで井戸に飛込み自殺しています。奥富玄二さんの検視にははじめからこの事件に関わった長谷部梅吉警視、刑事調査官が立合っていました。第二審の8回公判で弁護人とのやり取りがあります。

長谷部は検視が自分がすることになったのはこのあたりの検視は全て自分に回ってくること、奥富氏が石川の事件に関して関わりのある人物とは2日後に知ったこと経歴は把握していない事を語りました。奥富玄二氏については筆跡鑑定が行われ、白であるとされています。

長谷部警視に奥富さんは犯人だと考えられるかという質問には自分はそうは思わないと答えていました。奥富さんについては、週刊誌や新聞が書きたいだけ書き立てています。マスコミも煽るような記事ばかりで、事実だけを知らせるわけではありません。フェイクと事実はいくら慎重に読む記事を選んでも、時として間違います。

②目撃証言をした田中登さんがノイローゼで自殺

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5月11日に田中さんは林で不審な男3人を目撃したと警察に届け出ました。警察に事情聴取を受けて帰宅すると、刃物で自らの心臓部を突き刺し自殺しました。話しに行ったはずが逆に犯人扱いされた事が原因ではないかとされています。

ただ田中氏については、検視官の原田はまったく覚えていないと証言しています。これについては、何か覚えていたらまずいことでもあるのかという憶測がされています。何もわかっていませんが、死者が出たという認識程度です。それと同列程度の死亡者ですが、当時のPTA会長をしていた方です。

安全協会の役もしていて、息子さんは被害者と同じ中学の同級生で生徒会長です。善枝さんは副会長という立場で、顔見知りでした。この会長は翌年3月半ば、中学の卒業式に来賓で出席、壇上であいさつをしている時に倒れて息を引き取りました。まだ47歳でした。身代金受け渡しに骨を折った人物でもあります。

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