【桶川ストーカー事件】犯人と真相、ストーカー規制法の元の事件を解説!

桶川ストーカー事件は1999年埼玉県桶川市で起きた女子大生殺害事件です。事件が調べられるうちに犯人による執拗なストーカー被害や、警察のずさんな対応が明らかになりました。桶川ストーカー事件の概要、警察の対応と犯人の処分と現在まで詳しく紹介します。

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桶川ストーカー事件とは

現在から20年前の平成11年前、つまりは90年代1900年代最後の年に起きたストーカー殺人事件をご存知でしょうか?犯人は悪質で執拗なストーカーだけにとどまらず最期は私怨や勝手な嫉妬心により一人の女子大生を殺害してしまうのです。

実はセンセーショナルに扱われた事により、ストーカー犯罪にまつわる新たな法律が定められた事件としても知られており、更にはマスコミの行き過ぎた報道やいい加減な対応をした警察たちが問題視された事も有名なのです。これらの事は後程詳しく皆さんにご紹介していきます。ぜひ今一度ストーカーという悪質な行為について考えてみてください。

埼玉県桶川市の女子大生殺人事件

埼玉県のど真ん中でもあり、日本列島のど真ん中に位置する街である桶川市で卑劣で悪質な犯罪が起きてしまいました。それは一人の女子大生が複数の男性グループにより殺害されてしまうというものでした。そしてその犯行のきっかけとなったのは私怨や逆恨みによるストーカー行為が始まりとなってしまったのです。

事件が起きてしまったのは現在から20年前の平成11年、時期は10月後半で段々と肌寒く感じられる季節でした。そして平成18年の2006年までおおよそ7年にもわたり裁判が行われたのです。最終的なこの事件の判決結果や結末についてもこの後皆さんにご紹介していきます。

ストーカー規正法のきっかけになった事件

この事件をきっかけに日本で新たな法律の見直しが行われ、『ストーカー規制法』が立法されたのです。その名のごとくストーカー行為やそういった付きまとっての嫌がらせ行為を全面的に禁止できる法律で、場合によって処罰の対象になるというものです。刑法として定められているので、ストーカー行為は刑事事件として扱う事ができるのです。

他にも警察に相談した被害者の対象となるのは女性は勿論のことですが、男性であっても適応されます。また加害者側が異性ではなく同性であってもこの法律の対象となるのです。相談や通報を受けた警察側は被害者に、防犯ブザーやアラームなどの対策グッズを貸し出したり、ストーカー被害に強い弁護士を紹介する。という事もこの法律に定められているのです。

桶川ストーカー事件の経緯①犯行首謀者の異様な性格

この事件がどういった概要であるか大まかにお話ししていきましたが、振られた男性の身勝手な逆恨みからストーカー行為に走り、どんどんエスカレートしていって最終的には複数人で殺害してしまうという卑劣な事件だという事は理解して頂けたはずです。一方的に振られた異性が未練がましく失恋相手に嫌がらせをしてしまう事は多いです。

けれどもそれが行き過ぎたストーカーとなり殺害に至るケースは少なく、そこまでの犯行に及ぶという事は余程、性格が捻じ曲がっているか、人格が歪んでいなければそのような卑劣な行為に及ばないのです。つまり今回の犯行首謀者は異様な性格であったことが伺えますが、事件に至る経緯の中でもその歪んだ人格が垣間見れるのです。

桶川ストーカー事件の首謀者の性格①交際から別れまで

まずはこの事件の被害者である女子大生と異様な人格をした犯行首謀者の馴れ初めや出会いのきっかけから、別れる事になるまでのきっかけの出来事を一つ一つ詳しくまとめていきます。どこでどのようにして知り合い付き合う事になったのか?また交際当初はお互いの関係はどのようなものであったか?などを皆さんにご紹介していきます。

交際したての時はお互いまだ本質や本性が見抜けず、楽しい部分や良い一面しか知りえない場合が多いのではないでしょうか?この事件の2人のケースもそれが顕著になって表れているのです。色々な映画やドラマなどで行き過ぎた恋心や嫉妬心が仇となって、犯罪や罪を犯してしまうというのはよく題材にされています。この事件はそれが現実のものとなっています。

最初は優しい男性

2人が出会ったのは同年の平成11年の年初めの事でした。被害者である女子大生は埼玉県の都心部である大宮駅前のアミューズメントセンターで一人で遊んでいたのです。そこに犯行首謀者である男がナンパの様な形で声をかけて2人が知り合いました。そこで男は年齢や名前、更には職業を詐称していたのです。男は実際に年齢よりも若く見られました。

付き合いたての頃は、犯行首謀者はある裏の実業家であった事からお金を持っていたので、被害者女性に何でもプレゼントしたり、高級車で送り迎えをするなど、とにかく優しくてお金持ちの男性の印象を受けていたそうです。犯行首謀者はごく普通の企業のオーナーと偽って紹介していましたが、実は違法な風俗店を複数営むオーナーだったのです。

異様な性格が垣間見える

初めは物凄く優しい男性。というか何でもしてくれる何でも買い与えてあげる犯行首謀者でしたが、被害者女性はそれが過度であったため少し遠慮するようになります。自分のためにそこまでの大金を。と遠慮する事は当たり前の行為なのですが、その遠慮に対して犯行首謀者は自身の愛情や思いを拒んだと捉えてしまうのです。

そして被害者女性に『何故だ!』と怒鳴り散らしたそうです。それからというもののしばしばその異様な性格が垣間見れる様になったのです。例えば、今まで買い与えた物の総額分全て返済しろ。できなければ風俗で働かせる。お前の親をクビにするぞ。などと脅迫まがいな言動を繰り返したそうです。このあたりからあの優しさは全く無くなっていったのです。

態度が一変したきっかけ

上記に記述した交際当時の異様な人格が垣間見れた話はその他にもあり、被害者女性の友人と電話するのを禁止して、その友人のアドレスや連絡先が入っている携帯電話を二つに折るように命じたりする事もあったり、また被害者女性が大切に買っていた愛犬を殺害するという様な脅迫もされていたのです。そんな歪んだ交際が続いていました。

それに耐えられなくなった被害者女性は、犯行首謀者である男性に対して別れ話を切り出したのです。その旨を伝えると犯行首謀者は『被害者女性の父親を権力を使ってクビにする。それでも別れるのであれば被害者女性を精神的に徹底して追い詰める』と脅迫して、別れ話を切り出してからよりその悪質な態度がより一変したのです。

桶川ストーカー事件の首謀者の性格②別れを切り出した後の脅迫

ここまで聞いても既にストーカー行為に走る前、交際当時からその歪んだ人格や行き過ぎた脅迫まがいの交際が垣間見れるのですが、別れを切り出した後からより一層その卑怯な脅迫や悪質な嫌がらせがヒートアップしてしまうのです。異性の事を好きで愛していても、決して自分の物になるわけではないのです。犯行首謀者はそれを履き違えていたのかもしれません。

今回の事件の犯行首謀者の様な脅迫まがいの態度や言動を、交際相手に示したのであれば大概の人であれば、直ぐに別れたいと感じ別れ話を持ち掛けるでしょう。しかし、その別れ話すらも冷静に聞き入れようとせず脅迫という形で、自分の身勝手な願望や気持ちを押し付けて相手を傷つける。それはもう恋愛なんかではなありません。

家族への被害を恐れる

物凄く卑怯で卑劣なやり口であるのが、犯行首謀者は被害者女性の愛犬を殺害すると脅迫したり、父親の情報を握ってリストラに追い込み、そのせいで兄弟や家族たちが生活できなくなってもいいのか?と二重に追い込む。といった被害者女性の家族に対して悪影響を及ぼすと何度も家族をだしにして脅しているのです。

自身だけではなく大切な家族までが狙われて被害に遭う事を恐れて、仕方なく聞き入れて交際を続けていたのです。このように被害者女性には別れたくても別れることができない、苦しい事情があったのです。なぜここまでして犯行首謀者は交際を続けていたかったのでしょうか?純粋な疑問に駆られてしまいます。

自宅に上り込んでのやりとり

決死の覚悟で別れ話を切り出した後、犯行首謀者は2人の知人を会社の上司と言って半ば強制的に被害者女性の家に押し掛けたのです。そして犯行首謀者の知人の1人(実兄)は「これまでに買い与えた、貢いだお金は全て会社のもので、同紙に犯行首謀者は精神的に病んでいた。その証拠に診察書まである。保険金を払え」と脅迫したのです。

そんな一方的なやり取りをしてる中、会社から父親が帰宅してきました。そこで父親は「女性しかいない家に一方的に男性3人が押し掛けてくるのはおかしい。警察の前で話し合おう」と怒鳴ると犯行首謀者とその知人2人は「会社にリストラになる様な書類を送り付けるから覚悟しとけ」と捨て台詞を吐いて帰っていたそうです。

桶川ストーカー事件の経緯②執拗な嫌がらせ

交際している間にも何度も犯行首謀者の歪んだ脅迫の様な言動が垣間見れたのですが、別れた後も執拗な嫌がらせが続く事になるのです。どんな嫌がらせであったか皆さんにご紹介していきます。交際しているときも別れた後もストーカー行為などの悪質な嫌がらせを繰り返す。余程ねじ曲がっている人格の持ち主だという事が把握できます。

これからご紹介する執拗な嫌がらせの数々はどれも大変悪質で、どれだけ自分勝手で一方的な逆恨みなんだと呆れてしまう事でしょう。そういった行き過ぎた嫌がらせやストーカー行為は、当然被害者女性や家族も警察に相談したはずです。ですが何故今回の殺人事件までに発展してしまったのでしょうか?そのことについては後述にて解説させていただきます。

桶川ストーカー事件の嫌がらせ行為①被害者友人への不審な電話

交際前から過度な束縛行為や脅迫を繰り返してきた犯行首謀者は、別れた後となればより一層その嫌がらせ行為に火が付きエスカレートして、被害者女性だけではなくその周りの人間さえも巻き込んでいくのです。嫌がらせ行為の一つは被害者女性の友人への不審な電話です。電話の内容は分かっていませんが、恐らくは誹謗中傷などの内容だったのでしょう。

こうして被害者女性が別れた事に罪悪感を抱かせるようにして、被害者女性の周りの人間たちに悪影響を及ぼしていくのです。このやり口も一人の成人男性という事を踏まえても、非常に卑怯で卑劣で情けないのではないでしょうか?そして最後にはその身勝手な逆恨みにより、一人の女子大生を殺害してしまうのです。

桶川ストーカー事件の嫌がらせ行為②被害者家族への誹謗中傷

被害者女性の大切な家族への誹謗中傷した嫌がらせ行為も働いたのです。実の家族たちに自分のせいで迷惑を被っている事となればより罪悪感が生まれます。犯行首謀者たちもその事を知っていたうえで彼女の家族への誹謗中傷をしたのではないでしょうか?こちらも非常に卑劣で卑怯なやり口であると言えるのです。

家族に対してどんな誹謗中傷の言葉を送ったのかは分かりませんが、家族たちの気分を害すことは間違いありません。それにより家族の仲や関係性が壊れてしまう可能性だってあるのです。ですがこの時の被害者女性の家族たちは彼女を責めようとせず、真摯に彼女の事を心配して一丸となって警察に相談するなど協力する姿勢を示したのです。

桶川ストーカー事件の嫌がらせ行為③被害者父親の会社へ誹謗中傷のビラ

殺人事件が起こる3か月前の7月には被害者父親の会社周りや、自宅周りに被害者女性の誹謗中傷のビラを配られたのです。そのビラには実名や顔写真、更には悪口や中傷が掲載されていて、かなり凝ったチラシとなっていたのです。これには理由があり、犯行首謀者はその手の企業に依頼して発行したのです。そのため大量の印刷が可能となったのでしょう。

こうした状況の中で被害者女性の母親はいつもの様に、飼っていた愛犬と共に散歩に出かけたのですがそこで近所の方々に顔を何度も見られたそうです。この事を被害者女性に伝えると「私は悪いことはしていない」と言って主張していました。この後何度も警察に直接相談しに行くのですが、なかなか警察は動いてくれなかったそうです。

桶川ストーカー事件の経緯③事件発生時の動き

事件が発生する以前からつまりは交際していた時期から別れた後の頃から、犯行首謀者から度重なる卑劣な脅迫や悪質な嫌がらせを受けていました。それは十分に事件として扱われるべき悪質な行為であったのです。さてこうした嫌がらせや脅迫が続き、いよいよ被害者である女子大生が殺人がされて帰らぬ人となってしまうのです。

ここでは、この事件発生時の犯人たちの一連の動きや計画などについて皆さんにご紹介していきます。悪質なストーカーや逆恨みによる嫌がらせ行為は珍しい事ではありませんが、殺害に至るケースは非常に少なく異例の事だったのです。ストーカーが発端となり殺人事件に発展したその他の事件はこちらの記事をご覧ください。

桶川ストーカー事件の発生時①加害者と仲間による連携

被害者女性は買い与えられた様々なブランド品やグッズを縁を完全に断ち切るためにも、それらは同年6月に全て送り返しました。この時この行為に更に逆上して逆恨みをした犯行首謀者は、実の兄に殺害計画を依頼したのです。そしてその兄から今度は元ヤクザで現風俗店の従業員である男に多額の報酬金を提示して殺害を依頼したのです。

実際の犯行当時は最終的に依頼された風俗店の従業員である男が実行犯、そしてその知り合いの一人が実行犯を移動する車の運転手、もう一人の知り合いが被害者女性の状況を電話で伝える役。と加害者は仲間による連携を行って殺害に及んだのです。この為犯行首謀者以外にも4人の加害者及び容疑者が存在するのです。

桶川ストーカー事件の発生時②桶川駅駅前で刺殺

事件当日実行犯を移動させるための車の運転手は、実行犯である風俗店の従業員に大事には至らない様に軽く脚のももを切りつけるくらいしろ。と命じていたのですが、これに対して実行犯は手加減できないかもしれない。と述べていたそうです。そして案の定脚ではなく被害者女性の胸部を2回刃物で突き刺して殺害してしまうのです。

犯行現場となったのは桶川駅駅前で、この時被害者女性は大学に登校する為に、自転車を駐輪場に駐輪していて、殺害されたのはその直後だったのです。被害者女性は刃物で2回刺された瞬間に叫びながら地面に倒れました。その様子を近くに居合わせた人は目撃して、すぐさま実行犯を追いかけましたが捕らえる事はできず、その後病院に運ばれた被害者女性は帰らぬ人となってしまうのです。

桶川ストーカー事件の被害者「猪野詩織」さん

先ほどの見出しでは事件当日は何人で犯行に及んだか、また犯人はどのような人物であるか、事件当日の犯人たちの連携による犯行などを解説していきました。被害者である女子大生に直接手を下した実行犯は、かなり血の気の多い人物であった事、また事件当日は犯行首謀者やその兄は現場に居合わせいなかった事も分かっていただけたはずです。

ここからは今回の事件で命を奪われた当時女子大生であった狩野さんにスポットを当てて、どんな人であったか皆さんに判明している範囲でお話ししていきます。どんな方であるか知っていただければ、彼女自身に何も問題が無かった事が分かるのではないでしょうか?彼女は不遇にも人格が歪んだ人間と交際してしまったのです。

桶川ストーカー事件の被害者、猪野詩織さんの生い立ち

今回の事件で不遇にも、ねじ曲がった私怨や逆恨みの塊である犯行首謀者と出会い交際して、多くの卑劣な嫌がらせや卑怯な脅迫を受けてきました。そんな被害者女性の生い立ちや経歴に関しては一般人であることから、あまりその詳細などは掴むことはできませんでしたが、被害者女性の周りの友人や家族からの話で伺える彼女の事についてお話ししていきます。

被害者である彼女が実際に嫌がらせや脅迫などの悪質なストーカーを受けている最中にも、自分の事の様に親身になって相談に乗ってくれる友人がいました。また娘である彼女の事を心配して何度も一緒に警察に相談に行ってくれたご両親がいる事から見ても、彼女自身は多くの良き友達や優しい家族に恵まれた、普通の女性であった事が伺えるのです。

桶川ストーカー事件の犯人とは?

被害者である彼女の身の回りの家族や友人関係を見ても彼女自身には、何ら問題のない性格や人柄だった事が伺えたのですが、当然今回の事件の首謀者や犯行に及んだ犯人たちは普通の人ではなく、歪んだ人格ねじ曲がった性格である事は言わずもがななのです。おさらいすると今回の事件を引き起こしたの犯人は5人の男性によるものです。

今度はそんな犯人5人はどういった人物でどういった経歴や生い立ちがあるのか詳しくご紹介していきます。犯罪者の経歴や生い立ちなどは、勿論普通の人の様な過去を送ってきた者も少なからずいますが、劣悪な家庭環境であったり他の人たちとは違い暗い過去を送ってきた者も少なくないのです。今回の事件の犯人たちはどっちなのでしょうか?

桶川ストーカー事件の犯人①小松和人

犯行首謀者でもある彼の生い立ちや経歴についてはあまり詳しくは公開されていませんでしたが、彼が交際中に被害者女性に親に捨てられた。という発言から考えると、寂しさや孤独感を強く感じていた事が分かり、それが原因でサイコパスであった可能性が高いです。

父親はどのようにして蒸発してしまったのか分かりませんが、父親の教育がなく母親からもまともに愛されなかったゆえに、彼は愛というものがどんなものであるか分からないまま、ただ貪欲に脅迫や強引にその繋がりを切らない様に交際を続けてきたのでしょう。その証拠に被害者女性の前にも過去に交際した女性に対してストーカー歴があったのです。

桶川ストーカー事件の犯人②小松武史

彼に関する過去の生い立ちや経歴もまたあまり公開されていません。けれども犯行首謀者の弟が被害者女性と交際中にも、別れを告げられた後も一緒になって怒りを露わにして、家に乗り込んで理不尽で勝手な要求を強く求めたことから、かなり弟を溺愛している事が伺えます。彼もまた人と人との繋がりが薄かったのでしょう。

兄である彼も幼少期や少年時代にはきちんと母親の愛を注がれず、また父親は蒸発してしまっている為、きちんと教育が行き届いていない事が分かるのです。やはりサイコパスや歪んだ人格者、ねじ曲がった性格の持ち主を生まないためにも、幼少期や少年時代にはきちんとその子を一人の人間として、情熱や愛をもって育てていかなくてはならないのではないでしょうか?

桶川ストーカー事件の犯人③久保田祥史、伊藤嘉孝、川上聡

犯行首謀者やその兄の生い立ちや経歴についてもほとんど判明されていませんが、この三人の詳細に関する記述もかなり少ないのです。分かっていることは、裏の実業家であり、風俗店を何店舗か営んでいた犯行首謀者の元で雇われの身で従業員として働いている事や、過去に暴力団組員だったという事くらいしか判明していないのです。

また犯行首謀者の兄である小松武史と同じ職場だったという事も分かっています。恐らく類は友を呼ぶ。という様に彼らは何か精神的に問題を抱えていて、その集まりではないかと推測されます。犯行当日には興奮状態であったのか、予定であった被害者女性を怪我させるだけではなく、誤って胸部に2か所刃物で突き刺すなど、危険な人格者と考えられるのです。

桶川ストーカー事件の犯人たちの判決とその後は?

今回の事件の首謀者や犯人たちの生い立ちに関して考察していきました。やはり幼い頃の家庭環境が少なからず彼らの歪んだ人格を生み出してしまったのではないでしょうか?この後彼らは逮捕され裁判に掛けられる事になります。彼ら犯人たちに言い渡された判決はどんなものだったのでしょうか?またその後や現在はどうしているのでしょうか?

こちらの見出しでは彼らの判決結果やその後の事について詳しく解説していきます。彼らの判決結果が犯行や犯した罪から判断してふさわしい物であったか読者の皆様も考えてみてください。そして彼らがその後どんな言動をとったのかも注目して読んでみてください。尊い一人の女子大生の命が奪われた後もこの事件は続いていくのです。

桶川ストーカー事件の犯人のその後①小松和人

犯行首謀者である彼は犯行当時、実は沖縄にいたのです。これはアリバイ作りのために計画されたものでした。誤って被害者女性を怪我させるだけではなく、殺害してしまったという情報が彼の耳に入っても、彼はいたって平常であったそうです。またその翌日には生命保険に電話をしているのです。この行為から彼はこの時からある計画を企てている事が分かるのです。

彼はその翌年の1月に北海道の東にある湖で遺体となって発見されるのです。彼はこの時自身の家族宛てに手紙を1通送り、またこの時の遺体とともに発見された手紙1通には、自身の冤罪や警察やマスコミに対して誹謗中傷の文、そして自身の保険金を家族に使ってもらいたいという旨が記述されていたのです。つまり自殺の計画は事件の翌日に企てていた事がわかるのです。

桶川ストーカー事件の犯人のその後②小松武史

犯行首謀者の兄である彼が逮捕されたのは10月20日の事でした。彼は逮捕され取り調べを受けている際に、犯行首謀者の弟は自殺癖がある、死んでまう可能性があると彼の弁護士や彼の口からそう供述していたそうです。逮捕された後も主犯として容疑を掛けられていましたが、徹底して容疑を否認したり、事件に関わっていないと主張していたのです。

しかし彼は事件が起きる前から、被害者女性に脅迫やビラなどの嫌がらせをしていて、それが過激化して殺人に及んだものと裁判官は捉えて、事件から7年余りに及ぶ長い裁判の末、彼は傷害致死を主張しましたが、最終的にはそれが認められず無期懲役刑が言い渡されるのです。そのため2019年現在も彼はどこかの刑務所に収容されているのです。

桶川ストーカー事件の犯人のその後③久保田祥史、伊藤嘉孝、川上聡

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