銀ブラ事件とは?若かりし上皇のおちゃめなエピソードと海外の反応!

当日はどういったルートで銀座の街並みを楽しんだか詳細に記述していきます。銀座と言えば江戸時代から優雅な雰囲気が漂う色々な文化が集う街として知られています。上皇(昭仁様)が高校生であるときもその印象や町並みは決して変わらなかったのです。皆さんもきっとそんな魅力ある街に足を運びたくなるはずです。

試験終了の日に友人2人を誘う

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現在から67年前、当時昭和27年2月の出来事でした。この時上皇(昭仁様)はまだこの時、ごく普通の高校3年生でした。通っていた学習院高等科の卒業間近であり、3年生の最後の試験終了の日に、当時仲が良かった友人2人に「銀座にブラっと遊びに行かないか?」と話を持ち掛けたのです。

高校を卒業して大学生になればサークル活動やあまり学校に行かなくてもいい。なんていう自由な学生生活をイメージされますが、上皇(昭仁様)は高校卒業後はより一層、公的な行事や即位の為の準備で忙しく時間に追われてしまうのです。なので自由に行動ができる最後の時間だと考えて、遊び行く事を企てました。

東宮侍従を言葉巧みに出し抜く

そして試験が終了した当日に遊びに行こうと企てたのですが、やはり当時もその身分上護衛や警備が厳しかったのです。ですが友人は東宮の側仕えに、悪知恵や口八丁な言い回しでその目を欺いて、生活していた寮をこっそり抜け出す事に成功するのです。

実際には嘘をついて騙すような形で銀座に遊びに行ったのではなく、実はこの時すでに側仕えに計画を知られていたと噂されているのです。その事については後述にて詳しく解説させていただきます。私たちが知らないような説が、天皇陛下の周りだけではなく政治家や政府の中でも存在しているのです。その説の一つ田布施システムはこちらの記事です。

目白駅から山手線で銀座へ

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寮をまんまと抜け出せたら、次は最寄り駅である目白駅に行くと山手線に乗り銀座に向かいました。山手線と聞くと日本で、いや世界で一番混んでいる路線というイメージがありますが、当時もパンパンなくらい満員電車であったそうです。

ぎゅーぎゅーに人と人の間に挟まれ揉まれる状況は、非常に不快であり不満そうにする事でしょう。しかしあまりにも銀座に遊びに行くことが楽しく素敵な事に感じていたので、ワクワクしたり気分が高揚し上機嫌であったので終始笑顔が絶えなかったそうです。

「花馬車」「コロンバン」でティータイムを満喫

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銀座ではまず、現在では想像もつかない高価なティーが販売される高貴なカフェである『花馬車』というお店で友人らと楽しくお茶をしました。この時は皆でお金を出し合って割り勘をしたそうです。そしてその後は『コロンバン』というデザート店に足を運び、そこでは美味しそうな匂いがするリンゴパイを食べたのです。

銀ブラ事件発覚!関係各所が大騒ぎに!

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勿論当時まだ上皇(昭仁様)は天皇に即位されていなかったとはいえ、その方が日本にとって最重要な人物である事は変わりません。そんな方の行方が分からなくなったとなれば、当然皇居中や関係各所が大騒ぎになることは目に見えているのです。

不在に気づいてそこから発見されて、その後どうなったか等、当時の状況を分かり易く皆さんにご紹介していきます。皆さんもその時の状況や上皇(昭仁様)の心情を思い浮かべながら読んでみてください。国事的な右翼のスローガンとなった七世報国はこちらの記事です。是非合わせてご覧ください。

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