三鷹ストーカー殺人事件とは?リベンジポルノ、犯人池永の生い立ちや判決など

メールで「殺すぞ」とメールで脅されていた被害者、何もしなかった訳がありません。近くまで来ている事を知った彼女は10月4日に通学している高校教諭に相談し学校側から警察へ連絡が行きました。その相談を受けた杉並警察署は三鷹警察署へ相談する様に指導したといいます。

不安を感じた彼女は指導されたとおり保護者同伴で三鷹警察署へ相談に行きます。警察署でも池永に3回警告の連絡するなど行動は起こすものの結果は電話に出ることはなく留守番電話のメッセージに吹き込むだけの対処で終わってしまったのです。

警察から警告の電話があった日、犯人は被害者宅に侵入

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事件が起きたのはその日の午後でした。彼女の部屋に侵入しクローゼットに隠れていた池永でしたが、多少犯行を躊躇する場面も見受けられたそうです。友人に無料のLINEアプリで落ち着かないのか自分の気持を吐き出していました。

  • 元カノのおしいれにて
  • ふんぎりがつかないからかなりストーカーじみた事をしている
  • 神様反省しているので助けてください

運命は最悪な方向に転がった

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警察署を出た彼女はこの後一人で高校に向かい授業をしてから帰宅する事となります。両親は仕事の関係で行動を共にすることは出来なかったのです。それでも警察署に相談したという僅かな希望を持ち帰宅した後に警察署の職員と無事に帰宅をした旨を伝えています。16時51分の事でした。

その後すぐに身を潜めていた池永に襲われ、外まで逃げ出しますが捕まり、路上で首や腹など数箇所も刺し致命傷を負わせます。通報時間が16時55分であるのが正確なら、警察官と電話の切ってからわずか4分間の間に起きた惨劇だったのです。

鈴木さんを刺殺後、逃走中もネット提示版に書き込んだ

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興奮冷めやらぬ池永は捕まるまでの僅かな時間にネットの提示版に書き込みをしています。「被害者、無差別ではないです、恨みがありました。」無差別でない事に加えて恨みが動機である事も書き込んでいます。下にリンクでプライベート用の画像と動画が貼られていたようで自己顕示欲の表れが出ています。

事件のその日に犯人を逮捕と早い段階で解決に至りました。リベンジポルノについては終わりが見えない未解決扱いにはなりそうですが、それだけ根深い犯罪でした。しかし実際にまだ未解決事件は世の中には多々あります。興味のある方はこちらもご覧ください。

三鷹ストーカー殺人事件の判決と犯人、池永チャールストーマスの現在は?

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ここまでは事件が起きるまでに至った経緯と背景を解説しました。警察の対応も波紋を呼びました。裁判なども含めた事件後のどのような結末に至ったのか、池永チャールストーマスの現在、色々な人が関わり導き出された結果はどの様なものだったのでしょう。

初公判は懲役22年の判決が下った

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初公判が行われたのは2014年7月22日東京地裁立川市部で裁判員裁判が行われました。その様子は加害者とは思えぬ態度でした。裁判の前には大体が弁護士と何を証言するのか、どんな態度で出廷するのかしっかり打ち合わせが行われるものです。池永はそれを全く守らなかったと言えます。

  • 名前を聞かれても吐き捨てるような態度
  • 唇を舐め回し終始落ち着かない態度
  • 弁護士側は彼の生い立ちに情状酌量を求め懲役15年を求刑
  • 検察側は終身刑を求刑

被害者参加制度で鈴木沙彩さんのお父さんが出廷しており、池永に対しての悲痛な叫びとも取れる言葉を残しています。「(取材を受けていたことから)達成感すら感じている。反省の気持ちも感じられない」「(死亡が確認された時は)なんでこんな事が起こるんだろうと思った」

初公判の結果

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7月には被告の心理鑑定を行った大学教授も出廷し「被告は被害者と別れることによって自分が消滅してしまうとの危機感から反抗に及んだ」と語ります。彼の生い立ちに触れ、心理療法による治療は可能で、更生の余地はあると証言しました。

2014年8月1日東京地裁立川支部は「強固な殺意に基づく執拗で残忍な犯行。犯行動機はあまりに一方的で身勝手」としたが「若くて更生可能性がある」として有期刑の上限である懲役22年を言い渡しました。もちろん被害者遺族は納得できず、8月4日に控訴するに至ります。

初公判ではリベンジポルノについて起訴されていなかった

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当初はリベンジポルノに関しては資料が世間に漏れること、両親が被害者の名誉を傷つくのを恐れて懸念した為判決内容の中に含まれていませんでした。しかし懸念した結果で刑が軽くなった可能性を考え追起訴しました、提出していた画像は2枚から67枚に変わり証拠提出されました。

もう死んでしまってどうするべきか確認できない娘の写真を提出するには考えられない位の勇気がいった事でしょう。躊躇して当たり前です。それをはねのける程の強い気持ちが被害者家族を動かしたと言えるでしょう。

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