この軍用機を売り込むのが本来の狙いだったとよく言われているものの、具体的にどんな飛行機なのかはあまり語られていません。この章ではもう少し機体について掘り下げ、仮にこの軍用機を売ることが本当の目的だったとして、なぜアメリカがそこまで執着していたのか?という部分にも言及していきます。
P3Cとはどんな軍用機なのか
対潜哨戒機の1つです。元々は旅客機として使われていたものを軍事用に改造したもので、今まで使用されていたものに比べると乗り心地が良く、パイロットが長時間飛行するのに向いた造りとなっています。また大型化したため積載量が増え、輸送機として使用する国もあります。現在も自衛隊が使用し、主力哨戒機となっています。
対潜哨戒機とは?
「対潜哨戒機」という耳慣れない単語が出てきましたが、これは名前の通り潜水艦を探知・攻撃する戦闘機のことを指します。以前は潜水艦を見つけるのに1機、攻撃するのに1機が必要でしたが、それを1つの機体ですべて賄えるようにしたものです。また、長時間の低空飛行が可能であることも特徴のひとつです。
P3Cを売り込みたかった理由
事件が起こる少し前、日本ではこの対潜哨戒機を自力で開発しようとしていました。しかし、自国で開発するには費用がかかりすぎるということで頭を抱えていました。というのも、日本には「開発した武器は他国に売らない」という決め事があったため、開発にかかった費用を他国への売買による利益で回収することが出来なかったからです。
ロッキード社はそこへ目を付けました。自国で開発した対潜哨戒機を日本が輸入してくれれば傾いた自社の業績を立て直すことが出来ます。そのため、少し痛い出費であっても児玉にコンサルタント料を払って製品のアピールをしてもらおうとしたのです。
また、丸紅が5億を要求したのも本当はこれが狙いだったのではないかと言われています。なぜならP3Cが導入されれば自社に手数料が支払われるのに対し、自国で開発された場合は一銭も手に入らないからです。
Contents
ロッキード社と児玉誉士夫との関係は?
ここまでで、事件の概要から賄賂のルート、事件を起こした目的までは整理できました。しかし、まだ大きな疑問が残っています。それは、なぜロッキード社は大枚をはたいてまで児玉を頼ったのか?ということです。ここではそのきっかけとなった出来事について説明します。
グラマン・ロッキード問題
実は、ロッキード社と児玉の間には以前から戦闘機の導入問題で繋がりがありました。1957年の事です。その頃航空自衛隊はアメリカから圧力をかけられ、新しい戦闘機の導入を検討していました。初めはグラマン社の「F11戦闘機」と導入するように申し入れされており、決定しかけていました。
ここで割り込みをかけたのが児玉でした。彼は導入反対に回り、代わりにロッキード社のF104を推したのです。結果、F104が採用される運びとなり児玉はロッキード社に恩を売ることができました。これがきっかけで両者の信頼関係は深まり、後の事件に繋がっていきます。
アメリカの陰謀説?他にも囁かれるロッキード事件の噂
誰もが口を閉ざし、事実を隠蔽し続けたこの事件。真相が闇の中という事と、不審な点が多いという事で様々な陰謀説が囁かれています。どれも推測の域を出ませんが、中にはもしかしたら…と思わせる説得力を持っているものもあります。
ロッキード事件の噂①石油メジャーとアメリカの陰謀
田中角栄は、石油の原産国から直接資源を買い取る働きかけをしていました。今までは石油メジャーと呼ばれる複数の大手石油系会社が石油の採掘から販売までを取り仕切っていました。石油会社は7社あるうちの5社がアメリカの企業で、つまりアメリカの機嫌を損ねるとエネルギー源の供給がストップするかもしれないということです。
田中はそれを良しとせず、エネルギー源の安定供給を目指して動き始めました。しかし当然アメリカ政府はそれを好ましく思いません。そこで田中が勝手な振る舞いをしないようアメリカ政府と企業が結託して彼を引きずり下ろすためにこの収賄事件を起こしたという説があります。
ロッキード事件の噂②中国と仲の良かった田中角栄を嵌めるため
2つ目は中国との国交正常化を成立させ、関係を良くしていった田中角栄をよく思わないアメリカ政府が、彼を失脚させるために仕組んだ罠だったという説です。その頃、ロシアや中国と仲の良くなかったアメリカはその関係性に息切れし始めていました。そこで、まずは中国との友好関係から築いていこうと考えていたところでした。
ですが、いきなり国交回復まで一足飛びに達成することは出来ないだろうと考えていたアメリカは、段階を踏んで仲を深めていこうという算段を取っていました。それなのに田中はそれを軽く飛び越え、国交正常化を達成してしまったのです。このことがアメリカの気に障ったのではないかと言われています。
ロッキード事件の噂③日本の田中角栄に反する者たちの陰謀
一方で、中国との国交成立については右翼など日本国内でも反発する者がおりました。そのため、元々田中角栄のやり方が気に入らなかった者たちが警察と組んで表舞台から引きずり下ろしたのではないかとも言われています。
ロッキード事件の噂④田中角栄の後任の三木武夫による陰謀
もうひとつ、田中角栄の後任である三木武夫が嵌めたのではないかという説もあります。目的は人気取りをして内閣を延命するため、検察を使って逮捕させたのだと噂されていました。三木氏は積極的にこの事件の全貌を暴こうと動き回っていたため、そのような説が浮上したのでしょう。
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ロッキード事件に残る謎
この事件には、今でも多くの謎が残されています。本当は誰かの思惑が絡む仕組まれた事だったのか、それとも単なる偶然だったのか。それが紐解かれた時、少しだけ事件の暗闇に光が差すはずですが、真実を語れる人物はもうこの世にいません。残された謎は謎のまま、今でも闇の中にいます。
関係者が次々と不審死を遂げる
事件が明るみに出てすぐに児玉の元通訳が病死し、田中の運転手だった人物が自殺しています。特に自殺に関しては不審な点が多い事、タイミングが良すぎた事から当事者達が証拠隠滅を狙い、口封じの為に抹殺したのではないかと言われていました。
不自然なロッキード社の内部資料流出
冒頭で触れた、金銭の授受が露見したあるきっかけというのは賄賂に関する重要資料が間違って公聴会に送られてきたことでした。このような決定的な証拠を含む文書が、公聴会が開かれたタイミングに誤配送されてくるものでしょうか。あまりに出来すぎた演出には、誰かが仕組んだことだったのではないか?という疑惑が残ります。
ロッキード社の役員は罪に問われなかった
この事件では、結局アメリカ側の関係者達が罪に問われることはありませんでした。アメリカでは金銭で便宜を図っても罪にならないことと、証人を日本へ引き渡せなかったことなどから特例として起訴便宜主義という方法を使った為です。起訴便宜主義とは検察官などが被疑者の事情を考慮した上で有罪判決を求めるかどうか決める、というものです。
そして最高裁が彼らを罪に問われないことに決めました。しかし、正当な手順を踏まずに得られた証言が証拠能力を持つのかどうか、本当はアメリカ側が重要な証拠を隠したかったための方策なのではないか?と深読みされ、論争が巻き起こりました。
検察のロッキード社からの賄賂の追い方
丸紅ルートでは金銭の受け渡しについての調書が残っています。しかし、その取引場所の供述については全くの嘘ではないか?という疑惑が持ち上がりました。調書によれば休業中の菓子店に行ったと嘘をついて指摘されたり、人が多く取引に向かない場所を供述していたりと不審な点が多いのです。
しかも後に取引を行った秘書が「場所は検察が勝手に変更したが、取引したことは事実なのでどうでもよいと思い変更に応じた」と証言したため一気に信憑性が薄れていきました。それだけではなく、検察の児玉ルートとそれ以外のルートへの力の注ぎ方が不均等すぎるということで、政治主義裁判ではないのか?という批判もされています。
ロッキード事件が他国にもたらした影響は?
この事件がもたらした影響は、日本とアメリカだけではありません。金銭授受による問題は諸外国にまで及び、これをきっかけとして1977年にアメリカ国外に対して商業目的での賄賂を禁止する「海外腐敗行為防止法」が制定される運びとなりました。
ロッキード事件の影響①オランダ編
当社はオランダでも同じように大金を渡しており、ユリアナ女王の王配(女王の配偶者のこと)であるベルンハルトがそれを授受したことがわかり問題となりました。アメリカでもその後賄賂の受け渡しが禁止されるようになったのは、特に日本での一件とこの事件がきっかけとなっています。
ロッキード事件の影響②イタリア編
また、イタリアでも軍用輸送機を採用してもらうために現職の大統領へ賄賂を渡していたことが明らかとなりました。大統領はこのことが原因で任期満了の半年も前に辞任せざるを得なくなりました。
ロッキード事件が原因か?児玉誉士夫宅に俳優がセスナで特攻
他と比べて追及の手が緩めとはいえ、事件発覚後は当然彼の所にも証言をするよう要請が来ていましたが、彼は「病気」と称し頑として出席しませんでした。このことは当時大いに批判され、その態度を許した警察などにまで飛び火するほどでした。批判が集中していたある日、1人の若者がセスナ機で児玉邸へ突っ込むという事件が起きました。
犯人は俳優の前野霜一郎という人物で、撮影用に借りていた飛行機を使っての犯行でした。彼は元々国粋主義者の児玉に心酔していたと言われており、失望と怒りによる特攻とみられています。飛行機ごと家に突っ込んだ前野は29歳の若さで死亡しました。しかし命を賭けた若者の訴えも虚しく、彼が証言台に立って真実を語ることはありませんでした。
ロッキード事件で有名になったフレーズ
連日世間を騒がせていたこの汚職事件。毎日裁判や重要人物達の様子を報道されているうちに印象的なフレーズが人々の頭の中に残り、いつしか流行語にまでなってしまいました。ここではその内のいくつかをご紹介いたします。
ロッキード事件の有名フレーズ①記憶にございません
今でも度々政治家などが使っているこの言葉。元々は小佐野がほぼ全ての質問に対し「記憶”が”ございません」「記憶”は”ありません」と答え田中角栄との関係性などを知らぬ存ぜぬで通そうとした時に使用していたものです。
しかしいつのまにか「記憶”に”ございません」として広まっていきました。田中との関係性を話すと立場が悪くなる事を見越しての黙秘でしたが、世間から見ると滑稽に映り子供も大人も笑い者にしていました。
ロッキード事件の有名フレーズ②ピーナッツ(ピーシーズ)
金額を現わす時に使用された隠語です。1ピーナッツは100万を現わしています。賄賂を受け取る際の領収書に記載するときにこの単位を使用しており、当時のマスコミは「黒いピーナッツを許すな」等と書き立て国民の感情を煽りました。
ロッキード事件の有名フレーズ③ハチの一刺し
田中角栄の秘書であった榎本氏の元妻が、彼らにとって不利な供述をした際に心境を問われ、自らを蜂に例えたことからこの言葉が生まれました。子供を取られた上、離婚後に夫から「金を持ち逃げした」と中傷を受けた怒りと社会的義憤の両側面からこの証言をすることを決めたといいます。
元夫との関係は更に悪くなること、自分もマスコミに追い立てられることを理解しての証言だったのでしょう。「蜂は人を一度刺したら死ぬと言われている」というたとえ話は、自分がこれから立たされるであろう苦境を見据えながらの決死の覚悟であったことが窺えます。
ロッキード事件の有名フレーズ④よっしゃよっしゃ
賄賂を受け取った際に田中角栄が発言したものです。「よっしゃ」というのは元々口癖だったようです。単なる承諾の意味合いなのか、金銭を受け取ったことによる感嘆だったのか真意は本人にしかわかりませんが、1970年代を代表するほどの流行語となりました。
ロッキード事件を題材にした作品
多くの謎と隠された真実は、人々の好奇心と想像力を掻き立てます。事件を題材にした作品は数多く出版され、様々な考察がなされました。興味深いエピソードや考察が盛り込まれた作品群を読むと、より深く事件の内容に触れることが出来ます。
ロッキード事件作品①書籍「ロッキード事件 葬られた真実」
自民党議員が執筆した作品です。タイトルにもある通り、田中角栄について隠された真実があるとしてその謎に迫った作品となっています。検察がいかに現代では許されないような手口を使って彼を追い詰めていったのか、具に描かれているものです。
ロッキード事件作品②書籍「冤罪 田中角栄とロッキード事件の真相」
元側近が、郵便不正事件での冤罪事例と酷似していることを指摘し、この事件もまた冤罪であると主張しています。また、陰謀論も掲げており「彼は罠に嵌められたのだ」と訴える内容となっています。
ロッキード事件作品③書籍「田中角栄の真実-弁護士から見たロッキード事件」
田中の弁護士だった著者が、裁判は不自然で有罪判決が下されたのは疑問であったと事件を振り返っています。また、弁護士だった著者が実際に本人に会って感じた田中の印象についても述べられています。
ロッキード事件作品④書籍「大宰相 田中角栄 ロッキード裁判は無罪だった」
著者は長らくこの事件に疑問を呈し、本当は無罪だったのではないか?という観点から取材をしていました。事件当時、マスコミも国民も誰もが有罪と疑わなかったこの一件にたった一人で無罪を主張したフリーライターの奮闘ぶりを窺い知る事ができます。
ロッキード事件は戦後最大の汚職事件
戦後最大と言われ、40年経った今も書籍やテレビ番組で取り上げられ続けているこの事件。発生当時からアメリカ陰謀説や不審死等の疑問が囁かれていますが、いまだ真相は明らかになっていません。いつの日か隠された証拠が公表されるなどして真実が暴かれ、少しでも事件解決に繋がっていくことを願ってやみません。
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