巣鴨子供置き去り事件!事件内容や長男・母親のその後【誰も知らない】

母親は、長男をはじめとして5人の子供全員の出生届を出すことはありませんでした。母親を含めた6人の生活費はデパートで洋服を売る販売店員として稼いでいました。母親が働いている間、4人の幼い兄弟は、お兄ちゃんである長男が面倒を見ていたとされています。

次男は生まれて間もなく死亡!遺体は押し入れへ

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1984年頃、次男(第三子)が誕生していますが、生まれて間もなく病によって死亡していたことが分かっています。当然次男も出生届を出していませんでした。そのため次男の戸籍がなく、亡くなっても死亡届けも出すことができません。そこで何を思ったのか母親は、次男の遺体ををビニール袋にくるみ消臭剤と共に押し入れへ隠してしまいました。

巣鴨子供置き去り事件について詳しく紹介!③部屋を出ていった母

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事件が発覚した東京の豊島区西巣鴨のマンションに引っ越してきた一家。母親は大家に夫は数年前に死別しており、長男と2人暮らしであり、職場は三越と嘘をつき転入しました。時には三越の手土産を近隣住民に配り歩き、長男の学校を聞かれれば、立教中学校に在籍しているが事情があり休んでいると嘘に嘘を固めていました。

実際は母親が働いているのはデパートであり、長男は戸籍がないので学校にも通わず、名字は漢字で書けても自分の名前はひらがなでのみしか書けなかったといいます。そして、長男以外の子を隠しての引っ越しだったため、こっそりと自宅に子どもたちを隠すように暮させていたことがうかがい知れます。

新しい恋人ができたために部屋を出ていった母

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1987年の秋に差し掛かる頃、母親に恋人ができます。幼い兄弟の世話は長男に任せて母親が恋人と同棲するために家を出て行ってしまいます。母親は家を出ていくときにまとまったお金を生活費としておいていきました。時に様子を見に来たり長男へ電話して子どもたちの様子を聞く事もあったとのこと。

当初は時折様子を見に来ていた母親は、恋人と長い時間を過ごすために家を出て行った事は話さず、長男に出張だと伝えていました。長男はうすうす母親が男の元へ行っている事を察していたのではないかと考えられています。その母親もだんだんと様子を見に行く事すらしなくなってしまいます。

妹たちの世話をすることになったのは長男だった

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母親が家を出て行ってしまい、妹たちの世話が出来るのは長男のみ。長男は幼い妹たちのために食事を与え、おむつを替える生活を送らざるを得ない状況になってしまいます。長男たちが住むマンションの1階はコンビニになっていました。このコンビニでは長男がアイスクリームやお菓子を買っている姿を近所の住民によって度々目撃されています。

巣鴨子供置き去り事件について詳しく紹介!④子どもだけでの生活

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母親が出て行ってしまい、大人が不在の中子どもだけで暮らす生活。そんな現実離れした生活は、我々大人が想像を絶する生活であったでしょう。年の離れた3人の妹の面倒を全て背負う羽目になってしまった長男は当時まだ14歳でした。たった14歳の少年には3人の妹の命がかかっています。

14歳といえば思春期に当たる時期ですが、反抗する間もなく、妹たちの世話に追われていた長男。嘘をつく事が当たり前の母親の姿をみて育ち、戸籍がないゆえに学校にも通わせてもらっていなかったため、善悪すらわからなかったのではないかと考えられます。

母から送られるわずかな生活費で生活していた長男たち

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当初は様子を見に来てまとまったお金を置いて行っていた母親ですが、様子を見に来る頻度が減り、代わりに現金書留にてお金を送金されるようになります。書留で送られる金額は子どもだけで生活するにしてもぎりぎりの金額だったそうです。このお金を頼りに妹や自分の生活にやりくりする長男。壮絶な生活だというのは想像するのも耐えがたいです。

部屋はゴミで散乱!水道や電気も止められていた

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現金書留で送金される金額も次第にだんだんと減っていき、最初は数万円送られていた金額がついには1~2万と減ってしまい、ガスや水道、電気などのライフラインを止められてしまいます。食事はコンビニの弁当に頼っていたため溜まっていく生活ゴミ。部屋もだんだんとゴミで散乱してしまう状況になってしまいます。

巣鴨子供置き去り事件について詳しく紹介!⑤不良の友達との出会い

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母親が家を出て行き、子どもが子どもを育てるという悲惨な状況から数カ月が経過し、相変わらず妹たちの世話をしていた長男。学校に通うことができなかったため友人は14歳まで1人もいませんでした。そんな長男に友人ができました。近所のお菓子屋で当時中学1年生だった友達Aと友達Bと出会い、3人の関係は、友人へと発展します。

2人の不良の友達に出会った長男!部屋はたまり場に

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友達Aと友達Bは、俗に言う不良少年でした。この2人は次第に大人がいない世界である長男と3人の妹が住むマンションに入り浸るようになります。そして友人Aに関しては半ば居候状態であったとされています。長男も生まれて初めてできた友人を拒絶することもせず2人を喜んで受け入れました。

不登校気味だった友達Aと攻撃的だった友達B

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友達Aの家庭環境も複雑であったために長男たちが住むマンションで過ごす時間が当たり前のように長くなって行きました。友達Bは一般的な家庭環境だったとされていますが、攻撃的な性格であったため学校では友人もおらず、孤立状態だったそうです。そのため、友達Bもまた放課後になれば長男の住むマンションへ通う毎日でした。

巣鴨子供置き去り事件について詳しく紹介!⑥三女を殺害

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母親が出て行った当初は妹たちの世話をまめに行っていた長男。母親から送られてくるお金が減っていくことによって、妹たちの世話も行き渡らなくなってしまいます。オムツが汚れる度に取り換えていたのに1日に1回変えるかどうか、食事も満足に与えることもできません。

今まで妹たちを一生懸命育てていた長男にとって上手くいかなくなっていく生活がだんだんと苦痛となっていきます。そんな中はじめてできた友人。友人と遊ぶという新しい環境は長男にとってとても魅力的だったはずです。長男は妹たちの世話よりも友人たちと遊ぶことに夢中になっていきます。

長男の友達Bが買っておいたカップ麺を三女が食べた?

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友達Aと友達Bが長男宅に入り浸るようになり数カ月後の4月22日、巣鴨子供置き去り事件で決定的となってしまった事件が起こります。前日に友達Bが買い置きしていたカップラーメンが誰かが友達Bに黙って勝手に食べてしまいました。

このカップラーメンを食べたのは、当時2歳の三女でした。この時すでに長男は妹たちに食事を満足に与えていなかったとされています。まだ2歳だった三女は空腹に負けて食べてしまったのでしょう。2歳が空腹に耐えるなんてこと出来なくて当たり前です。

友達Bが三女へ暴行!翌日には死亡していた

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元々攻撃的な性格だった友達Bは、自分の食べ物を三女によって勝手に食べられたことに怒り狂います。友達Bによって三女は折檻(せっかん)されてしまいます。中学生が2歳児を折檻することは異様な光景ですが、これにつられるように友達Aと共に長男もこの折檻に加わってしまいます。

一通りの折檻が終わったあとに三女があまりの出来ごとにおもらしをしてしまい、再び友達Bによる折檻が始まります。友達Aと長男は隣の部屋でテレビを見ていました。友達Bは泣き叫ぶ三女を押し入れの上から頭から落としたり、ボールのように蹴り上げたりとエスカレート。長男が三女が静かである事に気付いた時には三女は死亡していました。

三女の遺体は埼玉県秩父市の雑木林へと遺棄

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母親がまだ家にいる頃、生まれ間もなくしてなくなった次男をビニールに包み消臭剤と共に押し入れに隠しているところをみていた長男。三女が亡くなったときも同じように遺体をビニールにくるみ消臭剤と共に押し入れへ隠します。しかし、消臭剤が少なかったためか、数日後には押し入れより異臭が発生してしまいます。

長男は三女の遺体をボストンバックにつめ、友達Aと友達Bと共に電車にのり埼玉県秩父市の雑木林に長男と友達Aで三女の遺体を遺棄します。三女を直接殺害した友達Bは親に怒られると話し、途中で帰宅しています。この他にも罪のない子どもが犠牲になった事件があります。てるくはのる事件に関する事件に興味のある方はこちらもご覧ください。

巣鴨子供置き去り事件が発覚するまで

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三女が亡くなった後も誰にも知られることもなく、ひっそりとマンションの一室で身を寄せ生活していた兄妹。ではなぜ、この事件が世間に露見することになったのでしょうか。事件発覚に至ったきっかけについて紹介します。

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