【深川通り魔殺人事件】川俣軍司の生い立ちや現在!リアル過ぎたドラマも

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その後も何度かすし屋で働き始めることもあったようですが、どうやら解雇に合い早い時であればわずか数日で解雇に合うといった状況で、東京で働くことをあきらめていきます。

当時、2件目のすし屋を辞めたあたりで、刺青を入れたこと以外にもどうやら色々な犯罪行為を犯していたことも関係していたようです。

川俣軍司と薬物の接点!深川通り魔殺人事件を起こすまで

堅実な人生を送ろうとしていた彼でしたが、後輩とのしがらみから一気に人生が変貌していきます。仕事を転々と辞めていった彼は、実家の波崎に戻るのですが、そこで彼の人生を惑わすものにあふれていました。そして、これらの一連が事件へとつながっていきます。

19歳で実家・波崎へ。ヤクザから薬物を買った

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すし屋で問題を起こし転々と職を変えてきた彼ですが、19歳のとき実家に戻ることを決意します。客商売に自信が向いていないことを悟り、実家に戻って働こうと決心したようです。地元の電気店に勤めながら自動車免許を取得し、その後運送会社で働き始めました。

しかし、そちらも長続きせず、仕事場をさらに転々とすることになり、1977年のには再び実家に戻ってシジミ漁を手伝うようになるのですが、この時から彼はどうやら銚子の歓楽街に良く足を運ぶようになります。

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そして、そこでやくざや暴力団の人と知り合ったようです。知り合いからの甘い誘惑に負けたのでしょうか、彼らから覚せい剤を入手し、薬物の常習犯と化していきます。

労働者を中心に覚醒剤が広く蔓延した

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軍司が覚せい剤に手を出すようになった背景には、当時の世情も大きく関係していたと言います。というのも、この当時労働者を中心にして覚せい剤が広く蔓延していたのです。昭和40年代半ばになると、暴力団や在日朝鮮人の資金源として覚醒剤が広まったと言います。

当時は、この覚醒剤が原因で通り魔殺人や 凶悪犯罪が度々起こるほどの社会問題にまで発展していたようでした。そんな中、彼もまた覚醒剤の虜になっていったようなのです。

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社会からの疎外感や生い立ちからの自己嫌悪などいろいろなことが重なり、覚醒剤へ依存するようになっていったのでしょう。

川俣軍司の逮捕歴の数々

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数々の職を転々としつつ彼は覚醒剤におぼれていったのですが、しかし、その裏には覚醒剤に手を出す前から彼自身が犯してきた罪も多数あったことが分かっています。

一度目に実家に戻り運送会社で働くも長続きしなかった彼は、再び東京に戻って土建会社へと仕事を移しました。ただこちらもうまくいかなかったようです。というのも、このころ彼はお酒にはまり事件を起こしてしまうのです。

それも1度や2度ではなく度々警察にお世話になるほどでした。1971年には通行人を脅迫しお金をだまし取り、恐喝罪でも逮捕。懲役2年と執行猶予3年の判決を受けていたようです。そして、翌年には暴行事件も起こします。

彼が20歳の頃のことで、罰金3万円を科せられます。そして、同年9月には再び暴行事件を起こします。素行も悪かったこともあり、仮出所もなく1975年に満期になったことで出所。その後再びトラックの運転手になりますが道路交通法違反により再び罰金を科せられます。

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度重なる懲罰により、やけ酒を飲み再び暴行容疑で逮捕され、懲役10カ月の判決を受けると、彼は東京で働くことをあきらめて再び実家の波崎に戻りました。彼は父親の手伝いとしてシジミ漁を行い一生懸命働き始めるのです。

覚せい剤中毒の噂がたつ

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覚醒剤に手を出しながら、犯罪に手を染めながらも彼が覚醒剤を常習していたことは、すぐには発覚しなかったようです。しかしある時、覚醒剤中毒の噂が立つこととなります。それが一つが母親の葬式の時でした。

1980年、彼のは親が子宮がんで亡くなりその葬儀でのこと、大声で騒いだり奇妙な言動をとったことで、弟とつかみ合いの喧嘩をしたそうです。それまでも、実家の家業を手伝って地あとはいえ、かなりの粗暴な言動が目立っていたようで両親には暴言を吐くほどでした。

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そんなこともあったので兄弟からも見放されていたようです。また、転々とする職の中ではすし屋の面接を受けていたこともあったそうで、そちらの仕事場でも奇行が後を絶たなかったそうです。

すし屋では経験豊富な板前のように振る舞っていたようなのですが、いざ仕事になってみると態度の悪さと何とも言えない奇行が目立ち、店に多大な存在を与えていたようです。10店舗近いすし屋に面接を受け、その後数日で解雇を繰り返していました。

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不気味な様子や言動を見た者からの証言では、そのころから覚醒剤中毒の可能性があるのではと噂されるようになっていったそうです。

70万で漁船を売却。幻聴に悩まされていた

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母親ががんで亡くなった当時、幾度かの逮捕と出所を終えてシジミ漁を再開する軍司でしたが、ここでも問題が発生します。暴言を両親に浴びせる中、シジミ漁を行っていたそうなのですが、どうやらこの時漁船を70万円ほどで売却してしまったようなのです。

もちろん、それで生活が回るはずもなく、再び傷害事件を起こして逮捕されることになります。葬儀では弟とももめて、最終的には親兄弟から見放されることとなり、少々の現金を渡されて、金輪際家族に近づかないことを言い渡されるにまで至ります。

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そして、このころから幻聴に悩まされていたと彼や家族は語っています。周りから自分の悪口がいわれていると妄想するようになり、実家の兄への電話では意味不明なことを言うようになっていたそうです。

これらの背景もあり、ついた仕事は長続きせず家族から見放されることとなっていったようです。

深川通り魔殺人事件の犯人川俣軍司を知る人の証言

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度重なる犯罪行為や家族から見放された過去を持つ彼は、一時は真面目に働いている時期もあったそうで、決して悪い評判だけではなかったようです。彼が通り魔殺人を犯すまでの間のことを知る人物からの証言も紹介していきましょう。

川俣軍司を雇っていた電気店社長の証言

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通り魔殺人事件を起こす1年ほど前に勤めていた電気店社長の証言は、決して彼が完全なる悪い人物ではなかったと語っています。東京から戻りたての時、自動車免許を取るまでの短期間ではありましたが、この電気店で務めている時のことです。

社長が言うには、彼は電気店で働いている間は特にトラブルを起こすことなく真面目に働いていたそうです。もちろん短気な雰囲気などはあったようでしたが、お客とのトラブルは御法度という注意も受け入れ、務めていたようなのです。

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当時、通り魔事件が起きてその犯人が彼だと報道で知り、警察が電気店の方にも訪ねてきたことがあったようですが、社長はその時もまだ彼が起こした事件とは信じることができなかったといっています。

東京から帰ってから人が変わった

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電気店社長のような証言もありますが、もちろん悪い噂もあったようです。というのも、彼は東京から帰ってきてまるで人が変わったようだったと語っている地元の住人もいたようです。

その人曰く、幼いころは一緒によく遊んでいたが、東京から帰ってくると人が変わっていて、全身の刺青を見せびらかして歩くようになっていたと言います。そのため、声をかける人もいなくなっていたとも証言しています。

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どうやら、時期的には先述の電気店で働いていから以降の話で時系列のつじつまも会うため、相手によって態度を大きく変えていた可能性が高いようです。

川俣軍司の兄も殺人事件を起こしていた

色々な証言を聴く中で、どうやら出自も大きく関係していることもわかってきました。というのも、軍司の実兄も過去に殺人事件を起こしていたようなのです。

この証言を聴いた人は、どうすることもできない血筋地味た因縁があるように感じる人も多かったそうです。彼の兄は、通り魔事件発生の50年前ほどに勤目先の鉄工所社長を刺殺していたそうなのです。

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先述した彼の生い立ちはもちろんですが、彼の兄弟の殺人事件などを聴くと血筋や過去のあらゆることが、今回の事件を形作っているものと実感することができるでしょう。

川俣軍司と被害者・長野るみ子には不気味な因縁が

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悲惨な通り魔事件を調べていると一つの奇妙で不気味な因縁があることが分かりました。この事実は犯人である軍司本人も犯行当時知らないことで合ったそうです。その驚愕の内容が、軍司の祖父が撮りま殺人被害者女性である長野るみ子の祖父に殺されていたというものです。

さらに言うと、かつて軍司の祖父が殺された場所が、この通り魔殺人事件の現場から小名木川を挟んだ向こう側の「森下」という地域だったそうなので。この偶然はあまりにも出来すぎていると話題を呼びました。

そしてそれと同時に、かつて軍司自身が幾度となく電波と発言していた内容が、俄然怨霊といった類の話と結びつけ考えることも可能になってきます。この不気味な因縁は、本当に偶然だったのか、今でも多くの人の間で語り継がれていることのようです。

深川通り魔殺人事件に関する作品

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凄惨な事件内容、そして不気味な因縁が後程発覚して話題を呼んだ事件でしたが、そんな殺人事件に関係する作品も多数あります。かつての事件を忘れないためにもこれらの作品が生み出され話題を呼びました。その代表作を紹介しましょう。

書籍:『深川通り魔殺人事件』

深川通り魔殺人事件 (文春文庫)

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今回の通り魔殺人事件をもとに描かれた書籍になります。犯人となる軍司の生い立ちから、様子がおかしくなってからの犯罪行為、覚醒剤中毒、そして通り魔殺人位及ぶまでのいきさつを描き裁判中の証言をもとに裁判やり取りの細部まで描いている作品です。

この書籍一冊を読めば、かつての凄惨な事件全貌を明らかにできるほどの緻密さを持っている内容で、事件や裁判の空気感すらも味わえるほどです。

ドラマ:『深川通り魔殺人事件』

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1983年にテレビ朝日系列「月曜ワイド劇場」にて放送されたドラマになります。今回の通り魔殺人事件をもとにして作られており、事件からおよそ2年後の放送だったことと無期懲役判決からわずか半年だったことでかなり注目されました。

犯人の軍司が中学卒業後東京のすし屋で働くところから描かれており、次第に狂っていく様子と犯行に及ぶ様子を描かれていました。

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そして、その内容だけでなく演じた俳優の大地康雄さんの演技も大きな反響を呼びました。というのも、あまりの役どころのリアリティに、本人を出したのかとの問い合わせがテレビ局に殺到したほどだったからです。

深川通り魔殺人事件の類似事件

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今回の事件はもちろんですが、各地で類似する事件は沢山起きています。中でも類似しているといわれる代表的な事件を紹介していきましょう。

西成区麻薬中毒者殺人事件

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今回紹介した通り魔殺人事件の半年後に起きた事件です。1982年2月、大阪西成区のアパートで、橋田忠昭という人物が、自分の妻を含んだアパート住人7人を死傷させた事件になります。

調査の結果、犯人は15歳の頃から覚醒剤を乱用しており、事件以前にも幻聴などに襲われ一度妻の殺人未遂としても逮捕歴を持っていました。しかし、出所後も覚醒剤を使用し続け、幻聴に襲われ続け今回の事件へと発展したといわれています。

レッサーパンダ帽男殺人事件

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この事件は、2001年4月30日に起きた通り魔殺人事件になります。犯人は覚醒剤使用などはしていませんが、知的障害のため凶行に及んだことが分かっている事件です。事件発生は東京都台東区の路上で、29歳男性によって引き起こされました。

犯人は、犯行当時レッサーパンダの防止をかぶり、白黒の縞模様の毛皮コートを着用していたことからこの事件のなめが尽きました。被害者は当時13歳の短大生ですさまじい話題を呼んだ事件でしたが、知的障害ということから一瞬で報道が沈静化したといわれています。

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凶悪な殺人事件が起こる共通の原因

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今回のような通り魔殺人事件といった凶悪犯罪にはある共通点があるといわれています。その共通点についても調べていきましょう。

生い立ち

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犯人となる彼らの生い立ちが、凶悪犯罪の裏には隠されていると考えられているようです。今回事件はもちろんですが、幼少期あるいは子供の成長過程で家庭観火曜に恵まれなかったことは、その人物の性格や価値観を大いにゆがめる要素になるようなのです。

一説には自己肯定を行う大切な幼少期に、その家庭環境によりその能力を養えず犯罪行為を行う人物は多いといわれています。これらの犯罪が事故の実現に大きく関係しているようなのです。

社会に馴染めない

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幼少期の家庭環境が形成した大人は、その後社会に馴染めないためにこのよう犯罪や行動を起こすともいわれています。成長するにつれて自信を置く位置を見つけていくものですが、犯罪者の多くがその場所を見つけられずにいると考えられています。

もちろん、これは幼少期の家庭環境も影響しているようですが、大人になってからも何かに依存し続け、それにより良い人間関係を作れる場所に自分を置けないでいる可能性が高いのです。今回の場合では、幾度となく犯罪行為に至ったことが大きく関係しているでしょう。

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実際に、電気店の社長の下ではまじめに働いている時期もあり、そこは彼にとっては自分を少しでも置ける場所となり得ていたのかもしれません。そういった場所をうまく美津子蹴ることができず、精神が安定せず犯罪行為に及ぶケースは少なくないようです。

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深川通り魔殺人事件の背景に時代と家庭環境があった

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無差別に殺人を犯した今回の殺人事件。もちろん最も悪いのは犯人自身なのですが、劣悪な環境で育ったことや、当時覚醒剤が蔓延したこともありそれらの影響も多分に考えられる殺人事件でしょう。決して風化させることなく、二度とこんな事件がないことを祈りたいものです。

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