地球空洞説とは何なのか?
言葉だけなら誰もが一度は耳にしたことがあるものの、実際にどんな主張がされているのかは知らない方も多いのではないでしょうか。これは、一言で言えば地球の中身は空っぽであるという説です。現代科学では否定される事が多いのですが、間違っているという決定的証拠がないため今でも度々議論されています。
学校で教わったマントルの話
私達が学校で習った地球の構造としては、大まかに言ってまず流動する個体であるマントルがあり、金属の液体で出来た外核があり、最後に鉄やニッケルで出来た内核があるとされていました。つまり中身はいくつかの層によりしっかりと詰まっていて、空洞などないという事です。
これは1797年にキャヴェンディッシュという科学者が地球の密度についての実験を行い発表した説や、ニュートンの万有引力などが元になって提唱されるようになりました。彼らの実験結果や法則を正しいとするならば、地球は中心に行くほど重い金属などの物質によって作られていなければ成り立たないからです。
都市伝説では終わらない空洞説
空洞説は昔から提唱されており、今でも一定の支持を得ています。しかし科学が発達した現代ではこのような突拍子もない説は一蹴され、最早都市伝説のような扱いとなっています。けれど、裏付けとして提示された証拠を見ると絶対に間違っていると言い切れない事も確かです。
地球空洞説はひとつだけではなかった
この説を提唱した人物は、代表的なものだけ挙げても3人存在します。提唱していたのは当時有名だった科学者などで、売名行為のためではなく真摯にこの説を支持していました。この章ではそれぞれの説について紹介していきます。
地球空洞説①エドモンド・ハレーの説
エドモンド・ハレーはイギリスの天文学者で、最初にこの説を発表した人物です。ハレー彗星のハレーは彼の名前から付けられています。彼の説では地球の中はマトリョーシカのようにいくつか球体の層があり、その中心に核と呼ばれる球体があるという構造になっています。球体と球体の間には空気があり、球体の中に球体が浮いているイメージです。
地球空洞説②レオンハルト・オイラーの説
こちらは「オイラーの公式」などで知られ、主に解析学で多くの業績を残した数学者が提唱したものです。彼が考える地球の内部は空っぽで層はなく、代わりに明るい太陽に似た星がひとつ入っているという内容でした。
地球空洞説③ジョン・クリーブ・シムズの説
最後は学者ではなく軍人だったシムズという人物の説で、一番有名なものです。彼は地球の両極に穴があり、海はその穴を通じて内部を満たしていると考えました。そして自説を証明するため北極行きを決めますが、資金繰りが上手く行かず断念してしまいます。結局、自分の目で真相を確かめる事は出来ないまま生涯を終えました。
地球空洞説を実際に調査した人たちを紹介
昔はこの説を真面目に信じていた人々が大勢いました。中には実際に自分たちで中身を見てみようという事で調査を始めた人もいます。個人で挑んだ人もいますが、国を挙げての大規模調査を行った国もありました。
調査した人①空洞へ行ったリチャード・イヴリン・バード
軍人でもあり冒険家でもあったこの人物が、1947年にある実験のため南極上空を飛行していました。その際に地下世界への入口を見つけ、着陸を果たしたと発表したのです。更に地底人とも交流したと話しており、写真や手記まで発表されています。
しかしながら帰路については口を閉ざしており、今は語れないと言葉を濁したまま亡くなってしまったため、真相はわかっていません。写真については後の章で紹介する動画内で今でも見ることが出来ます。
調査した人②空洞へ逃亡した?ヒットラー
ヒトラーもまた、国をあげて調査を行っていた信奉者の1人でした。彼は第二次世界大戦で妻と共に自殺したとされていますが、実は地底人に選ばれた人間で、地下へ逃げ延び今も生きているという説があるのです。
しかも驚いた事に、彼は地下の世界で未だに生きているのだとか。実際に現在の姿を撮った写真と称して画像がネット上に公開されていますが、その姿はただの肉塊で本人かどうか判別することは出来ません。
調査した人③穴を掘ったロシア(旧ソ連)
地下に住む何かを探しに行った訳ではありませんが、地下調査として実際に穴を掘ってみた調査チームも存在します。こちらは世界で初めて12キロも地面を掘り進める事に成功しました。しかし当初予定では15キロ掘削するつもりだったものが、何故か12キロ地点で中止してしまいました。
理由は資金難とも、地熱があまりにも高すぎたからとも言われていますが、実はある怪奇現象が原因なのではないかと囁かれています。その怪奇現象については後の章で動画と共に紹介していきます。
地球空洞説の証拠はこれだ!
この説が根強く支持されるのは、ただの伝聞や文書だけではなく写真と動画が証拠として残されているからなのでしょう。こちらはyoutubeなどで今でも見ることが出来ます。そのうちのいくつかを次の章で紹介していきます。
地球空洞説の証拠を動画で確認
それでは証拠となる動画を3つ紹介していきます。北極に空いた穴や、地底を旅した時のものと言われている写真、地下からのうめき声など様々な証拠が紹介されています。最後の動画は不気味な声が録音されているものですので、視聴の際はご注意ください。
ソ連(現ロシア)の宇宙船が撮影した地下への入り口
こちらは宇宙船内部から撮影された地下への入口と言われています。画質が粗いですが、巨大な穴に煙のようなものが吸い込まれていく様子が2分間に渡り撮影されています。ここから降りていけば地下世界へ到達することが出来るのでしょうか。
リチャード・イヴリン・バードが撮影した地下世界
この動画内では、北極に空いた穴をいくつもの宇宙船や人工衛星が観測している事と、実際に地底を旅した人物がいる事について紹介しています。先ほどの章に登場したバード大佐が撮影した写真も登場します。証拠の多くは政府によって隠蔽されていると言われており、こちらは数少ない貴重な写真です。
地底人の叫び?ソ連の実験映像
こちらが2つ前の章で触れた地下調査中に起きた怪奇現象を録音した動画です。これは地下12キロに達した時に起きた現象で、たくさんの人が叫んでいるような声が地下から聞こえてきたというものです。動画内では調査に携わった人のインタビューと共にその音が録音されたものが収録されています。
地下世界へ行ったヤンセンの驚愕レポート
1800年代には偶然に地下世界へ行き、何年もそこで暮らしたという衝撃の告白をした人達が発見されました。彼らは一般人だったので長らくその話が広まることはありませんでしたが、ある作家が話を元に本を出版したことで広く知れ渡りました。
地下世界へ航海したオラフ・ヤンセン親子とは?
地下世界へ行ったと話したのは、ノルウェーで漁師をしていた人物です。地下世界から帰還する際に父親は亡くなってしまいましたが、息子であるオラフは生きて故郷へ帰ることが出来ました。しかし冒険の話は全く信じてもらえずに狂人扱いされてしまいます。そして死に際にたまたま出会った作家へ冒険譚を話した後に亡くなりました。
ヤンセン親子が行った地下世界と巨人
この親子は漁をするために海へ出た際、嵐に巻き込まれてしまいました。そして遭難の末辿り着いたのが地下の世界だったそうです。そこには数百年の寿命を持つ巨人が住んでいて、親子は暖かく受け入れられました。居心地が良かったので2人はそのまま数年をそこで過ごしましたが、やはり故郷に帰ることにしました。
すると帰路に着く際、その国の王がお土産として地下の詳細な地図と金塊をくれたそうです。2人は荷物を船に積み、巨人に見守られながら航海に乗り出しました。しかし、地上に戻って来た2人は愕然とします。
船がたどり着いたのは故郷とは真逆の方向だったからです。それでも何とか家に帰ろうと航海を続けましたが再び嵐に遭い、父親は亡くなってしまいます。その途中で宝物も紛失、オラフだけがなんとか家に辿り着く事が出来ました。
ヤンセンレポートを書籍でチェックしよう
このレポートは書籍にもなっています。親子が見たという当時からは考えられないほど進んだ文明の話や巨人について詳細に書かれていますので、興味のある方はこちらをチェックしてみてください。
地球空洞説を示す世界に残る伝説たち
地下について示した伝説は世界各地に残っています。情報伝達が難しい時代であるにも関わらず、同じような伝説が散らばって存在するというのは不思議なものです。共通するのは地下にある世界に住む人々は幸せに暮らしているというところで、昔の人にとっては憧れに近い存在だったようです。
仏教などに残る「シャンバラ伝説」
アジアのどこかにと言われている地下の王国です。96の小国から成り立っていて、国民は寛容な世界で幸せに暮らし、善行に励んでいるという伝説です。チベットで昔から言い伝えられて来ました。
インディアンの祖先は地底人なのか
ホピ族は、自分達は地下から来た民族なのだと信じています。しかも自分達だけで生きていたのではなく、アリのような異形の民族に守ってもらう形で生き延び、地上に出てきたのだそうです。場所はグランドキャニオンの辺りであると言われています。しかし、洪水で流されて地下世界は壊れてしまったとのことです。
ギリシャ神話のヒュペルボレイオスが住む場所とは
病気も労働もなく、気候は暑くも寒くもない常春の国で、夜という概念も存在しないという理想郷のことです。ロシアの地下にあると信じられて来ました。しかし「入り口を見つけた」と発表した人物が射殺されたり「そのユートピアに行こうとすると抹殺される」という噂があったりと、そこへ行くのは中々困難を極めるようです。