宮野裕史とは?
みなさんは「宮野裕史」という名前をご存知でしょうか?平成の犯罪史上、もしくは日本の犯罪史上において、トップレベルに極悪非道と言われる事件の犯人の名前です。この事件自体は、当時多くのメディアで大々的に取り上げられ、全国的に知れ渡ることとなりました。その知名度は、30年たった現在でも、人々の口の端に上るほどです。
女子高生コンクリ殺人事件の主犯格の元少年
宮野裕史が起こしたのは「女子高生コンクリ殺人事件」と呼ばれている事件です。被害者は、当時まだ17歳の女子高校生でした。彼女は、犯人のグループに拉致監禁された上、長期間にわたり凌辱と暴行を受け、最終的には殺害されて遺体を遺棄されるという、あまりにも悲惨な最期を遂げてしまいます。
鬼畜の所業とも言われるこの犯行の実行者は、当時16歳から18歳だった少年4人でした。そして、グループのリーダー的存在であり、事件の主犯格であったのが宮野裕史です。
宮野裕史が主犯格の女子高生コンクリ殺人事件の概要
宮野裕史を筆頭とする少年らの起こした「女子高生コンクリート殺人事件」とはどのようなものだったのでしょうか。鬼畜の所業とまで言われた、その凄惨な犯行の全貌について、改めてまとめます。
1988年、東京都で事件発生
昭和が終わりに近づく1988年の11月25日、宮野裕史と不良仲間の湊伸治(当時15歳)は、自転車で帰宅途中だった見ず知らずの女子高生を誘拐。彼女を強姦します。
それだけでは飽き足らず、二人は彼らが溜まり場にしていた東京都足立区綾瀬にある、湊の自宅に被害者を連れ込みます。その後、同じく不良仲間の小倉譲(当時17歳)と渡邊泰史(当時16歳)も加わって、彼女に凌辱の限りを尽くしました。
約40日間に渡り女子高生を監禁、凌辱し続けた
宮野を筆頭とする犯行グループは、一度や二度の強姦で彼女を解放することはありませんでした。2階にある一室に被害者を監禁し、何日にもわたり、彼らの性欲の捌け口として利用したのです。のみならず、被害者に度重なる暴力をふるい、苦しむ彼女の姿を見て面白がりました。
シンナーや飲酒を強要したり、陰部に異物を挿入したり、体に火を付けたりと、その内容は筆舌に尽くしがたい悲惨なものです。中でも顔への暴行は酷いもので、腫れ上がった彼女の顔は、別人のように変形してしまったと言います。恐怖と障害によって逃げ出すことができなくなった被害者は、この状況で約40日もの間、監禁され続けました。
女子高生の遺体をコンクリート詰めにして遺棄
年が明けてすぐ、1月4日に、少年らからの激しい暴力を受けて、被害者は死亡しました。4人は犯行の隠ぺいするため、彼女の遺体を処理する算段を立てます。
まず、彼らはセメントやドラム缶などを調達し、遺体を旅行鞄に詰めました。次に、ドラム缶に遺体入りの鞄を入れ、さらにセメントを流し込みます。そうしてコンクリ詰めになった遺体を、江東区の埋め立て地に遺棄したのです。
この事件は、彼らが別件で逮捕された際の取り調べにより発覚しました。1989年3月29日に遺体を発見。その後、犯行に関わった4人は裁判にかけられます。容疑は、誘拐、監禁、強姦、暴行、殺人、遺体遺棄などです。
女子高生コンクリート殺人事件の判決は?
犯人はいずれも16歳から18歳の未成年ではありましたが、犯行の悪質さから成人による刑事事件と同じ裁判が執り行われました。検察は主犯格の宮野裕史に対して無期懲役を求刑します。世間からも、厳罰を求める声が大きく上がっていました。しかしながら、2年に及ぶ裁判の結果、宮野裕史に下された刑は懲役20年というものです。
他の3人も、数年程度の懲役が課せられるにとどまりました。加害者の両親から遺族に対して支払われた慰謝料や、被告人が謝罪を述べ反省の色を見せたことが加味されたようです。とはいえ、彼らが成人していたならば、この程度の刑罰では済まなかったとも言われ、「罪の重さに似合っていない」という非難の声は未だに各所から聞こえるところです。
映画化もされたコンクリ事件
女子高生コンクリート殺人事件は、その衝撃的な内容ゆえに多くの小説、映画、漫画などの作品の題材として取り上げました。中でも有名なのが、映画『コンクリート』です。主犯格の少年を演じたのは、俳優の高岡奏輔さんでした。
映画『コンクリート』が公開される
この映画は、2004年に公開されました。原作はコンクリ事件をモチーフとしたノンフィクション小説『十七歳、悪の履歴書』。監督は中村拓武さんです。撮影は、わずか5日間で行われました。ちなみに、同じ監督が作った2008年の映画『TheEARS』は、ロンドンの「レインダンス映画祭」で特別賞を受賞しています。
宮野裕史にあたる役を高岡奏輔さんが演じる
映画の登場人物などの名前は実際のものから変更されてはいますが、関係や役割、境遇などは、ほとんどが事件に即して作られています。
宮野裕史をモデルとする主犯格の少年の名前は「大杉辰夫」で、高岡奏輔(当時の名義は高岡蒼佑)さんが演じました。松岡さんは『バトル・ロワイアル』、『パッチギ!』、『青い春』など、俗に言うヤンキー映画で多く活躍しています。
上映反対の声も上がる
映画の公開に当たっては、「事件が残虐的過ぎる」「映画化する必要性がわからない」との声がネットなどで上がり、上映反対の意見を数多く集めることとなります。その影響により、当初の予定日での公開は中止されましたが、後日別の劇場にて1週間だけ上映されました。
宮野裕史の名前が公表されたきっかけ
宮野は事件の当時18歳の未成年でした。それのため他の3人同様、その本名は少年法による規制を受けて、公表されてはいませんでした。しかし、犯行の残忍さから週刊誌などが実名報道に踏み切り、この元少年の名前は世間に広く知れ渡ることとなったのです。
宮野裕史たちの本名は公表されていなかった
女子高生コンクリート殺人事件は、日本の犯罪史上にも稀な凶悪事件であったため、全国的なニュースとなり、日本中の人々にショックを与えました。
にもかかわらず、宮野裕史をはじめとする犯人たちの本名や素性に関しては、当時ほとんどのマスコミが報道上で取り上げることはありませんでした。その理由は、現在においても度々議論の対象となり、その是非が問われる「少年法」、そして、同法に基づく実名報道の規制が存在するためです。
少年法による報道規制
家庭裁判所の審判に付された少年又は少年のとき犯した罪により公訴を提起された者については、氏名、年齢、職業、住居、容ぼう等によりその者が当該事件の本人であることを推知することができるような記事又は写真を新聞紙その他の出版物に掲載してはならない。(出典:少年法、第六十一条)
少年法にはこのように記されています。犯罪者が少年だった場合、テレビや新聞などがその名前を公表することは、法律で禁止されているのです。ただし、この規制はあくまで努力義務であり、破ったからと言って罰則があるわけではありません。
被害者の本名は報じられていた
少年法によって、加害者である宮野らのプライバシーは保護されていました。一方で、被害者である少女のプライバシーは、何の法的な保護も受けることはありません。屈辱的な仕打ちを受けて殺害された彼女の実名や顔写真は、マスコミによって大々的に取り上げられ、世間の目に晒される形になったのです。
週刊誌が実名報道に踏み切る
このようなマスメディアの姿勢に反発したのが、文藝春秋の刊行する『週刊文春』です。同誌は事件直後から、加害者である少年たちの実名を報じました。担当していた記者は勝谷誠彦。「野獣に人権はない」というのが、彼の持論です。このような文春の対応と姿勢に対しては、読者から賛同の声が寄せられたと言います。
宮野裕史の現在は?
懲役20年の刑が下った宮野裕史は、その短すぎるとも言われた刑期を終えて、2009年に出所を果たしました。そして、現在も一般社会の中で生活をしているのです。「鬼畜」「野獣」とまで呼ばれた彼は現在、どのような状況なのでしょうか。
宮野裕史の現在①横山裕史に改名
刑務所を出た宮野裕史は、関西に住む保護司の家族と養子縁組をしています。このため、苗字は宮野から横山に変わり、前の家族とは戸籍の上でも切り離されることとなりました。本人の今後の社会生活のためでもあり、以前の家族へ配慮しての措置とも言えます。
宮野裕史の現在②BMWやブランド品!派手な生活を送る
一部の情報によると、宮野は現在、BMWやベンツといった高級車を乗り回していると言います。身に着けているものも、その多くがブランド品で、連日パーティーや女遊びに明け暮れ、派手な生活を送っているとのことです。
宮野裕史の現在③現在の顔写真も出回っている
犯行グループの元少年4人の顔写真は、高校時代のものが当時週刊誌などに掲載され、現在もネット上に出回っている状況です。さらに、宮野に関しては、現在の顔写真と思しき画像も、ネットで公開されています。
宮野裕史の現在④現在の仕事
宮野裕史の出所後の動きは、諸説ありますがはっきりとはしていません。栃木県に移り住み派遣会社で働いていたとも、大阪の靴工場で働いていたとも言われています。
現在は、東京都多摩市のアパートで暮らしているとのことです。現在の職業についての情報は今のところありませんが、キックボクシングのジムに通うことを楽しみとしているようで、時々試合に出ることもあるそうです。
宮野裕史は振り込め詐欺で再犯していた!
はっきりとした情報はないものの、いずれにしても出所した後の宮野は、思うように定職に就くことができずにいたとのことです。にもかかわらず、なぜ高級車や高級ブランド品を所有できるような、リッチな生活ができたのでしょうか。実は、宮野は違法な裏稼業に手を染め、多額の収入を得ていたことが明らかとなりました。
宮野裕史の再犯①出所4年後に再び逮捕された
刑期を終えて刑務所から出た宮野はしかし、更生したとは言い難い言動をとっていたようです。「暴力団とつながっている」「詐欺グループに知り合いがいる」などと吹聴し、自身はマルチ商法などに関わって利益を得ていたと言われています。そして、出所から約4年後の2013年に、彼は再び逮捕されることとなりました。
宮野裕史の再犯②初心者の詐欺グループの一人だった
2013年の1月、池袋警察署は横山裕史(宮野裕史)を振り込め詐欺に関わった疑いで逮捕しました。『週刊文春』が報じたところによると、彼の属していた詐欺グループは、ほとんど初心者の集まりだったようです。