当時バブルの真っ只中でお金に困ることなく溢れかえっていました。そんな良い時代は長く続かなかったのです。一度覚えた豪快なお金使いは、倹約することが難しいのです。
バブルが弾け皆が倹約し始めたのに対し、マイペースな性格が仇となり次第に黒い霧が立ち込めていくこととなるのです。
1991年バブル崩壊
裏社会の物件に融資をしていた佐川は、多額の利息のかかる支払いに困るようになってきます。資金繰りに悩まされるようになっていきました。会社が倒産になってしまえば路頭に迷うことになります。
何としてでも再建を図る幹部たちと、危機感をもたないワンマン社長であった関係に隙間風が吹き始めたのです。お金の悩みは心を荒げるのでした。徐々に社員たちの不安は膨らんでいくのです。
社長と幹部の間に亀裂が発生
支払い期限を伸ばして貰えるよう懇願したりと奔放していた幹部たちは、相当焦っていました。そこで会社のリーダーでもある社長に、返済する計画を組んだ書類を出してほしいと頼みました。
なんとかなるだろうというマイペースな社長は、計画書を作成するどころか援助が必要だと言い債務をさらに大きく膨らませていったのでした。金銭感覚のズレがあったのか、幹部らは開いた口が塞がりませんでした。
東京佐川急便は親会社佐川急便に吸収された
にっちもさっちもいかなくなったことで、公となり債務合計4395億円という桁外れの金額は国民らを驚愕させます。当然のことながら社長や幹部たちは解雇という厳しい処分を受けたのでした。
そして自分の会社も親会社の物となってしまい、全てをなくしてしまったのです。
佐川急便事件の概要③渡辺広康の逮捕
社長の場合は、解雇だけでは収まりませんでした。多くの債務を作ってまで闇組織と繋がっていたルートは重く彼にのしかかったのです。政治家に収賄を提供することは法律違反です。
厳しい視線が向けられることとなるのです。
1991年に信託義務違反の容疑で逮捕される
この一連は、会社リーダーであった渡辺を逮捕し法で裁くことで解決するという簡単な物語ではありませんでした。反社社会組織にお金が流れていたことは重い罪であり、警察も深く追求していくこととなるのです。
1992年に佐川急便幹部達を特別背任容疑で逮捕
解雇だけで処分は終わりませんでした。塀の中に送り込まれることとなったのです。社長の指示のもと行動を起こしただけではありますが、黙認し動いた罪は重くのしかかったのです。
会社のために動いたことが悪行となり彼らの人生は、振り回されてしまったといえるでしょう。
東京地検特捜部はヤミ献金や不正融資など疑惑を抱く
ふと特捜部は疑問を抱きます。なぜそんなに多額のお金が裏に動いていたのかと思ったのです。これにはただの融資だけでなくもっと奥に潜む腹黒い実権をもった人物がいると怪しんだのです。
ここに関係していると嗅ぎつき実態が怪しまれたのが、政治家トップである竹下と手下の金丸だったのです。目をつけられた2人は執拗にマークされます。
佐川急便事件の概要④一六戦争
次々と化けの皮が剝がれていくように、事件が明るみになります。佐川の社長逮捕によって裏に潜んでいた黒い影が光を浴びることとなりました。
「一」と「六」がつく名前の人物が関わったことから、事件名としてこう呼ばれています。どんなことが起こったでしょうか?
小沢一郎は5億円の政治献金を巡り、検察への徹底抗戦
金丸に多額の資金が流れた疑いを小沢一郎は、徹底抗議しますが梶山清六は早く騒動を鎮める方法を探したうえで、対処していくことを提案します。意見の対立から抗議となっていきます。
これを見かねた問題の当人である金丸は、収支があったにもかかわらず報告してなかったことをミスと認めて事の騒ぎを抑えようと動いたのでした。