ロッキード事件とは?真相や謎、陰謀説まとめ!児玉誉士夫もわかりやすく解説!

「この事件のことをすべて話したら日本がひっくり返る」と意味深な言葉を残し、ほとんどすべてを秘匿したままこの世を去った政界の黒幕と言われる人物です。右翼活動家ですが「フィクサー」と呼ばれ、政治家ではないにも関わらず、政治的な意思決定の場に現れると逆らえないと言われるほどの力を持っていたと言われています。

児玉は1911年、福島県に生まれました。実家は貧しく、韓国に嫁いだ姉の元に身を寄せたり帰国したりを繰り返しながら苦しい生活を送っていました。そのため、児玉も田中と同様に早く自立しようと考えますが、度々騙されて低賃金で労働させられ何度も逃亡を図り職を転々としていました。

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この経験から世の中の理不尽さに腹を立て、やがて国粋主義に傾倒していくことになります。「何か世の中のためになることを」と考えていた児玉は、現在の底辺労働者のままでいては何も変えられないと悟りました。そこで、天皇に直談判しようと皇居から出てきたところへ突撃して投獄されるなど、過激な活動を行うようになっていきます。

しかしその目立った行動が功を奏し、児玉は国粋主義者として名を馳せ同じく国粋主義の笹川良一らと関係を持つようになりました。その縁で児玉は中国大陸での視察という大役を得、更にその経験を活かして「児玉機関」を立ち上げます。

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そして戦略物質を中国から買い付け海軍に納入する専属契約を取り付け、着実に影響力・資金力を付けていきました。大戦後は大陸から引き揚げ、機関での資金を元手に暴力団の仲介者として地位を築きました。その後、60年代には日本最大の右翼機関「全愛会議」指導者の1人にまで上り詰めたのです。

こうして裏社会への影響力を揺るぎないものにし、フィクサーと呼ばれるまでに至った児玉ですが、ロッキード事件により姿を消しました。当該事件では多くの賄賂を受け取っていたとされていましたが、秘書に資料を燃やさせて隠滅し、本人は証人喚問に一度も出席せず何も語らないまま1984年にこの世を去りました。

重要人物③田中角栄の秘書官「榎本敏夫」

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田中の秘書で、賄賂の受け取りを行ったのは彼でした。賄賂の受け取りの件は口外しないよう妻から言い含められていましたが、いざ取り調べを受けるとあっさり白状してしまいます。そのせいで妻とは離婚することになり、更には隠していた不利な証拠を彼女から暴露される羽目になりました。2017年、91歳で死去しています。

重要人物④田中角栄の友「小佐野賢治」

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田中の友人で、出資者でもあった実業家です。お互いの顧問弁護士を介して知り合い、以降ずっと密接な付き合いを続けていました。幼少のころから金策がうまく商才に恵まれた人物で、兵役を終えてすぐに事業を立ち上げ成功を収めました。海外のホテルにいち早く目を付け事業展開したことから「ホテル王」とも呼ばれています。

全日空・日本航空の大株主であり、この事件にも密接に関わっているのではないかと言われていました。しかし証人喚問では流行語にもなった「記憶にありません」という言葉を繰り返し、結局真実を語りませんでした。友人をかばうためだったと言われています。偽証罪に問われていましたが、公判中の1986年に死去し、公訴棄却となっています。

重要商社「丸紅」

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当時、航空機の販売代理店をしていた総合商社で、現在も7大商社の1つとして存在しています。現在の社長は國分文也、資本金は2626億、従業員数は単独で4,379名(連結では38,830名)の大手企業です。事件当時の社長は檜山廣で、逮捕・起訴され有罪判決が下されています。

重要航空会社「全日空」

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略称で呼ばれる事の方が多いのですが、正式名称は全日本空輸です。事件当時、賄賂を複数人の政府関係者に流したとして問題になりました。社長の若狭氏を含む社員6名は逮捕・起訴されていますが、執行猶予付きの有罪判決となりました。

そもそもなぜロッキード事件は起きたのか?

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ここからはなぜ、この事件が起きてしまったのかを詳しく解説していきます。事件の起きた背景には熾烈なシェア競いと、社運を賭けた必死の営業戦略がありました。しかしそれが後に世界を巻き込む大事件に発展するとは思ってもみなかったことでしょう。

ロッキード社の業績不振が始まり

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軍用機の生産に力を入れていた当社は、第二次世界大戦・ベトナム戦争での特需によって業績を伸ばしていました。しかし戦争が終わると需要が減り、途端に赤字転落してしまいます。もはや、軍用機の開発だけでは立ちいかない時代になっていたのです。

ロッキード社とは?

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ところでこの会社、「名前はよく聞くけれど、何をしているのかよくわからない」という方もいらっしゃると思います。簡単に説明しておきますと、当社は1913年に創立された飛行機の製造・販売を行う会社です。軍用機開発を得意とし、当時軍需産業としては上位を誇る会社でした。現在も企業規模としてはボーイングに続き2位となっています。

他の会社との熾烈なシェア争い

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今でこそ順調に業績を伸ばしている当社ですが、当時は右肩下りの業績を回復させるため必死で民間航空機の開発に乗り出していました。しかしジェット化の波に乗り遅れ、既に競合他社にはジェット機の知名度で負けていました。おかげで自社開発のジェット機「トライスター」の営業をするもうまく行かず、更なる業績不振に陥っていました。

ロッキード社がばらまいた賄賂

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窮地に追い込まれた会社が出した打開策、それは自社製品の導入と引き換えに賄賂を渡すことでした。当時アメリカでは、自社と契約させるために余分なお金を支払う事は合法で、罪に問われることはなかったのです。

ロッキード社が各国に働きかける際賄賂を利用

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とにかく自社の飛行機を売り込むため、彼らは各国に賄賂をばら撒きはじめました。アメリカで合法とはいえこの事は日本のみならず他の国々でも問題となり、後々新しい法律が制定されるきっかけにもなっていきます。

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