心霊現象④女性の歌声が聞こえる
ある夏の夜、女性2人が乗った車が渋滞を避けるためにこの道を走っていました。社内には繰り返し同じテープの曲が流れていましたが、突然音が消え、テープが吐き出されました。
お互いに触ったか確認をしましたが、2人ともデッキには触れていません。不思議に思っていると、どこからともなく女性の歌声が聞こえてきます。
「ゆうやけ~ こやけの~ 赤トンボ~ おわれて~…」もちろん、どちらかの女性が歌っている訳ではありません。暗い夜道、人が歌っているはずもありません。
彼女たちは、慌てて来た道を引き返しました。その近くには、花魁淵についての詳細が書かれている、看板が立ってたのでした。
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花魁淵にまつわる米軍の恐怖体験
花魁淵に恐怖を感じているのは、この地を訪れた日本人だけではありませんでした。第二次世界大戦で広島に投下された原子爆弾ですが、最初の標的は山梨県だったという噂も存在しています。
原爆投下を止めるよう訴えた謎の女性の声
原爆を積んだB-29が山梨県上空を飛行する中、パイロットはこの花魁淵付近で花魁の姿を目にしました。彼女たちは、「これ以上私たちを傷つけないで」という悲痛な叫びを口にします。
これを聞いたパイロットは「この地には落としてはいけない」と感じとり、標的地が広島県へ変更されたという都市伝説があります。
この時、花魁がそのような場所にいるはずがありません。この地で無残に殺された彼女たちの魂が残り続け、その苦しみに現在も嘆き続けているのかもしれません。
花魁淵の本当の場所は別にある?
花魁淵の事件の後、村人たちによって現場の少し下流に慰霊碑が立てられました。これは現在「おいらん堂」と呼ばれており、村人が作ったとされる木像が一緒に並べられています。
実際の現場はその上流であるでしょうが、どこで起こったかという詳細の記録は残っていません。
事件が起きたのは藤尾橋という説も
一番有力とされる場所は、花魁淵の看板が立てられている場所より200メートルほど上流の、「ゴリョウ滝」と呼ばれる滝の場所です。この近くには「藤尾橋」という橋が架かっています。
この藤尾橋で事件が起こったと、郷土史家たちの中で見解が一致しています。なぜここより下流で花魁淵と呼ばれるようになったかと言うと、流れされた花魁たちが多く横たわっていたのが、この場所だったからと言われます。
場所が違うのは慰霊碑を移し替えてしまったため
また、立正佼成会の建てた慰霊碑は、「伝説にふさわしい場所に」という理由により移動されています。「化粧をした花魁のように美しい」と、この地を形容した東京都水道局の中川氏の提案により、移動が行われたとされます。
花魁淵の事件を嘘だと否定する説も
花魁淵のこの事件は、多くの人に知られていますがあくまで“伝説”です。伝えられる事件の所々には様々な疑問が残されており、信憑性は低いとする声も少なくありません。
そしてなんと、明治時代になるまでこれらの伝承は、地元の人々にも伝えられていなかったとされるのです。
黒山金山の近くには遊郭は存在していなかった
金を発掘する金山衆のために呼ばれたという花魁たちですが、この付近には花魁が常駐できるような建物の痕跡が発見されていません。つまり、遊郭らしきものは見つかっておらず、女性が呼び寄せられてのかも不明なのです。
殺害方法が確実でない
2つ目は、殺害方法がなぜ「橋を落とす」といった方法だったかということです。伝説でも、瀕死ながらも生き残った花魁がいたと言われています。
口封じのために殺害を考えたのであれば、このような不確実な方法をとるでしょうか。相手はか弱い女性です。男性の手にかかれば抵抗は出来ませんし、毒殺といった確実な方法があったのでは、という疑問が残ります。
花魁同様に情報を持っていた労働者はどうなったのか
労働者たちは、花魁たちより確実に金山についての情報を持っていたでしょう。それにもかかわらず、なぜ労働者は生き残り、花魁は殺されることになったのでしょうか。
さらにこの時、すでに金は採掘し尽していたという説もあります。それであれば労働者も花魁も、殺される必要などないのです。
戦国時代には花魁が存在しなかった
そもそも、戦国時代には「花魁」という言葉は存在していません。花魁は、江戸時代から使われるようになった言葉で、吉原遊郭の中で位の高い遊女のことを指します。
このことから、もし遊女が関係する事件が起きていたとしても、当時から「花魁淵」とは呼ばれていなかったことが分かります。
花魁淵への行き方は?
甲州市からお越しの場合は、国道411号に乗り北へ向かいます。大菩薩ラインと呼ばれるこの道を行き、一ノ瀬高橋トンネルを抜けると岩岳橋へ出ます。すぐに大常木トンネルへと続くのですが、この中間の左手側に花魁淵へ続く道の入り口があります。
花魁淵・おいらん堂へのアクセス
おいらん淵:〒404-0021 山梨県甲州市塩山一ノ瀬高橋 現在は付近までは行けませんので、ご注意ください。
おいらん堂:〒409-0300 山梨県北都留郡丹波山村 こちらは訪れることが可能です。上記の大常木トンネルから約7.0km(約11分)ほどの距離にあります。
花魁淵は現在立入禁止となっている
この花魁淵付近では以前より崖崩れが多く起きており、それにより通行止めとなることが度々ありました。安全と交通の利便性を考慮し、新たにバイパス道路が作られたのです。
現在は封鎖されており、中へは入れない
上記でも申しましたように、2011年にバイパス道路が開通したことで旧道は通行禁止となり、現在は花魁淵の側まで車で行くことは出来ません。そのため上記では、その通行禁止となっている場所までのルートをご説明しました。
同じく山梨県内には「富士ガリバー王国」というテーマパークが心霊スポットとして有名です。興味のある方はこちらの記事もご覧ください。
武田家と武田家に仕えた侍女たちの最期
天正10年、織田・徳川軍に追い詰められた武田 勝頼氏は、彼の継室である北条夫人、嫡男の信勝氏と共に、山梨県にある景徳院で自害したと言われています。
姫が淵と呼ばれる場所と所以
北条夫人の身の回りの世話をしていた16人の侍女たちが、彼らと一緒にこの地へ逃げ延びてきました。しかし主人をなくした彼女たちは、主人と運命を共にするかのように景徳院の下を流れる川へ身を投げたとされます。
彼女たちが身を投げたこの場所は現在「姫が淵」と呼ばれ、北条夫人と侍女たちが描かれた大きなレリーフが飾り、その死を悼んでいます。
北海道札幌市の花魁淵
花魁淵と呼ばれる土地は、この場所だけではありませんでした。北海道札幌市の「藻南公園」にも花魁淵と呼ばれる大きな淵が存在します。
花魁淵と呼ばれる所以①花魁たちの自殺
明治時代、東京から連れてこられた花魁たちが、札幌での生活の苦しさから逃れるためにこの淵へ身を投げ出したという説があります。この淵のあたりは特に水量が多く、激流のために水死者が多かったともされます。
こちらも、心霊スポットとしても有名な場所となっています。淵の側を歩いていた少年が、突然何かに足を引っ張られるようにして水の中に消え、そのまま行方不明となってしまったお話。
また、この淵の前に立ってみると「死にたい」という気持ちが触発され、そのまま淵へ身を投げてしまうといったお話が存在しています。
花魁淵と呼ばれる所以②商人たちの憩い場
藻南公園のこの場所は、商人たちが川の上流から木材を運んできた際に集まる場所であったとされます。彼らはこの場所で決まって花魁の話をしていたことから、花魁淵と呼ばれるようになったという説もあります。
花魁淵の真実は闇の中
花魁淵と呼ばれる所以となった伝説が本当にこの場所であったのか、今ではもう確かめようがありません。しかし、様々な怪奇現象がこの場所で起こっていることは事実です。
霊感のある人はこの場所へ近寄りたがらないと言いますから、遊び半分の気持では訪れないことをお勧めします。この地を訪れる際は、十分にご注意ください。
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