その手口は、無作為に電話をかけて「パチンコ必勝法」という情報を名目に、現金を騙しとるというものでした。宮野はグループの中で、銀行から現金を引き出す「受け子」と呼ばれる役割を担っていたと言われています。
宮野裕史の再犯③黙秘を続けて不起訴処分になった
逮捕された宮野は黙秘を貫きました。彼のような末端の構成員を逮捕しても、口を割らせる以外に証拠をつかむ手段はありません。結局警察は、詐欺グループの尻尾をつかむことはできず、宮野は不起訴となり釈放されました。
宮野裕史の生い立ち
女子高生コンクリ事件を起こし、その後も振り込め詐欺に手を染めた宮野裕史。犯罪を繰り返す彼は、事件を起こす18歳までの間、どのような人生を過ごしてきたのでしょうか。その生い立ちに迫ります。
宮野裕史は両親と妹の4人家族に生まれる
宮野は証券会社に勤める父親とピアノ教師の母親との間に生まれました。そして、7歳下の妹が一人おり、4人家族で生活していました。コンクリ事件の当時は両親とも47歳。妹は11歳でした。ちなみに事件の後、両親はともに職を辞したそうです。
宮野裕史の父親には愛人がいた
比較的裕福な家庭ではあったものの、当時から宮野の両親は不仲だったそうで、父親は外に愛人を作っており、家族間の関係は半ば崩壊していたと言われています。宮野が幼いころから事件の起こった時まで、そのような状況は続いていました。
小学生時代から非行が目立つ少年だった
両親は共働きで忙しく、父親は家庭を顧みず、母親は妹ばかりを溺愛していたそうです。そのような生育環境にあったためか、宮野裕史は小学生の頃から非行に走っていました。さぼりや家出、万引きや校内暴力などの問題を起こしています。
5年生の頃、宮野は髪にパンチパーマを当て、ヌンチャクや木刀を振り回し、小学校に殴り込みをしました。教員から「学校に来るな」と言われたこともあり、母親がこれに対して抗議したそうです。
小学6年生の頃には、仲の良かった友達の影響で、勉強に励むという一面もあったと言います。卒業文集には「悪いことをやった奴らの気持ちがわかる」と記し、「少年院の院長になりたい」と綴っていました。
中学時代は部活の柔道に打ち込んだ
宮野の荒れた人生の中で、中学時代は比較的落ち着いていた時期であったと言えます。彼は周囲の勧めで柔道部に入部しました。真面目に練習に打ち込み、160cmという低身長でありながら優秀な選手に成長します。3年生の時、都大会で2位という優秀な成績を残し、それによって東海大付属高への推薦入学を果たしました。
柔道部で体罰を受け、高校を中退した
しかし、その高校で再び宮野の心を荒ませる出来事が起こりました。柔道部の先輩や顧問から虐待行為ともいえる体罰を受けたのです。殺虫スプレーとライターを使って体をあぶるなど、その内容は酷いものでした。
宮野の素行は再び悪化します。街では喧嘩に明け暮れ、シンナーを吸い、家に帰ると物を壊したり、母親に暴力を振るうようになりました。そのような状況の中で、彼は高校を中退します。
ひったくりや強姦、犯罪を繰り返した
高校を辞めた後は、中学生の頃から付き合っていた恋人(コンクリ事件の犯行グループの一人である渡邊泰史の姉)と同棲を始めます。彼女と結婚するために、見習いのタイル工として真面目に働いていましたが、自動詞学校の合宿で暴力団関係者と知り合ったことで、再び道を踏み外します。
それ以降暴力団との関わりが深くなり、組の傘下にある組織だと気取って「極青会」なるグループを作りました。小倉譲や湊伸治ともこの頃知り合い、渡邊泰史を含めた4人は宮野を中心として、ひったくりや強姦などの、犯罪を繰り返すようになりました。
コンクリ事件の残りの犯人の現在とは
血も涙もない仕打ちで女子高生を苦しめ、殺害した犯人は宮野裕史だけではありません。犯行に加わりながら、彼よりも軽い刑罰を済ませて社会に出た元少年は3人います。湊伸治、小倉譲、渡邊泰史です。今現在、彼らはどのような生活をしているのでしょうか。それぞれの近況に迫ります。
湊伸治は再犯を犯していた!
2018年8月、埼玉県川口市で45歳の男が殺人未遂で逮捕されました。男は軽トラックに乗っていた男性に因縁をつけ、警棒で殴り掛かったうえ、首をナイフで刺し重傷を負わせたのです。この逮捕された男こそ、30年前に起きたコンクリ事件の犯人の一人、湊伸治でした。
出所後はムエタイでプロデビュー
コンクリ事件で5年から9年の不定期刑を科せられた湊は、出所後、ムエタイの選手としてデビューしました。前述の殺人未遂事件のこともあって、彼に関する足取りについては多くの情報があり、最近の顔写真も公開されています。
現在は、ムエタイを引退し、無職で、埼玉県川口市東内野のアパートに住んでいると言われています。外国人の女性と結婚して、娘が一人いるとのことですが、その後離婚したとの噂もあります。周辺の住民からは、全く更生している様子がないという声が上がっているそうです。
小倉譲は三郷市逮捕監禁致傷事件で再逮捕!
懲役5年から10年の不定期刑という判決を受けた小倉譲は、出所後に「神作譲」と改名します。受刑中に身に着けたパソコンのスキルによってIT関連の会社に就職しますが、退職して暴力団の構成員となったそうです。
そして、出所から5年後の2004年5月に、再び事件を起こしました。足立区で知人の男性に因縁をつけ、暴行したうえで埼玉県三郷市のスナックへ拉致監禁、約4時間にわたり暴行や脅迫を加えたというものです。小倉は再び逮捕され、懲役4年の実刑判決を受けました。
被害者にコンクリ事件のことを自慢
小倉はこの犯行の前に、被害者の男性に対して「コンクリ事件の本当のリーダーは俺だった」などと、事件に関わっていたことを堂々と自慢していたそうです。さらには、「警察や検察を丸め込ませる術を知っているから、捕まってもすぐに出てこれる」と嘯いていたとのことで、事件に対する反省が全くなかったことがわかります。
渡邊泰史は引きこもりに
懲役3年から5年の不定期刑を科せられた渡邊泰史は、1996年に刑務所から出ると、自宅(神奈川県横浜市金沢区六浦東の1丁目)に引きこもるようになったそうです。元々気の弱い性格であったとのことで、初公判に際して失神してしまうというエピソードもあります。
同居している母親は、2000年~2001年にかけて新聞やテレビ番組の取材に応じており、「いつまで息子の面倒を見られるかと心配をしている」と語りました。
少年法に守られた犯人たち
女子高生コンクリート殺人事件の犯人は、未成年であったがゆえに重罰を免れました。このように、重大な事件や非道な犯罪を犯しながら、少年法の保護を受けて、相応の刑を免れた犯人は少なくありません。数ある事例の内のいくつかを以下に紹介します。
神戸連続児童殺傷事件
1997年に兵庫県神戸市で発生した事件です。当時14歳の少年が、数か月に渡って次々と小学生を襲い、2人が死亡、3人が重軽傷を負ったという出来事です。男子児童の首を切って晒しものにするという残虐性や、警察を挑発する文書を残すという劇場型犯罪の要素が注目されました。
少年は逮捕されますが、精神障害が認められ医療少年院に送られるという処遇になりました。その後、事件に関する手記『絶歌‐神戸連続児童殺傷事件‐』が出版され、反省の気持ちがあるのかなど、再度世間に波紋を呼ぶこととなります。なお、犯人の本名は、当時の報道でも出版された本でも明らかにはされていません。
京都亀岡無免許暴走事件
2012年4月23日に京都府亀岡市で発生した事件です。18歳の少年が無免許で軽自動車を運転し、その最中に居眠りをした挙句、集団登校をしていた小学生の列に突っ込んだというものです。この事故により引率していた保護者の女性1人と、児童2人が亡くなり、他7人が重軽傷を負いました。
警察は運転していた伊津和真(18)と同乗していた山下連(18)、今西寿希也(18)、さらに、車を貸した川勝航希(19)を逮捕します。裁判の結果は、伊津は懲役5~9年の不定期刑、山下と今西は懲役6ヶ月執行猶予3年、川勝は罰金25万円という判決です。これに対し、遺族や世間からは、刑が軽すぎるという声が上がりました。
犯人たちはいずれも未成年であったため、少年保護法により実名報道が規制されていました。しかし、インターネット上で有志による特定が行われ、本名や素性が明らかとなったのです。
この他に日本で起こった少年犯罪については、以下の記事でも紹介しています。
宮野裕史は残忍な事件を起こし現在は出所している
宮野裕史らが起こした女子高生コンクリート殺人事件は、あまりにも残酷で非人間的な所業でした。にもかかわらず、彼らは未成年だったというだけの理由で、重罰を免れ、一般社会での生活を許されたのです。
その暮らしぶりや、再び罪を犯したことからも、事件への償いが不十分なのではと、疑わざるを得ません。せめて心の中では、被害者の少女に対するお詫びの気持ちが、あってほしいと望むところです。