銀ブラ事件とは
皆さんは昭和の時代に起きたこの事件をご存知ですか?名前を聞いてまず何を連想しますか?事件とは言っても民事事件でも刑事事件でもなく、芸能ニュースと言ったら語弊があるかもしれませんが、そんな微笑ましい面白い珍事件なのです。今回の記事ではその事件を皆さんにご紹介していきます。
この事件は誰が引き起こしたものなのでしょうか?それは日本人であれば皆知っているであろう、まさしく日本を代表する、象徴するあの人物だったのです。彼がした行為も現在持つイメージからでは考えづらく意外なのです。この事件の概要を徐々に皆さんに明かしていきます。
上皇が起こした事件
2019年5月現在。つい最近起きた大きな出来事があります。それは上皇(昭仁様)が退位して新たな年号である「令和」に移り変わったのです。そして今回ご紹介する和んでしまう事件は上皇(昭仁様)が学生時代に引き起こした事件なのです。まずは皆さんにどんな事件であったか簡単に説明させていただきます。
上皇(昭仁様)が天皇にまだ即位される前の学生時代とはいえど、我々と同じような生活を送れないのはご想像つくはずです。そのご身分故に色々と行動が制限されたり、護衛や監視が付いたりするのです。そんな中側仕えに黙って内緒で、こっそりと当時の友人2人と銀座に遊びに足を運んだのです。詳しいエピソードはまた後程お話ししていきます。
若さゆえのほほえましいエピソード
現在ではまさに高貴な貴族さながらにマスコミや世間の人々にその姿を立ち振る舞っているので、お人やかで大人しい方という印象は誰しも持っているのではないでしょうか。しかし当時はまだ華の高校生時代なのです。いくらゆくゆくは天皇になるお方とはいえど、そのギラギラと輝く好奇心や遊びたい盛りなのは我々一般人と何ら変わりません。
そんな微笑ましい一面が垣間見れた貴重なエピソードが今回の事件なのです。そしてこの話には面白く和んでしまうような裏話もたくさんあるのです。今日は皆さんにそれを余すことなくご紹介していきます。きっと最後まで読んでいただければ、上皇(昭仁様)が少し身近な存在に感じるかもしれません。
銀ブラの語源・意味
そもそも『銀ブラ』とはいったい何のことなのでしょうか?言葉だけを聞くと銀色のブラジャーとも捉える事もできるわけですが、実際には全く違うものを略称して表されているのです。まずはその言葉の意味や表しているものを皆さんに解説していきます。是非その語源について理解してみてください。
東京都銀座でブラブラするが語源
あまり見かける事の無いような珍しい銀色のブラジャーというものが略称されているのではなく、本来は『東京都銀座でブラブラ』するいうものが語源となっているのです。東京都に住む方や職場が近い方は日ごろこの言葉を使っているかもしれません。
大正時代からある俗語
現代の様に、若者が使う言葉の様に略されていますが、この言葉の歴史は古く大正時代から俗語として日本人、もっと言えば東京都に住む人々から使われてきたのです。意外と歴史が古い事に驚かれたのではないでしょうか?
一説によればブラはブラジルコーヒー
一説によれば語源をたどると『ブラ』はブラジル珈琲の事を指していて、言葉全体としては銀座でブラジル珈琲を飲むという事を意味していると言われているのです。それが後に今の形になったという説もあるのです。
千ブラもあった
銀ブラならぬ千ブラもあるそうですが、こちらは京都にある千本通をぶらぶら歩くという事を意味しているのですが、現在ではこの地は廃れてしまい、過去の様な大きな賑わう様子が見れなくなった事からこの言葉自体も死語になってきているようです。
銀ブラ事件のいきさつ
先ほどは今回ご紹介する微笑ましい事件の主人公は誰なのか?そしてどんな出来事であったか?などを物凄く簡単に解説しましたが、ここではさらに詳しく事件当日や計画を企てる前日の流れなどの経緯を皆さんにご紹介していきます。読んでいただければ、上皇(昭仁様)も本当に男子高校生らしいまっすぐな少年だったという事が発見できるはずです。
当日はどういったルートで銀座の街並みを楽しんだか詳細に記述していきます。銀座と言えば江戸時代から優雅な雰囲気が漂う色々な文化が集う街として知られています。上皇(昭仁様)が高校生であるときもその印象や町並みは決して変わらなかったのです。皆さんもきっとそんな魅力ある街に足を運びたくなるはずです。
試験終了の日に友人2人を誘う
現在から67年前、当時昭和27年2月の出来事でした。この時上皇(昭仁様)はまだこの時、ごく普通の高校3年生でした。通っていた学習院高等科の卒業間近であり、3年生の最後の試験終了の日に、当時仲が良かった友人2人に「銀座にブラっと遊びに行かないか?」と話を持ち掛けたのです。
高校を卒業して大学生になればサークル活動やあまり学校に行かなくてもいい。なんていう自由な学生生活をイメージされますが、上皇(昭仁様)は高校卒業後はより一層、公的な行事や即位の為の準備で忙しく時間に追われてしまうのです。なので自由に行動ができる最後の時間だと考えて、遊び行く事を企てました。
東宮侍従を言葉巧みに出し抜く
そして試験が終了した当日に遊びに行こうと企てたのですが、やはり当時もその身分上護衛や警備が厳しかったのです。ですが友人は東宮の側仕えに、悪知恵や口八丁な言い回しでその目を欺いて、生活していた寮をこっそり抜け出す事に成功するのです。
実際には嘘をついて騙すような形で銀座に遊びに行ったのではなく、実はこの時すでに側仕えに計画を知られていたと噂されているのです。その事については後述にて詳しく解説させていただきます。私たちが知らないような説が、天皇陛下の周りだけではなく政治家や政府の中でも存在しているのです。その説の一つ田布施システムはこちらの記事です。
目白駅から山手線で銀座へ
寮をまんまと抜け出せたら、次は最寄り駅である目白駅に行くと山手線に乗り銀座に向かいました。山手線と聞くと日本で、いや世界で一番混んでいる路線というイメージがありますが、当時もパンパンなくらい満員電車であったそうです。
ぎゅーぎゅーに人と人の間に挟まれ揉まれる状況は、非常に不快であり不満そうにする事でしょう。しかしあまりにも銀座に遊びに行くことが楽しく素敵な事に感じていたので、ワクワクしたり気分が高揚し上機嫌であったので終始笑顔が絶えなかったそうです。
「花馬車」「コロンバン」でティータイムを満喫
銀座ではまず、現在では想像もつかない高価なティーが販売される高貴なカフェである『花馬車』というお店で友人らと楽しくお茶をしました。この時は皆でお金を出し合って割り勘をしたそうです。そしてその後は『コロンバン』というデザート店に足を運び、そこでは美味しそうな匂いがするリンゴパイを食べたのです。
銀ブラ事件発覚!関係各所が大騒ぎに!
勿論当時まだ上皇(昭仁様)は天皇に即位されていなかったとはいえ、その方が日本にとって最重要な人物である事は変わりません。そんな方の行方が分からなくなったとなれば、当然皇居中や関係各所が大騒ぎになることは目に見えているのです。
不在に気づいてそこから発見されて、その後どうなったか等、当時の状況を分かり易く皆さんにご紹介していきます。皆さんもその時の状況や上皇(昭仁様)の心情を思い浮かべながら読んでみてください。国事的な右翼のスローガンとなった七世報国はこちらの記事です。是非合わせてご覧ください。
東宮侍従が上皇の不在に気付く
皇居内にいた当時の天皇の側仕えたちは、一緒に銀座に遊びに行った友人の一人である橋本明に「目白の方にご案内する」と言葉巧みに騙されていたのですが、それが嘘である事、上皇(昭仁様)が不在である事を発覚するのです。
発覚すると否や直ぐに警察に通報し捜索が開始されました。この時、勿論関係各所は慌てふためき大騒ぎでした。恐らく安否を確認するまでは終始落ち着かず、皆気が動転していた事でしょう。果たして無事に発見されるのでしょうか?
目撃情報からすぐに居場所が特定
彼らが銀座に到着して文字通り街をぶらぶらと歩きまわっていると、その際に当時からお洒落で秀才なイメージのある『慶應BOY』4人と出くわして軽く挨拶をしていたのです。この4人と高級カフェである『花馬車』の店主や授業員などから多くの目撃情報が伝えられると、すぐさま居場所が判明して無事に発見されたのです。
友人2人とともに叱られる
当然ながら大問題となりお騒がせした上皇(昭仁様)や一緒に銀座の街を楽しんだ2人の友人は、皇居の関係各所の人たちからこっぴどく叱られたそうです。規則を守らないと叱られるのは私たちと同じ事と言えるでしょう。とはいえ本当の事件に巻き込まれず済んで一件落着となりました。
銀ブラ事件の関係者たち
先ほどの事件当日の流れについてお話ししていきました。どういった経緯で銀座に遊びに行こうと計画したのか、また誰と一緒に何処に足を運んで何をしたかも分かっていただけたはずです。最終的には関係各所の皆さんに心配をかけて当然叱られましたが、きっと上皇(昭仁様)にとって一生の大切な思い出となった事でしょう。
今回の事件の主人公でもある上皇(昭仁様)については、皆さんどんな人物であるかある程度ご想像できるはずですが、一緒に銀座の街を堪能した友人である2人ついてはほとんど知らないのではないでしょうか?こちらの見出しではそんな2人にスポットを当ててどんな人であるかを皆さんにご紹介していきます。
上皇の友人①橋本明
友人の一人である橋本氏とは非常に仲が良く、お互いに思った事を素直に言い合える仲だったそうです。それ故に喧嘩も少なからずしたそうですが、直ぐにお互い仲直りしてまさしく喧嘩するほど仲が良かったのです。上皇(昭仁様)が高校最後の試験日に、一番初めに今回の計画を持ち掛けてお願いしたのがこの方なのです。
高校卒業後は記者になりました、友人であった天皇ともお祝い事などの行事で接点があったりと、卒業後も仲が良い一面が見受けられました。その後上皇(昭仁様)と過ごした思い出などをもとに描かれた、彼の知られざる一面や人間らしいエピソード等をまとめた書籍を出版されていますが、平成29年に他界されています。