リバーサイドモール跡地とは?イオンタウンとして復活した廃墟
株式会社「リオ横山HD」がオープンした、当時としてはかなり大きいショッピングモールです。しかし、開業から紆余曲折あって閉鎖。しばらく廃墟と化していましたが現在はイオンタウンが跡地に建てられ、生まれ変わっています。
リバーサイドモールの歴史について紹介!誕生から解体されるまで
華々しくオープンを飾り、そのまま続いていくかと思われたショッピングモールですが、2011年には事実上の閉鎖、という事になってしまいました。期待されていたモールで何があったのでしょうか。開業から閉鎖までの歴史の流れを解説していきます。
1992年に岐阜県最大級のショッピングモール「リオワールド」がオープン
「岐阜県の中で最大級」という触れ込みで1992年、「リオワールド」という名前でオープンしました。107もの店舗と2600台の駐車場という開業時の様子からもオーナー側の強い意気込みが感じ取れます。
比較対象として、同年付近に開業したショッピングセンターの駐車場が概ね広くても1100台ほどだった、という事実を見ても相当広い敷地面積だったということは想像に難しくないでしょう。本当に期待されていたのです。
2000年にアミューズメント施設を含む「リバーサイドモール」が完成
その後、2000年3月にリオワールドの道路の向かい側にアウトレットや映画館、さらには温泉、娯楽施設からなる巨大複合施設が完成します。これほどの規模のアウトレットは2000年当時としては時代の先を行った施設でした。
また、これらに加えて興正寺の分院を内部に誘致した寺院モール、薬局や診療所を入れたメディカルモールを建設し、中部で一番大きなショッピング地域としての「リオタウン」を作成するという構想があったようです。
右肩下がりの頃に同市内にショッピングモール「モレラ岐阜」が出現
しかし、順調に構想通り進んでいるかと思いきや業績は悪化。右肩下がりが続きました。さらにこの頃、本巣市内にライバルとなる更に大きいショッピングモールがオープン。競合が激化し、客足が遠のいていきます。
2007年にリバーサイドモール施設内アトラクションで負傷事故発生
更に事件が起こります。モールに当時あったセガの娯楽施設に置かれていたサッカーゲームで、遊んでいた児童の指が切断されるという痛ましい事故が起きてしまいました。これは後に詳しく解説したいと思います。
その後にリバーサイドモールは閉鎖され2017年に解体されることに
そして、2011年に臨時休業として事実上の閉鎖。その後長い間廃墟となっていましたが、ついに2017年に解体。この後跡地にイオンタウンの建設が始まり、現在は激安スーパーをはじめとして様々な施設が集まり、人気となっています。
モール自体は廃墟となってしまいましたがこちらは人気のキャンプ用品アウトレットです。キャンプ愛好家から人気のブランド、モンベルの記事はこちらです。
リバーサイドモールが廃墟と化した経緯とは一体
では2011年に閉鎖がなされてから2017年に解体されるまで、何故廃墟のまま6年間も放置されていたのでしょうか。閉鎖される前後にあった出来事の解説を交えながら、解体に至るまでの経緯を紐解いていきましょう。
主力のテナントであったイズミヤがリオワールドから撤退
事故が起こってから2年後の2009年、開業当初からのキーテナントだった食料品販売の大手「イズミヤ」がリオワールドから撤退してしまいます。元々客足は遠のき気味でしたが、あの負傷事故が撤退の決め手になったということでしょう。
リバーサイドモール内のショップが相次いで撤退
元々、2006年にライバル店がオープンしてから激しい競争が行われていました。しかし、ライバル店自体の規模がモールよりも大きかったことも含めて競争に勝てず、モール内のテナントが次々と撤退していきました。
こうしてモールは衰退の一途を辿り、静かに閉鎖へを向かっていくかと思われていました。しかし翌年に驚くべき事態になります。なんとモール側の権利が、とある人物へと売却されていたことが明らかになったのです。
リバーサイドモール運営会社と施設を占い師「海龍」へ1万円で売却
イズミヤの撤退からわずか1年後、モール側の運営会社、そして施設が占い師の海野正見氏の経営する株式会社「海龍」へ売却されていたことが判明しました。売却額は驚きの「1万円」。何故海龍へ1万円という価格で売却したのか、詳細は今もわかっていません。
滞納によって本巣市がリバーサイドモール施設建物を差し押さえ
ところが、モールを買い取った海龍は税金などの各種支払いを滞納。電気代すら払う事のできない始末で、2011年の3月に電気設備の総点検を理由に臨時休業。しかし、ここから営業が再開されることはなく、税の滞納を理由に本巣市が4月に建物の差し押さえを行いました。
海野氏と連絡がつかず、地権者との間でも裁判が起きたりと大変な混乱が起き、これによりモールは完全に廃墟となりました。ここから、モールが衰退し廃墟となった大きな事件をより詳しく解説していきます。
リバーサイドモールが廃墟化した大きな理由①男児指切断事故
先述のリバーサイドモール衰退の決め手の一つとされた事故である「男児指切断負傷事故」について目を向けていきます。娯楽施設で楽しく遊んでいたはずの児童を襲った不幸な事故とはなんだったのでしょうか。
リバーサイドモールで起きた男児指切断事件
2007年、モール内の娯楽施設「オールスターパーク岐阜」で当時小学1年生だった男児がサッカーゲーム機のチェーンに指を挟まれ、人差し指の第一関節から先を切断されるという事故が起きてしまいました。
これをきっかけとして翌年の2009年に件の娯楽施設は閉鎖されました。現代の社会でも事故をきっかけとした撤退や閉鎖は少なくありません。一度でもこういった不祥事が起きてしまうと、施設のイメージダウンは免れないものがあります。
なぜ男児指切断事故はが起きたのか?その原因とは
ゲームで使用するサッカーボールを運ぶためのベルトコンベアに通常掛かっているはずの金属製のカバーが何故か掛かっておらず、金属製チェーン部分に指を差し込んでしまい切断された、という背景のようです。
とはいえ件のベルトコンベア部分は遊技者が入れないように網が張ってあった、という事が岐阜県警の調査で判明しており、立ち入り禁止の場所に侵入していた児童にも非はありますが、小学生と言えば好奇心旺盛な年頃。入るな、という場所にこそ入ってみたくなってしまったのでしょう。
リバーサイドモールが廃墟化した大きな理由②利便性の悪さ
しかし、事故が起こる前から業績自体は下がっていると解説しました。当時最大規模という触れ込みで建設されたモールでしたが、一体何が悪かったのでしょうか。そこには買い物をする上で重要な点が関わっていたのです。
リバーサイドモール不人気理由①県の中心部から離れている
モールのある本巣市は県の中心部から約9kmほど北西の方向にあり、お世辞にも立地がいいとは言えません。岐阜県に用がある人が「岐阜に来たしついでだから」と気軽に寄ることができない、というのは集客としては痛手です。
最も、「そこまで県の中心から離れていても、足を運ぶだけの価値がある」と大勢の人間が感じるほどの魅力的な施設なら話は別です。当時はこう考える人も多かったのかもしれませんが、時代が進むにつれて利便性のあるライバル店に淘汰されてしまったのでしょう。
リバーサイドモール不人気理由②アクセスが悪い
県北の方に離れてしまっているだけでなく、モールまで行くためのアクセス手段自体も悪いです。電車からバスに乗り換え、バスからさらに徒歩と、こう乗り継ぎが多い上に降りても歩かなければならないと、大多数の人には向かうのが億劫に感じられるでしょう。
リバーサイドモール不人気理由③相次ぐライバル商業施設
先に説明した通り、業績悪化のダメ押しとばかりに登場したこのモールを上回る規模のライバル店だけでなく、更に県内に複数のイオンタウンが建設され、客足が回復することなく次々奪われたことも原因の一つでしょう。
しかし、一説によれば同じような商業施設は全国的に増加傾向にあると見られています。後述しますが利便性や競合相手の存在を加味しても、モールという存在は緩やかに死へ向かっているかもしれません。
リバーサイドモールが廃墟化した大きな理由③謎の占い師
こうして低迷極まったモール側の施設をわずか1万円という、ある意味とんでもない価格で株式会社「海龍」のオーナーこと海野正見氏が買い取りました。買い取られたモールはどうなってしまったのでしょうか。
補足ですが、海野正見氏本人も会社経営者というだけでなく占い師をしており、占い師としての名前が経営する会社名と同じく「海龍」となっております。ややこしいですが、社名に自身の名をそのまま付けるというのは海野氏の自信の現れでしょうか。