歌手活動では、人気ドラマ”特命係長只野仁”のエンディングテーマ曲も手掛けていました。現在では芸能活動を引退しており、一般人として生活を送っています。
沢村忠には多くの伝説的エピソードも
キックボクシングブームを引き起こした沢村氏は、様々なエピソードがあります。キックボクシングを始める前は空手をしており、その空手でもとても有名でした。一体どんなエピソードがあるのか、有名なものをご紹介します。
空手の世界でも負け知らず
沢村氏の祖父は空手をしており、小さなころから剛柔流空手道を習っていました。大学在学中では「全日本学生選手権」で優勝し、60戦無敗という記録を持っています。その為、空手界では「ツワモノ」と呼ばれていたそうです。本人曰く、空手の試合だけでなく、ストリートファイトでも負けたことがないと語っています。
試合が多く腫れが引かないときは荒療治で試合をこなした
現在の様に試合までにある程度の期間が空いたりしましたが、当時は試合の期間が短く、試合数もとても多かったので、体を休める時間がありませんでした。その為、怪我などで腫れていても試合に出ていました。ただ少しでも腫れを抑えるために、炊いたご飯をタオルに包み、患部に当てて無理やり治療をしていたそうです。
その他にも、患部にわざと熱湯をかけたり、額に傷があったときは黒いストッキングを巻いて試合に出たりと、簡単な治療を施してから試合に臨んていました。
王貞治氏を抑え日本プロスポーツ大賞を受賞
日本プロスポーツ大賞はその年に活躍した選手に授与されるとても名誉ある賞で、2018年では二刀流で活躍した大谷翔平さんが受賞しています。大賞受賞者には内閣総理大臣賞も授与されます。そんな偉大な賞を1968年に殊勲賞、1973年に大賞を沢村氏は受賞しており、大賞を受賞した年は、プロ野球選手の王貞治さんも候補に挙がっていました。
プロ野球で3人目の快挙となる三冠王を獲得しており、沢村氏と最終選考まで残っていました。そんな王貞治さんを抑えて沢村氏が大賞を受賞しました。
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沢村忠の現在は?①自動車の修理販売業も営む
沢村氏の数ある伝説などをご紹介したところで、現在の沢村氏はどのような生活を送っているのでしょうか?2019年現在では76歳と高齢になられているため、実際のところはわかりませんが、引退後の沢村氏がどのような活躍をしていたのかをご紹介していきます。
1999年のバラエティ番組に出演していた際に明かしていた
引退後は様々な噂がありましたが、1999年に「驚きももの木20世紀」という番組が放送されており、そこで報じられました。元々車好きな方だったので、引退後に見習いとして自動車修理の仕事に就いたと言われています。
自動車の修理販売業の傍ら少年空手の指導も行っている
キックボクサーとして有名だった沢村氏は、元々空手も習っていたため、自動車修理行うの傍らで埼玉県の方で空手の指導員として子供たちに指導をしていたそうです。引退しても空手に携わっているというくらい空手は好きだったのでしょうか。