パリ人肉事件とは?
この事件は昭和に起きた殺人事件として世間を震え上がらせました。事件が起きたのはフランスでしたが、犯人はフランス人ではなく、フランスの大学に留学していた日本人留学生の男性でした。犯人は友人であったオランダからの留学生の女性を銃で射殺した後、事も有ろうことか屍姦、そして彼女の人肉を食べるという猟奇に走ったのです。
パリ人肉事件の概要
ここでは当時起こった事柄を時系列を追ってご紹介させていただきたいと思います。最初から最後まで常人には理解が出来ないような事件の真相となっているため、閲覧する際はご注意して閲覧ください。
パリ人肉事件の他にも世界には沢山のサイコパスな常人には理解が出来ないような事件が数多く存在しています。こちらの記事ではサイコパスな事件について様々な事件内容を纏めてご紹介しているためご興味がある方は併せてご覧ください。
1981年、パリで日本人佐川一政がオランダ人留学生ルネさんを殺害
当時31歳だった犯人は留学の目的でパリの大学へ在学していました。当時友人だったオランダから同じように留学していた女性を、大学の教授にドイツ語の詩の翻訳をお願いされたため朗読をしてほしいと、言葉巧みに自宅へと誘い入れました。
被害にあった女性はその言葉を信じて彼の部屋へと訪れてしまいます。そして頼まれたとおりに詩の朗読を行っていた最中に背後からカービン銃で打たれました。至近距離での発砲でしたが、ルネさんはすぐに息を引き取ったわけではなく、呻きながら息を引き取ったようです。
ルネさんを屍姦後、遺体の一部を生の状態または調理して食べる
その後、ルネさんの体から流れ出る大量の血液を防ぐためにルネさんの体をタオルの上に横たわらせ、全ての服を取り除きました。佐川氏は体が思っていた以上に重かったため、服を脱がすのにはとても苦労したと犯行後に語っています。そしてその後、あろうことか屍姦を行い、犯行の目的を達成しました。
その後、兼ねてより食べたいと待望していた、右の臀部に噛り付きましたが、予想以上に硬く噛み切れなかったため、果物ナイフを使用して彼女の右の臀部を食べようと試みました。しかし、果物ナイフをもってしても刃が通らず、肉用のナイフを購入して彼女の遺体を食べたのです。
ブローニュの森の池に死体を遺棄しようとした現場を目撃される
残った肉を冷蔵庫で保存していましたが、6月の暑いパリでは腐臭が早く訪れてきたため、佐川氏は遺体を遺棄するために遺体を小さく解体しました。そして、その遺体をスーツケース2つにしっかり詰めると、タクシーでブローニュの森へと趣きました。タクシーの運転手にも怪しまれていた佐川氏ですが、何とかブローニュの森へたどり着きます。
しかしブローニュの森は大学の近くという事もあり、辺りには人が多く遺体が遺棄できそうな人目のつかない場所ではありませんでした。人目を避けるように夕暮れの水辺にたどり着いた佐川氏が一瞬湖に浮かぶ綺麗な夕日に目を奪われていた矢先、ある男性に声をかけられました。
目撃者により遺体が発見。佐川一政が逮捕される
怪しげな佐川氏に男性が近づき、スーツケースの所持者かどうか問いかけましたが、佐川氏は咄嗟に「NO」と返答しました。それにより男性によりその場でスーツケースが開かれ、中から出てきた遺体に辺りが騒然となりました。
しかし犯人は足早にその場から立ち去り、自宅へと帰宅。その4日後、多くの目撃者の証言やタクシーの運転手の証言より、佐川氏はフランスの警察に逮捕されます。当時、佐川氏は自身のスーツケースだと答えていればその場でスーツケースが開かれることはなかった、と自身で分析を行っています。
パリ人肉事件の犯人「佐川一政」の犯行動機と異常な行動
パリ人肉事件という名のついた犯人による狂気じみた異常な行動をここでは詳しくご紹介させていただきたいと思います。また、なぜそのような行為に至ったのかという佐川氏が語った犯行動機についても併せてご紹介させていただきます。
様々なメディアに登場している佐川一政を見ている限り、その常人離れした言動の数々により、精神的な疾患を患っている事が一目でわかります。そして、何よりその事は身近にいる家族という存在が一番理解していたはずです。何かきっかけがあれば、パリ人肉事件のような悲惨な事件は起きなかったのではないでしょうか。
佐川一政の犯行動機「食べたかったから」
この異常な行動を起こすに至った動機は、ただ女性を犯したかったと語っています。お金や物に対する欲求はなく、以前より強い願望であった人肉を食べるカニバリズムの欲求を満たすべく犯行を行ったと本人は語っているのです。
女性への興味が湧きだす思春期の時代より、その性癖を拗らせており、性の対象というよりは肉として食す対象として女性を見るたびに「おいしそうだ」と感じていたという事も本人が赤裸々に語っている映像が残っています。
佐川一政の執着は右尻
本人が事件後に語っていたインタビューにより、犯行前から右尻を食べる事はあらかじめ決めていたほど執着が強かったとされています。殺害後にそのまま右尻にかぶりついたのですが思った以上の弾力により歯が通らず、とても顎が痛かったと証言していました。
フルーツナイフで解体
そのままでは歯が通らず、目的であった右尻を食すことがかなわなかったため、佐川氏は家にあった果物ナイフで尻のお肉を割いて食べれないものかと考え、挑戦してみた物の、上手くいかなかったため佐川氏は次なる行動を考えます。
肉用ナイフを購入・解体
一旦家を離れ、肉を捌く専用のナイフを買いに出かけました。購入してきたナイフで目的であった尻のお肉を削ぎ落すことが出来たため、そのまま生でその肉を食べたとされています。後の証言で美味しかったと語っているのです。
人肉ステーキ
尻肉を食す目的を達成した後も異常な行動は続けられました。乳房はフライパンで加熱し、塩コショウを施した人肉ステーキとして食し、様々なルネさんの体を食べあさっていきました。佐川氏が言うには人肉は匂いのないトロのような味で美味しく叫びたくなったとの発言が残っています。
生で食した太もも
殺人を犯した日に限らず、解体した体の部位を冷蔵庫で保存する行動に出た佐川氏は、翌日の朝ごはんとして冷蔵していた太ももを再び生のまま食しました。その後陰部はフライパンにより焼き肉として食したとされています。
犯人の舌と絡む被害者の切り取られた舌
その後は鼻や唇、舌といった顔の部位にも手を出していきました。鼻は軟骨の噛み心地を楽しみ、唇は固く、とても生では食べれない固さだったと語っています。また舌も生で硬く何とか噛み切ろうとしている自身の姿を鏡で見ると自身と彼女の舌が絡み合っているのが見え、興奮を覚えたようです。
遺体の手を借りマスターベーション
食べるだけには飽き足りず、様々な部位を解体して食す前に、死体の隣でルネさんの手を借りマスターベーションを行ったとされています。屍姦だけでは飽き足りず、前日の異常な行動に加え、翌日にも性行為に走っているのです。
パリ人肉事件の裁判の行方は
これほどまでの異常な犯罪を犯した佐川一政ですが、逮捕の後釈放されています。どうして罪に問われないのかという声が多々上がっていましたが、彼の身柄を警察で拘束し、逮捕に至ることが出来なかったのです。ここでは裁判結果についてご紹介させていただきます。
精神鑑定より心神喪失で不起訴
佐川氏は一度警察に逮捕されましたが、その異常な行動は心神喪失という精神疾患によるもので、責任能力がなかったとの判決が下されました。そのため、監獄へ行くはずだった行き先が変わり、フランスの精神病院へと入院することとなりました。
精神的な疾患を持っている人物は責任能力がないために罪に問われる事がないとされている現代社会ですが、果たして本当にそれでいいのでしょうか。成人した者はどのような事があろうと自身で責任を持ち行動しなければいけません。ましてや、精神的な病気を患っていたからといって人を殺めても咎められる事がない理由にはならないのです。
パリ人肉事件翌年日本へ帰国
事件後から佐川氏はフランスの精神病院で長らく入院していたのですが、1年後日本へと帰国し、東京都立松沢病院へとその身を移しました。しかし日本の病院での診断はカニバリズムの性癖など微塵もないとしており、帰国後1年という短い入院期間で退院、区悪な殺人事件を起こした犯人が罪を償わずに一般人と同じ生活へと戻ったのです。
実際に自身の身の回りにそのような凶悪な犯罪を犯した犯人がいる事を想像してみてください。精神的な病を持っている責任能力のない人が同じ土地で生活し、いつまた同じような事件が起こるかわからず、次の対象は貴方なのかもしれません。
パリ人肉事件の犯人「佐川一政」の生い立ち
猟奇事件を犯す犯人達は育った家庭環境に問題を抱えている事が多い傾向にあります。彼の異常な行動は生い立ちから来たものなのでしょうか。そこで、こちらでは佐川氏の育った家庭環境について注目しご紹介させていただきたいと思います。
父親は社長!裕福な家庭に生まれる
佐川一政はフランスへと留学できていた事実からも取れるように、とても裕福な家庭で育っています。佐川氏の父親は某企業の社長であり、お金に困ったことがない恵まれた家庭です。金銭的な問題が家庭にあったとは考えにくいという事です。
年子の弟と双子のように育つ
佐川一政の家族構成は両親と、年子の弟の4人家族でした。年が近いという事もあり、双子のように極々普通の兄弟として育ちました。事件の後も兄に寄り添い、時には叱咤するという行動を見せるような分別のある弟でした。
愛情に恵まれた家庭
家族のアルバムの中には仲睦まじい姿を捉えた数々の写真やビデオが保管されており、幼いころから両親に愛されて育っていた事が伺えます。しかし時代が時代であったため性教育に関しては保守的であり、「性に関して抑圧された環境であった」と語っています。
しかしながら、この時代に生きる人々にとっては性に対して両親が保守的であるという事はごく一般的であり、佐川一政が両親へと責任転嫁している事が伺えます。愛情をもって育ててもらえた両親に対して少しでも申し訳なさがあるのであればそのような言葉が出てくることはないはずです。
事件後の佐川一家
これほどまでに大きな事件を犯した佐川一政ですが、愛情を注いでくれていた家族にも、勿論その影響を及ぼしており、家族全員の人生を狂わせてしまっています。こちらではパリ人肉事件後、佐川一政の家族にどのような変化があったのかをご紹介させていただきたいと思います。