藤間静波の生い立ちや人物像|藤沢母娘殺人事件の概要と裁判での奇行

藤間静波は畑真輝子さんに交際を断られ、付きまとったあげく真輝子さんとその母親・妹を殺害、また共犯仲間など2名を殺害した藤沢母娘ら5人殺害事件の犯人です。この記事は事件の概要と犯人・藤間静波の生い立ち・人物像を詳しくご紹介します。

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藤間静波が起こした藤沢母娘ら5人殺害事件

藤間静波事件と呼ばれているこの事件は、1982年に起きた神奈川県藤沢市で起きた殺人事件です。少年院で知り合った19歳の少年と共に3人の親子を殺害したあげく逃亡先で共犯の少年も殺害。3人の女性を殺害する前年には自分のお金を財布から奪ったという理由で仲間だった男性を殺害した事件です。

自己中心的な動機で母娘らを次々殺害した

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事件を起こした藤間静波(当時21歳)は、被害者の1人である真輝子さん(当時16歳)と出会い、一緒に出掛けることもありましたが被害者の真輝子さんは合わないと感じ避けるようになります。事件の1か月前には、真輝子さんの両親から警察に通報されたことなどから殺意を抱いています。

少年院で知り合った少年(当時19歳)を誘い親子3人を殺害しています。その後いつ警察に通報されるかわからないという身勝手な考えから共犯の少年を兵庫県で殺害します。また、事件の前年には以前の犯罪の共犯者をお金を返さないことを理由に、証拠を残さないようにするなど計画的に殺害します。

裁判でVサイン・藤間静波の奇行

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逮捕された後の取り調べや裁判等でも行動や言動など奇行は続きます。弁護士に心を開くことはなく無罪のみを主張していたそうです。裁判が続く中自らの主張を翻し反省しているから情状酌量の量刑にもっていくよう方向性を変更したり、報道陣や傍聴席にいる人に向けてVサインを送るなど通常では考えられない奇行をしています。

藤間静波の生い立ちと性格

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3人の女性と仲間2人まで逆恨みなどから殺害してしまった犯人の生い立ちにはどのような過去があったのでしょうか。幼少期からの母親からの愛情のことや家族に裏切られたことがあることから家庭環境にも問題があり猜疑心が強くなったことが伺えます。

「何で差別するんだ!」妹ばかり可愛がられた

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幼いころは母親から溺愛されていましたが、小学4年生の時に妹が産まれると母親の愛情は妹に向けられています。妹はピアノを買ってもらったりしていたため、このころから口癖は「何で差別するんだ」という言葉だったそうです。

学生時代は影の薄い自己愛が強い性格

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小学生の時は、自分より弱い立場の人間(下級生・女子生徒)をいじめていたが中学生になると暴力は母親へと移ったとされています。中学の卒業文集では「自分のことを忘れないで」と綴っていたが事件後覚えている人は殆どいなかったことから、印象の薄い生徒であったことが伺えます。

中学を卒業後は高校にはいかず、仕事をしていましたがすぐに辞めてしまうなど職を転々としていました。どこにでもいる不良に思われるが仲間が多かったなどの話はなく孤立していた状態だったと言えます。一方で、お酒やタバコなど自分の体に害となるものはしないという自己愛は強い人物でした。

窃盗で少年院へ家族も静波の受け入れを拒否した

1977年に事務所荒らしで、1978年にひったくりで逮捕されたことにより少年院に入っています。退院後の翌年に家庭内暴力により我慢の限界となった父親が盗品を警察所に持ち込んだことにより再逮捕され再び少年院に入っています。

1981年に少年院から退院しますが、家族は受け入れることを拒否します。その後家に入れてもらうことはできましたが、何もしていない妹を突然殴るなど暴力や生活態度に改善は見られなかったそうです。

猜疑心が強い性格

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共犯の少年に対し犯行をバラされるのではと疑ったことにより少年Bを殺害してしまったことや妹と比較されたり家族に拒否されたことがありますので特に猜疑心の強い性格だったことが推測でき、やはり家庭環境に問題があったことが推測できます。猜疑心の強い性格の人の特徴としては下記のようなものがあります。

  • 素直に喜んだり、悲しんだりすることができない
  • 勝ち負けへのこだわりが大きい
  • 傷つきやすく、傷つくことを恐れて予防線を張る
  • 最初に何でも疑うところから始める
  • 自分中心に物事を考える傾向があるため、人の話を聞かない

藤間静波が藤沢母娘殺害事件を起こすまで

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真輝子さん達3人を殺害するに至ったのにはどのような経緯があるのでしょうか。被害者の一人である当時16歳の娘が藤間静波に出会ってから殺害されるに至るまでにどのような出来事があったのかなどを項目ごとに分けて紹介していきます。

真輝子さんと出会い付きまといが始まる

真輝子さんとの出会いは、偶然見かけた真輝子さんに藤間静波が一目惚れするところから始まります。時間を聞いて声をかけそのあとに電話番号などをしつこく聞いています。一度はともに出かけた真輝子さんですが、あまり楽しくなかったと感じたのか距離を置くようになり家に来ても追い返すなどしています。

父親は一度、二人が会話をしているところを目撃していますが真輝子さんが憧れていると話していた先輩かと勘違いをしています。この時本名を名乗らず山田と名乗っています。後藤間静波の行動は徐々にエスカレートしていき、ついには真輝子さんが通う高校に従兄弟と偽って電話を何度もかけるまでになります。

「デート代を返せ!」真輝子さん宅に2度現れた

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自分を避けるようになった真輝子さんに対してデートの時に使ったお金を返せという電話をかけるようになります、母親が電話を切ることもありましたが、2月に真輝子さんの家を直接訪ねています。玄関先で話をしていましたが、近所迷惑になることから家に入れこの時も本名ではなくは山田と名乗っています。

真輝子さんは奢ってもらったから借りたわけでないと言いますが、母親がは代金を払いもう関わらないでとの話をしています。この時お金を返してもらえるのであればと一度関わらないことを承諾しています。

拒絶され恨みを募らせていった

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一度はもう関わらいことを了承していましたが、その後真輝子さんと会い告白するも真輝子さんが断ると平手で叩いています。真輝子さんの家に電話をかけ続けますが、次第に真輝子さんは藤間静波の容姿などを妹と一緒に貶すようになります。そして4月ごろから真輝子さんの家には夜中に無言電話がかかってくるようになっています。

3度目の訪問で110番通報された

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藤間静波は次第に真輝子さんや真輝子さんの家族に対して殺意を抱くようになってしまい、包丁と小刀を購入して5月8日に真輝子さんの家を訪問しています。あまりにもしつこい行動のため、見かねた家族により110番通報され逃走しています。

家族は、真輝子さんが付け回されていることや無言電話のことなどを相談しますが、このころにはまだストーカーという言葉もなく付きまといなどに関する規制もなかったことから警察はトラブルだけとして取り合ってはくれませんでした。他、三鷹で起きたストーカー殺害事件の概要に関する記事はこちらになります。

藤沢母娘殺害事件の概要

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被害者の家族は何故犯人の2人を家に入れてしまったのでしょうか。被害者に110番通報されていたことがあるにもかかわらず簡単に家に侵入したことや殺害の方法や状況、その後逮捕されるまでの経緯について紹介していきます。

新聞屋を装い真輝子さん宅に押し入る

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5/27の犯行当日の夜、藤間静波は新聞屋の集金を装い真輝子さんの家に押し入っています。母子は夕食の最中でしたが、この日の昼間母親が不在の間に新聞屋の集金が来ていたことから、新聞の集金だと信じた被害者は玄関を開けています。

藤間静波が母娘を次々に殺害

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家に侵入することに成功した2人は逃げ惑う被害者を罵倒しながら切りつけています。まずは、真輝子さんの妹刺されています。次に切り付けられたのは母親で最後に真輝子さんが刺されています。共犯の少年も包丁を持って一緒に家に侵入していますが、少年は立ちすくしているだけで被害者を刺してはいません。

怨恨殺人で藤間静波が浮上・逮捕

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真輝子さんの父親は仕事から帰宅した際に遺体を発見し、通報しています。真輝子さんの妹は全身20か所・真輝子さんは7か所刺されていますが、ともに心臓まで達している傷が致命傷となっています。母親は傷を負いながらも近所に助けを求めようとしていますが追いかけてきた犯人に小刀で背中を刺され亡くなっています。

父親には、犯人の予想がついていたので、山田と名乗っていましたがすぐに容疑者として浮上しています。被害者は3人ともA型でしたが、玄関にO型の血液が残っていたことからこの血液は犯人のものとされています。犯行後、九州などに逃亡していましたが、最終的に埼玉県で逮捕されています。

藤間静波は共犯仲間を2人も殺害していた

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8ヶ月間という短い期間で母娘3人殺害事件の共犯者を殺害しただけでなく、藤間静波は以前他の犯罪を犯したときの共犯者も殺害しています。ともに少年院で知り合った仲間とされており犯行に至った経緯や犯行後の行動や心情について紹介していきます。

藤沢母娘殺害事件の共犯仲間Bを口封じで殺害

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この事件で共犯だった少年は当時19歳だった為、名前は公表されていません。少年院に入っているときの同部屋の相手だったそうです。歌舞伎町で再会した2人は「犯罪で生活していきたい」と話す少年に対して、藤間静波は自分の地元に連れていき露店商の仕事を紹介しています。しかし、その後真輝子さん親子の殺害を話し、犯行を行っています。

犯行後は、別々に行動するのではなく、一緒に行動し福岡や熊本に行ったあと大阪へと向かっています。逃走している最中に実家に電話しており警察が訪ねてきたことを知ります。真輝子さん親子を殺害した時に手を出さずただ立ったままだった少年に対して自分を裏切って警察に話すと考え口封じのために兵庫県に移動したあと少年を殺害しています。

事件直後、母親に「人をばらしてきた。」

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真輝子さん親子を殺害後、少年とともに一度自分の実家に帰っています。事件の時にケガをしており母親に手当てしてもらっている最中に3人殺したことを伝えています。父親帰宅した際にも、自首をするように勧めていますが「警察に話すと皆殺しにする」と脅迫し手当てを終えるとそのまま少年とともに家を出ています。

藤沢母娘殺害事件の一か月前に窃盗仲間Aを殺害

真輝子さん親子を殺害する僅か一か月前に、窃盗を一緒にしていた仲間を殺害しています。仲間Aは藤間静波の財布から金を盗み逃亡したとされており、激怒した藤間静波が追いかけて鎌倉まで行き返済を迫っています。返済期限が近づいた時知り合いを使って仲間Aを呼び出しますが、Aが来なかったことから殺害することを決めています。

仲間Aを殺害するため、包丁と小刀を持ってAのいる鎌倉に向かっている途中でAを見つけています。Aは覚醒剤を使用しており借金もあり、またAは自分の知り合いにはヤクザがいると話をしたことに、裏切りと判断ています。その後最後のドライブとして横浜まで仲間Aといきそこで11か所切り付けて殺害しています。

道路交通違反で逮捕されるもA殺害はシロ

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仲間Aを殺害した事件では、すぐに容疑者リストにリストアップされ別件の道路交通法違反で逮捕されます。仲間Aの殺害に関しては物証的な証拠がなく、警察の取り調べで行ったポリグラフでもシロと判断されています。また、母親が自宅で寝ていたとアリバイを証明したことにより釈放されています。

現在では、身内などのアリバイ証言は信憑性に欠けるとされている面がありますが、当時はまだ家族の証言もアリバイとして使用されていたとされています。息子を見捨てていた母親が何故家で寝ていたと息子のアリバイを作ったのかの真偽は明らかになっていません。

裁判でVサイン・藤間静波の奇行

取り調べでは、真輝子さん親子の殺害に関しては知らないと話していましたが、数日後自供を始めることになります。その上裁判の場において藤間静波は、被疑者とは思えないほどの奇妙な行動をしています。裁判でとった奇妙な行動について紹介していきます。

「反省している」報道陣にはVサイン

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1982年の初公判から1986年まで、無罪のみを主張していましたが、1986年にこれまでの態度を一変して反省していますと犯行の事実を認めています。しかし、反省していると犯行の事実を認めたにもかかわらず報道陣に向けてVサインをするなど反省とは真逆の行動をとっています。

留置場では殺害時の様子を話していた

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留置場にいたヤクザに事件の事をを教えろと言われて事件の内容について話をしているとされています。話の内容は返り血のことや殺害の手順、殺害しているときに血で手が滑たときのことなど犯人にしかわからないことだったそうです。

留置場で同部屋で過ごしていた少年は相部屋の相手が5人を殺した殺人犯とは知らなかったと話しています。そのため何故留置場の担当が冷たい態度をとっていたのか分かっていなかったがその後送検される際のテレビで事件の概要と自分と同じ部屋にいたのが殺人を犯した人であることを知って嫌っていたことにも納得できたそうです。

死刑を言い渡されるも暴力団幹部の名前をあげ傍聴席にVサイン

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地方裁判所の判決が言い渡されたのは、1998年です。判決は「自分の非を棚に上げた短絡的な犯行」「被害者に責められる点はない」「動機の面に対して酌量の余地はない」とし死刑の判決を言い渡されています。判決文を読まれている間特に動揺する様子はなかったとされています。

裁判が終わりに近づいた時、言いたいことがあると伝え、突然暴力団幹部の名前を出し始めます。裁判長が「やめなさい」「反省していないと思われる」と制止させますがあざ笑った後で傍聴席に向かい、両手でVサインをするなど事件を起こし本当に反省している人間からすればあり得ない行動をしています。

藤間が控訴取り下げ書を提出するも弁護人の異議申し立てで無効に

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1審の判決後控訴をしていましたが、1991年に弁護士が止めるのを振り切った上で本人自ら控訴取り下げ書を提出しています。この控訴取り下げは弁護士がまともな精神状態ではなかったとして異議申し立てをしており控訴取り下げは無効となります。

最高裁で死刑確定・死刑執行

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