下山事件は昭和最大のミステリー事件!国鉄総裁が失踪した事件の真相を考察!

今から70年前、昭和24年というのは、あの第二次世界大戦が昭和20年に終戦したのでその4年後という事になります。この戦争の戦勝国も敗戦国も世界中が大きく疲弊して、復興や開発が盛んに行われた時代になります。また大きな戦勝国のアメリカと当時のソビエト連邦が領地や植民地配分を巡り、にらみ合っていたのです。

初の人工衛星であるスプートニクやキューバのロケット基地、ドイツ国内での事件等。両国の睨み合いが続いていました。いつ核戦争や第三次世界大戦が起こってもおかしくはありませんでした。この事象を『冷戦』と呼ぶのです。昭和24年というのはそんな冷戦初期であり、真っ最中であったのです。アメリカの占領下にあった日本も緊迫していました。

連合国軍がドッジ・ラインに基づく政策を開始

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日本、イタリア、ドイツなどの国と戦争をした連合国軍の中心であるアメリカは日本を占領して、内部から改革を始めていきました。その一つにドッジ・ラインがあります。これがどういったものなのか簡単に説明していきます。日本は戦後で敗戦国という事もあり、物価が異様に高くなるといった様な高インフレな経済であったのです。

そんな高インフレな経済をアメリカの政治家でもあり銀行家でもあるジョセフ・エッジはすぐさま見つめ直し経済政策を提案したのです。その経済政策がドッジ・ラインであり、今でいう公営の事業や企業を縮小するといったものでした。そして日本国有鉄道という公営組織もその対象であり、務めている10万人以上が解雇されてしまったのです。

吉田内閣打倒が騒がれていた

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事件が起きた同年の年初めに衆議院選挙が行われて、吉田を筆頭とする民自党が大多数の議席を得ました。そして吉田内閣とも言われるようになるのですが、この吉田内閣は先ほどの見出しで解説した経済政策を促進していたのです。つまりは国営であった日本国有鉄道の縮小や人員削減を促進している事になるのです。

そこでトップであった下山氏や鉄道団体、民自党に対立する政党は一丸となって、その経済政策を吉田内閣を打倒しようと必死に抗議して反対しました。しかしそれも叶わず事件が起きた前日に約30000人もの日本国有鉄道の社員がクビと言い渡されてしまうのです。トップの下山氏である事から大きな責任と罪悪感を感じていたのかもしれません。

下山事件の死亡者「下山定則」の失踪後の目撃情報は?

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死亡者である下山氏が謎の失踪を遂げてから遺体となって発見されるまで、時間にして1日は経っていません。この間に目撃されたという情報や証言について皆さんにご紹介していきます。失踪していた空白の時間に彼が、どこで何をしていたかを知ることは事件の真相を推理したり突き止める上でとても大切なことなのです。

目撃されたとされる場所、その時間を把握して彼の一連の動きには何か目的があったのか?またこれから自殺するような人が行う行動なのかどうか?何者かに襲われる気配はなかったのかどうか?等様々な可能性について考えてプロファイリングしても良いかもしれません。是非読者の皆さんも真相について考えてみてください。

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現在から45年前に起きた有名な冤罪事件について、興味や関心がある方は是非こちらの記事をご覧ください。冤罪となり無罪が判決されるまで事件発生からなんと25年あまりの長い年月が掛かってしまったのです。警察の強引なやり口が非常に問題視されている事件です。

下山事件の死亡者下山定則の目撃情報①三越

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出社する際に最後に立ち寄ったとされる三越では、その店舗の中で彼らしき人物が目撃されているのです。この三越という有名な百貨店は江戸時代からあるのです。江戸時代に三井という人物が当時の洋服などの衣類を販売する越後屋を創業したのです。それが現在の三越の始まりとなり、名前の由来ともなっているのです。

そんな歴史が長い大きな百貨店に何の用事があったのか?また彼はここでなにをいていたのか?もしかしたら誰かと会っていたのか?様々な憶測ができるのですが、この三越内での行動については当事者しかわからず、現在も謎に包まれたままなのです。専属ドライバーに5分くらいで戻ると言っているのにも関わらず、彼は謎の失踪を遂げてしまうのです。

下山事件の死亡者下山定則の目撃情報②浅草行き列車内

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現在の東京メトロにある銀座線の電車の中でも彼が目撃されています。その電車の終点は浅草駅だったのですが、当然ながらどの駅で降車したのか、どこに向かっていたのか。この事については本人しか知りえないのです。とはいえ専属ドライバーに何も言わず、失踪するように電車に乗って違う場所に行くという事は何かある事を暗示しているのです。

なぜ彼はこの時行方を眩ます様に、一人で電車を乗って移動したのでしょうか?何者かに追われていたのでしょうか?もう既に自殺を図ろうとして心を決めての行動だったのでしょうか?この事に関しても事実は彼自身か知りえないのです。皆さんは彼が何故一人で行方を眩ます様に電車に乗ったと思いますか?是非推理してみてください。

下山事件の死亡者下山定則の目撃情報③末広旅館

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この目撃情報は旅館の主から提供されたものでした。証言によれば夕方の18時から約2時間ほど滞在していたそうなのです。ちなみにこの旅館は死亡者が遺体となって発見された場所からかなり近い場所に位置してるのです。そのためほぼ本人で間違いないと考えられていますが、当時はこれと全く違う反対の意見が囁かれたのです。

この旅館の主がもともとは警察関係者だという事もあって頭が働いたのか、嘘の情報を警察に提供して、自身が経営する旅館の知名度を上げ、繁盛、客寄せを目的としたのではないかと噂されたのです。またこの旅館の主は民自党に対立する政党の一人なのではないか?といった悪い噂も立ってしまったので、かなり風評被害に遭ってしまったと言えます。

下山事件解決の焦点

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目撃情報だけだとしても実際問題彼が何をしようとしていたのか?どんな状況であったかを推測するのはかなり困難であると言えます。唯一分かる事は彼の行動は一貫して、初めからイレギュラーであるという事くらいでしょう。果たしてこのミステリアスな失踪事件の真相を考える上で、何に注目すればよいのでしょうか?

つまりはこの謎めいた事件を解決させるためには何を考えればよいのでしょうか?こちらの見出しではそんな、真相を突き止める上で大切な事件の焦点や大事なポイントについて考察し記述していきます。是非読者の皆さんも、この事件の何が一番謎めいているのか?はっきりしていないのか?重要な点はどこか?考えて推理してみて下さい。

生体轢断か死後轢断かが事件の鍵

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この事件では電車に轢かれた状態で発見された遺体は、果たして自らその身を投げ入れて自殺したものなのか?あるいは何者かに追われて殺された他殺なのか?この事がはっきりとしておらず専門家などの色々な人からそれぞれの意見が挙げられているのです。自殺か他殺であるかを判断する基準となるものは何でしょうか?

それは生きている際に轢かれたか、死んだあとに轢かれたかなのです。そしてこの事を当時からずっと論争しているのです。両方の首長や根拠はどちらも合点がいくものであったり、きちんと裏付けがあるのです。故に論争が続き今なお、事実が判明していないのです。ここからはそれぞれの説の主張や根拠について解説していきます。

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