ロッキード事件とは?真相や謎、陰謀説まとめ!児玉誉士夫もわかりやすく解説!

ロッキード事件は、アメリカのロッキード社からの賄賂を巡った元総理大臣など国家の重要人物が逮捕された戦後最大の疑獄事件です。この記事ではロッキード事件の概要と真相、囁かれる謎や陰謀説の数々、ロッキード事件が元で有名になったフレーズの意味をご紹介します。

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小さなころから怪談・都市伝説が好きです。あまりに好きなので、もう知らない怪談がなくなってきたほどです。
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ロッキード事件とは?

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ロッキード社が開発した飛行機を日本に受注させるため、およそ30億もの賄賂をいくつかのルートに分けて日本の権力者達にばら撒いていた事件のことです。汚職事件としては戦後最悪と言われ、更に現職の総理大臣が関与していたという事もあり日本中を震撼させました。

ロッキード事件の概要

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当時、思うように旅客機が売れず四苦八苦していた当社は、何とかして競合他社を押し退け日本に売り込みをかけたいと考えていました。しかし出足が遅く、日本では既に別の会社へ旅客機を発注するという事で話が纏まりかけていました。

そこで日本の権力者に対して大金を積み、自社の製品を選んで貰えるよう口利きを頼んだのです。それがとある偶然により明るみに出てしまい、政府関係者が続々逮捕されたというのが大まかな事件の概要です。

ロッキード社からばら撒かれた大規模な賄賂

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この会社から日本にばら撒かれた賄賂は30億にものぼりました。後ほど詳しく述べていきますが、その大半はさる資産家に流れ、残りは飛行機販売の仲介業者などを介しながら複数の権力者達に渡りました。もちろんその事実は隠蔽され、しばらくは明るみに出ませんでした。

ロッキード社の副社長が賄賂を暴露

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ところが1972年にアメリカで行われた公聴会にて副社長が賄賂について証言したことで、事件は一気に白日の下に晒されます。彼は賄賂の話などするつもりはなく、ひた隠しにしていましたが、後述する「あるきっかけ」によって暴露せざるを得ない状況に追い込まれてしまったのです。

前代未聞の総理大臣歴任者の逮捕

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それを受けて日本国内でも調査が行われ、田中角栄を始めとした官僚や財政界に影響を持つ人物が次々と逮捕されました。中でも人々の目を引いたのは、現職の総理大臣が事件に関与し、退任後とはいえ逮捕されたという点です。

今までに総理大臣が在職中に事件を起こした例はなく、正に前代未聞でした。特に、一時は支持率を64%まで上げ日本を牽引していた田中角栄の凋落ぶりは、当時センセーショナルな話題として日本を駆け巡りました。

次々に暴かれる政界の闇

そして賄賂の話が表沙汰になり、事件が整理されていくにつれ、次々と政界の闇が浮き彫りになってきました。蓋を開けてみるとそこには単なる贈収賄事件では片付けられない、複雑な人間関係と利害関係の絡みあう姿がありました。

ロッキード事件のその後、裁判の行方は

波紋を呼んだこの事件、結局裁判がどのように集結したのかはご存知ない方も多いのではないでしょうか。この章では裁判の行方について説明していきます。また、渦中のロッキード社はどうなってしまったのか、その現在の姿についてもまとめました。

16名にも及んだ逮捕者

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事件後の取り調べは500人近くもの議員・一般人に及び、うち18名が逮捕され16名が起訴となりました。起訴されたのは政治家だけでなく、丸紅や全日空といった民間企業の幹部も含まれていました。1976年の一斉逮捕、ここから1995年に最後の判決が下されるまでの長い裁判が始まります。

16名の内5人が公判中に死亡のため公訴棄却となる

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しかし、結局は16名全員が裁判を終えることなくこの事件は幕を閉じます。長く続いた裁判の間に高齢化が進んだこともあり、起訴された人間のうち5人が病気などによって死亡し公訴棄却となってしまったのです。

残る11名は1995年有罪判決が下った

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そして1995年、最後の被告人が有罪判決を下され、20年近くかかった裁判は終結を迎えました。しかし主要人物達が最後まで証拠を隠滅し、取り調べを受けてもひたすらに「知らぬ、存ぜぬ」を貫き通したまま亡くなってしまったため、真相は未だ掴めず藪の中です。

ロッキード社はどうなった?

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他社と合併し、現在は「ロッキード・マーチン」と社名を変えて今も飛行機の開発に携わっています。結局、民間航空機からは手を引いてしまいましたが、現在は軍用機だけでなく宇宙開発やミサイル開発まで手広く行っています。

ロッキード事件の重要人物・商社・航空会社

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ではここで、この事件に大きく関わっていた重要人物と企業をピックアップして詳しく見ていきましょう。特に秘書官を除く3人は、事件の重要人物でありながらほとんど何も語らないままこの世を去りました。一体彼らはどのような人物だったのでしょうか。

重要人物①元総理大臣「田中角栄」

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第64・65代総理大臣を務め、人心掌握術やリーダシップが今でも高く評価されています。金脈問題で総理を辞任した後、追い打ちをかけるようにロッキード事件が起きて表舞台から姿を消しましたが、それでも尚、政界に影響を及ぼし続けたその姿から「闇将軍」との異名が付けられました。

田中角栄は1918年、新潟に生まれました。幼い頃から頭が良く成績優秀でしたが、実家が貧しく早くに自立することを考えます。そのため高校へは行かず、上京して働きながら夜間学校へ通い勉強し、建設事務所を立ち上げます。その後、建設事務所の顧問弁護士から要請されて献金を行ったことがきっかけとなり政界進出への道を歩み始めました。

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1949年に当選を果たした後は次々と党幹部に抜擢され、周囲にその名を知らしめていきました。そして1972年、前任の佐藤栄作が福田赳夫を推していたにも関わらずそれを打ち破り、内閣総理大臣となりました。国内ではインフラ整備などに力を注ぎ、また外交にも力を入れ日中の国交正常化は今でも中国から評価されるほどの功績を残しました。

1972年、ロッキード事件が発生し逮捕・起訴され一審では有罪となりましたが控訴。1987年の控訴審判決で棄却されましたが更に上告しました。しかし、結局判決が下される前の1993年に死去したため公訴は棄却となりました。

重要人物②政界の黒幕「児玉誉士夫」

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「この事件のことをすべて話したら日本がひっくり返る」と意味深な言葉を残し、ほとんどすべてを秘匿したままこの世を去った政界の黒幕と言われる人物です。右翼活動家ですが「フィクサー」と呼ばれ、政治家ではないにも関わらず、政治的な意思決定の場に現れると逆らえないと言われるほどの力を持っていたと言われています。

児玉は1911年、福島県に生まれました。実家は貧しく、韓国に嫁いだ姉の元に身を寄せたり帰国したりを繰り返しながら苦しい生活を送っていました。そのため、児玉も田中と同様に早く自立しようと考えますが、度々騙されて低賃金で労働させられ何度も逃亡を図り職を転々としていました。

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この経験から世の中の理不尽さに腹を立て、やがて国粋主義に傾倒していくことになります。「何か世の中のためになることを」と考えていた児玉は、現在の底辺労働者のままでいては何も変えられないと悟りました。そこで、天皇に直談判しようと皇居から出てきたところへ突撃して投獄されるなど、過激な活動を行うようになっていきます。

しかしその目立った行動が功を奏し、児玉は国粋主義者として名を馳せ同じく国粋主義の笹川良一らと関係を持つようになりました。その縁で児玉は中国大陸での視察という大役を得、更にその経験を活かして「児玉機関」を立ち上げます。

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そして戦略物質を中国から買い付け海軍に納入する専属契約を取り付け、着実に影響力・資金力を付けていきました。大戦後は大陸から引き揚げ、機関での資金を元手に暴力団の仲介者として地位を築きました。その後、60年代には日本最大の右翼機関「全愛会議」指導者の1人にまで上り詰めたのです。

こうして裏社会への影響力を揺るぎないものにし、フィクサーと呼ばれるまでに至った児玉ですが、ロッキード事件により姿を消しました。当該事件では多くの賄賂を受け取っていたとされていましたが、秘書に資料を燃やさせて隠滅し、本人は証人喚問に一度も出席せず何も語らないまま1984年にこの世を去りました。

重要人物③田中角栄の秘書官「榎本敏夫」

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田中の秘書で、賄賂の受け取りを行ったのは彼でした。賄賂の受け取りの件は口外しないよう妻から言い含められていましたが、いざ取り調べを受けるとあっさり白状してしまいます。そのせいで妻とは離婚することになり、更には隠していた不利な証拠を彼女から暴露される羽目になりました。2017年、91歳で死去しています。

重要人物④田中角栄の友「小佐野賢治」

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田中の友人で、出資者でもあった実業家です。お互いの顧問弁護士を介して知り合い、以降ずっと密接な付き合いを続けていました。幼少のころから金策がうまく商才に恵まれた人物で、兵役を終えてすぐに事業を立ち上げ成功を収めました。海外のホテルにいち早く目を付け事業展開したことから「ホテル王」とも呼ばれています。

全日空・日本航空の大株主であり、この事件にも密接に関わっているのではないかと言われていました。しかし証人喚問では流行語にもなった「記憶にありません」という言葉を繰り返し、結局真実を語りませんでした。友人をかばうためだったと言われています。偽証罪に問われていましたが、公判中の1986年に死去し、公訴棄却となっています。

重要商社「丸紅」

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当時、航空機の販売代理店をしていた総合商社で、現在も7大商社の1つとして存在しています。現在の社長は國分文也、資本金は2626億、従業員数は単独で4,379名(連結では38,830名)の大手企業です。事件当時の社長は檜山廣で、逮捕・起訴され有罪判決が下されています。

重要航空会社「全日空」

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略称で呼ばれる事の方が多いのですが、正式名称は全日本空輸です。事件当時、賄賂を複数人の政府関係者に流したとして問題になりました。社長の若狭氏を含む社員6名は逮捕・起訴されていますが、執行猶予付きの有罪判決となりました。

そもそもなぜロッキード事件は起きたのか?

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ここからはなぜ、この事件が起きてしまったのかを詳しく解説していきます。事件の起きた背景には熾烈なシェア競いと、社運を賭けた必死の営業戦略がありました。しかしそれが後に世界を巻き込む大事件に発展するとは思ってもみなかったことでしょう。

ロッキード社の業績不振が始まり

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軍用機の生産に力を入れていた当社は、第二次世界大戦・ベトナム戦争での特需によって業績を伸ばしていました。しかし戦争が終わると需要が減り、途端に赤字転落してしまいます。もはや、軍用機の開発だけでは立ちいかない時代になっていたのです。

ロッキード社とは?

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ところでこの会社、「名前はよく聞くけれど、何をしているのかよくわからない」という方もいらっしゃると思います。簡単に説明しておきますと、当社は1913年に創立された飛行機の製造・販売を行う会社です。軍用機開発を得意とし、当時軍需産業としては上位を誇る会社でした。現在も企業規模としてはボーイングに続き2位となっています。

他の会社との熾烈なシェア争い

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今でこそ順調に業績を伸ばしている当社ですが、当時は右肩下りの業績を回復させるため必死で民間航空機の開発に乗り出していました。しかしジェット化の波に乗り遅れ、既に競合他社にはジェット機の知名度で負けていました。おかげで自社開発のジェット機「トライスター」の営業をするもうまく行かず、更なる業績不振に陥っていました。

ロッキード社がばらまいた賄賂

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窮地に追い込まれた会社が出した打開策、それは自社製品の導入と引き換えに賄賂を渡すことでした。当時アメリカでは、自社と契約させるために余分なお金を支払う事は合法で、罪に問われることはなかったのです。

ロッキード社が各国に働きかける際賄賂を利用

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とにかく自社の飛行機を売り込むため、彼らは各国に賄賂をばら撒きはじめました。アメリカで合法とはいえこの事は日本のみならず他の国々でも問題となり、後々新しい法律が制定されるきっかけにもなっていきます。

日本にも多額の賄賂がばら撒かれる

賄賂を使って契約を取りつけようとする戦略は日本にまで及びました。日本は海外旅行ブームで各航空会社が新しいジェット機の導入に乗り出しており、会社としてはまたとないチャンスだったからです。

ですが、既に日本航空はライバル社との契約を決定しているなど少々出遅れた感がありました。そこで全日空には確実に自社製品を導入してもらおうと、合計で30億もの賄賂を3つのルートに分けて渡していたのです。

ロッキード社からの賄賂が流れた3つのルートとは

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先程から触れられている3つのルートですが、1つは飛行機の販売代理店に、もう1つは航空機の売り込みをかけたい全日空へ、そして最後は児玉誉士夫個人に渡りました。この3つの内、特に児玉ルートには未だ多くの謎が残っています。

ルート①丸紅ルート

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田中角栄に5億円を流したのがこのルートです。この時はもう全日空に自社製品が選ばれることはほぼ確定していましたが、念押しの為に渡したと丸紅の航空機課長が証言しています。また彼は「5億を出せと言ったのは自分からの提案である」とも言っています。

更に彼はもうひとつ「P3C(アメリカが開発した軍用機のこと)の導入のためでもある」と発言しています。後の章で説明しますが、当事者達の発言には度々この単語が出てきます。そのため、この大規模な汚職事件は単なる旅客機販売だけが目的ではなく、新しい軍用機を売るためだったのでは?とも言われています。

ルート②全日空ルート

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航空機を購入した際の手数料という名目で、全日空にも2億円が渡っていました。全日空は政治的に自社が有利になるよう、そのお金の一部を運輸関係の政治家や官僚に回していました。これは受託収賄罪に当たるとして、運輸政務次官などが逮捕・起訴され有罪となっています。

ルート③児玉ルート

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最後は児玉ルートですが、何と21億円もの賄賂が個人の手に渡っています。日本に軍用機を売るためのコンサルタント料という名目でしたが、何故これだけの大金を支払わなければならなかったのでしょうか。それは、この軍用機導入こそがアメリカの真の目的だったからではないかと言われています。そちらについては次章で詳しく説明いたします。

ロッキード社の本当の狙いは?

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民間航空機を売り出したいというのももちろんあったのですが、本当の狙いはアメリカが国を上げて開発していた「P3C」を日本に売りたかったからではないか?という噂があります。実際、関係者の証言にも度々その話題が出てきます。

しかしこの飛行機は軍用機なので、もしもアメリカから日本に金銭を渡して売り込んだ事がバレてしまうと政治的にアメリカの立場が悪くなってしまうためにその事実を隠蔽したのではないかと言われています。

米国政府が隠蔽した出来事についての噂は他にもあります。こちらの記事も参照してみてください。

P3Cとは?アメリカが執着していた理由とは?

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