三鷹ストーカー事件とは?
三鷹ストーカー殺人事件と聞いてピンとくる人も多いでしょう。リベンジポルノの関連法案が設立するに至った忘れられない出来事でした。2013年10月8日、東京都三鷹市で110番通報により発覚しました。トラック運転手だったのハーフ男性が元交際相手にストーカー行為を繰り返し挙句の果てに刺殺した事件です。
三鷹ストーカー殺人事件の概要
2013年ですから5年以上昔の事になります。この事件の概要を知ることでこれから見て頂く全ての事柄に繋がりを感じて頂けるでしょう。なぜ、事件は事細かく報道されるのか考えた事はありませんか?二度と同じ被害を起こさない為の警告と考えられるのです。
2013年10月8日、三鷹市の路上で鈴木沙彩さんが刺殺される
2013年10月8日16時55分に路上で倒れている「鈴木沙彩さん」が発見され110番通報で今回の事件が発覚しました。首や腹にめった刺しに刺された11箇所の傷があり、逮捕されたのは同じ日の18時30分にでした。ストーカーの規制法が5日前の10月3日から施工されたすぐ後の出来事でした。
また見つかった時には鈴木沙彩さんはかろうじてまだ息が有り救急車で運ばれています。約2時間後、残念ながらこの世に戻ってくる事はありませんでした。私立高校に通う18歳の女性犯人もすぐに逮捕されたことから事件の概要が分かるまでには時間がかかりませんでした。
犯人は元交際相手の池永チャールストーマス
すぐに逮捕された犯人は元交際相手の「池永チャールストーマス」でした。決定的な決め手となったのは事件の関与を本人が「私がやりました」と認めた事にあります。ズボンに血の痕があることで警官の目に止まり、緊急逮捕の運びとなりました。こんなにも早くに犯人にたどり着くのは稀でしょう。
三鷹ストーカー殺人事件の詳細
ここからは被害者の鈴木沙彩さんと犯人の池永チャールストーマスとの関係を追います。事件の背景ともなる出会いから、どうしてこの様な悲惨な結果になったか、なぜこの事件は起きたかについて見ていきましょう。
2011年頃から犯人と被害者の遠距離恋愛が始まった
鈴木沙彩さんと池永チャールストーマスの出会いはFacebookでした。かつてからしつこく言い寄られている男性に辟易していた鈴木さんが池永に相談に載ってもらった事がきっかけとなりました。夜行バスに乗り度々鈴木さんに会いに行く池永、この時は鈴木さんの家まで行くほど親密な関係を築いていました。
しかしこの時点でSNSの落とし穴にすでに落ちていた池永でした。お互いの今までの素性はSNSでは分からないものです。「自分は立命館大の学生だ」と偽り教えた携帯電話の番号も友人のものだったのです。また嬉しさ故に2ちゃんねるに妹と偽り二人の写真を投稿していました。
2012年頃、被害者の留学が理由で別れる
2012年9月頃、2人の付き合いはわずか1年弱で終わりを迎えます。別れる理由は彼女に海外留学の話が決まった事が要因となったようです。一旦はここで二人の関係に終止符が打たれた様に感じます。ここで終わっていれば悲劇は起こらなかったのでしょう。
この1年弱の間に鈴木さんの中では思う所があったのかと思います。語学留学と言っても今までも遠距離恋愛を貫いていた彼女達の別れる原因にはなりえないでしょう。悲劇を食い止めるための防御策としての別れだったのかもしれません。でも1年弱の付き合いは彼にとったら長い大事な時間だったのです。
2013年、留学から戻った被害者に犯人は執拗に復縁を迫った
しかし事態は一変、2013年3月に彼女が留学から帰国すると待っていたのは復縁を執拗に迫る池永でした。彼女が断りを入れても状態は悪化する一方「写真を送れ、送らないと俺は死ぬ」等の脅迫まがいな事も言いはじめ、「自分と付き合わないと、交際していた時の写真を配る」ともFacebookに投稿していました。
鈴木沙綾さんは芸能界でも活躍する程の美少女、その為脅迫には困った事でしょう。その出来事を受け6月には父親も池永に対して連絡をしないように牽制し母親も「立場が違うのだからそっと応援して欲しい」と諭したそうです。
犯人は関西から上京、警察からは警告の電話が入っていた
9月末になると池永は犯行をする為に夜行バスで関西から上京します。三ヶ月前にはナイフを購入、人体に急所がある事を学ぶ為の本の熟読、大学の友人相手に模擬殺人の練習など着々と犯行の準備に入るのです。
友人には「4、5年アメリカに行く。その前に彼女と話をしたい」と言って鈴木さんの元に出向きました。当時勤務していいた運送会社は無断欠勤の上に行方をくらましたとあります。この状況だけでも誰か止めることは出来なかったのでしょうか。
その頃の鈴木沙彩さん
メールで「殺すぞ」とメールで脅されていた被害者、何もしなかった訳がありません。近くまで来ている事を知った彼女は10月4日に通学している高校教諭に相談し学校側から警察へ連絡が行きました。その相談を受けた杉並警察署は三鷹警察署へ相談する様に指導したといいます。
不安を感じた彼女は指導されたとおり保護者同伴で三鷹警察署へ相談に行きます。警察署でも池永に3回警告の連絡するなど行動は起こすものの結果は電話に出ることはなく留守番電話のメッセージに吹き込むだけの対処で終わってしまったのです。
警察から警告の電話があった日、犯人は被害者宅に侵入
事件が起きたのはその日の午後でした。彼女の部屋に侵入しクローゼットに隠れていた池永でしたが、多少犯行を躊躇する場面も見受けられたそうです。友人に無料のLINEアプリで落ち着かないのか自分の気持を吐き出していました。
- 元カノのおしいれにて
- ふんぎりがつかないからかなりストーカーじみた事をしている
- 神様反省しているので助けてください
運命は最悪な方向に転がった
警察署を出た彼女はこの後一人で高校に向かい授業をしてから帰宅する事となります。両親は仕事の関係で行動を共にすることは出来なかったのです。それでも警察署に相談したという僅かな希望を持ち帰宅した後に警察署の職員と無事に帰宅をした旨を伝えています。16時51分の事でした。
その後すぐに身を潜めていた池永に襲われ、外まで逃げ出しますが捕まり、路上で首や腹など数箇所も刺し致命傷を負わせます。通報時間が16時55分であるのが正確なら、警察官と電話の切ってからわずか4分間の間に起きた惨劇だったのです。
鈴木さんを刺殺後、逃走中もネット提示版に書き込んだ
興奮冷めやらぬ池永は捕まるまでの僅かな時間にネットの提示版に書き込みをしています。「被害者、無差別ではないです、恨みがありました。」無差別でない事に加えて恨みが動機である事も書き込んでいます。下にリンクでプライベート用の画像と動画が貼られていたようで自己顕示欲の表れが出ています。
事件のその日に犯人を逮捕と早い段階で解決に至りました。リベンジポルノについては終わりが見えない未解決扱いにはなりそうですが、それだけ根深い犯罪でした。しかし実際にまだ未解決事件は世の中には多々あります。興味のある方はこちらもご覧ください。
三鷹ストーカー殺人事件の判決と犯人、池永チャールストーマスの現在は?
ここまでは事件が起きるまでに至った経緯と背景を解説しました。警察の対応も波紋を呼びました。裁判なども含めた事件後のどのような結末に至ったのか、池永チャールストーマスの現在、色々な人が関わり導き出された結果はどの様なものだったのでしょう。
初公判は懲役22年の判決が下った
初公判が行われたのは2014年7月22日東京地裁立川市部で裁判員裁判が行われました。その様子は加害者とは思えぬ態度でした。裁判の前には大体が弁護士と何を証言するのか、どんな態度で出廷するのかしっかり打ち合わせが行われるものです。池永はそれを全く守らなかったと言えます。
- 名前を聞かれても吐き捨てるような態度
- 唇を舐め回し終始落ち着かない態度
- 弁護士側は彼の生い立ちに情状酌量を求め懲役15年を求刑
- 検察側は終身刑を求刑
被害者参加制度で鈴木沙彩さんのお父さんが出廷しており、池永に対しての悲痛な叫びとも取れる言葉を残しています。「(取材を受けていたことから)達成感すら感じている。反省の気持ちも感じられない」「(死亡が確認された時は)なんでこんな事が起こるんだろうと思った」
初公判の結果
7月には被告の心理鑑定を行った大学教授も出廷し「被告は被害者と別れることによって自分が消滅してしまうとの危機感から反抗に及んだ」と語ります。彼の生い立ちに触れ、心理療法による治療は可能で、更生の余地はあると証言しました。
2014年8月1日東京地裁立川支部は「強固な殺意に基づく執拗で残忍な犯行。犯行動機はあまりに一方的で身勝手」としたが「若くて更生可能性がある」として有期刑の上限である懲役22年を言い渡しました。もちろん被害者遺族は納得できず、8月4日に控訴するに至ります。
初公判ではリベンジポルノについて起訴されていなかった
当初はリベンジポルノに関しては資料が世間に漏れること、両親が被害者の名誉を傷つくのを恐れて懸念した為判決内容の中に含まれていませんでした。しかし懸念した結果で刑が軽くなった可能性を考え追起訴しました、提出していた画像は2枚から67枚に変わり証拠提出されました。
もう死んでしまってどうするべきか確認できない娘の写真を提出するには考えられない位の勇気がいった事でしょう。躊躇して当たり前です。それをはねのける程の強い気持ちが被害者家族を動かしたと言えるでしょう。
再裁判の結果、懲役22年が確定された
2018年3月16日、東京最高裁は差し戻し審の判決を出しました。しかし前と変わらぬ懲役22年でした。なぜか今回は池永が謝罪の言葉を述べた事によりその点が考慮されたと言われます。「告訴という辛い選択をした私達は全く納得できない」被害者の父親の言葉がなんとも言い難い歯切れの悪い結末となりました。
裁判結果については裁判官のみが知っています。様々な憶測が飛び交う中で、元々1回目の裁判の時に別々の罪として扱わずに裁判をしてしまった事が原因とされています。殺人事件とリベンジポルノは別事件なのです。しかしそこも踏まえての判決だった為内容も結果も変わらなかったと言う説もありました。
犯人の池永チャールストーマスは現在服役中
現在服役中の彼は、最高裁の判決後も不服として控訴しています。もちろん被害側も控訴していますが両方共棄却されています。逮捕されてから獄中でのインタビューに堂々と答えていました。22年では生ぬるいと言った意見が多い中、それでも控訴を求めた池永が本当に反省する時は来るのでしょうか。
三鷹ストーカー殺人事件の被害者家族の現在は?
納得行かない状況で終わりを告げた裁判でしたが、現在被害者の家族はどうしているのか気になる所ですね。しかし、現在の詳細については分かっていません。おそらくは元の家で生活しているかと思われます。
事件後も何故か被害者や被害者家族にも過失があったのではないかなど心無い言葉がありました。被害者を失った悲しみが言えず毎日想像もつかないような毎日を送っていると思われます。ご家族がいつか安らげる日が来ることを願うばかりです。
ストーカー被害の現実
ここまで三鷹ストーカー殺人事件に焦点を当ててきましたが実際のストーカーによる犯罪件数、また立件などはどれ位になるのでしょう。いつどこで恨みを買ってストーカー被害にあうか分からりません。その時になってどこまで警察がしてくれるのか、何をするべきなのか戸惑ってしまいます。
警察が出来る事
警視庁のストーカー事案の相談件数は1784件、前年に比べて642件減少しているようです。警告が488件で禁止命令は72件、検挙は95件でした。この警告、禁止命令、検挙の意味については分かりやすく下に記載します。
- 警告 警察から加害者に被害者に対してのストーカー行為をしないように警告すること。拘束力なし。
- 禁止命令 警告の上で加害者に義務を課し権利を制限することが出来る。従わなかった場合罰則が重くなる
- 検挙 逮捕(刑事事件として扱われる)
自分で出来ること
警察でしてもらえることは上記でまとめました。警告にしても禁止令にしても被害状況をきちんと報告し証拠もまとめないといけません。また警察からとは言えストーカーに連絡が行く事に恐怖を覚える方も多いでしょう。まずは自分一人で抱え込まないことが一番と考えます。
本当に悪質な事件が多いです。脅迫概念に囚われ泣き寝入りして最悪な結末を迎える事も少なくありません。「友人に話したら友人にも被害が及ぶのではないか」心配することは尽きませんが、まずは踏み出さなければ終息もないのです。