巣鴨子供置き去り事件とは?映画『誰も知らない』の題材となった事件
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昭和の終わりに近づく頃に発覚した保護責任者遺棄事件です。この事件がきっかけで世の中に虐待やネグレクトという言葉が知れ渡ることになりました。保護者である母親さえ、子どもを放っておくことさえしなけれな引き起こされることがなかったこの事件。この悲しい事件について紹介します。
1988年に育児放棄が原因で起こった悲しい事件
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この事件は東京都豊島区で昭和の最後に発覚したとても悲しい事件です。母親が4人の兄妹を置き去りにしたが故に起こった悲しい出来事です。令和となった今でも忘れることができない、いや忘れてはいけない痛ましい事件です。
子どもを置き去りにした母親はたまに金銭を自宅へ送ることはあっても様子を見に行くことはしなかったとのことです。この4人の兄弟は実質ネグレクト状態にあったとされています。幼い子どもが4人で生活とは、なんて痛ましい事件でしょう。この他にも子どもに関する悲惨な事件があります。フリッツル事件に興味のある方はこちらをご覧ください。
是枝裕和監督の映画『誰も知らない』で描かれたことで話題に
この映画は、2004年に国内外で高い評価を得た映画であり、世の人々に衝撃を与えた映画です。実話である巣鴨子供置き去り事件をモチーフとなっています。『誰も知らない』という映画によってこの事件を知ったという人も多いと思います。あまりのリアリティのある映画であるため、実話が元になっていると考えるだけで心が痛みます。
巣鴨子供置き去り事件について詳しく紹介!①長男の誕生
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事件の被害者と加害者双方の存在となってしまった長男。この長男について語る上で、無責任な1組の男女の話をしなくてはなりません。この男女の話は巣鴨子供置き去り事件の15年前までさかのぼります。何故、長男は被害者だけでなく加害者にもなってしまったのでしょうか。
家族に反対されるも駆け落ち同然で同棲を始めた母と男性
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事件の全ての始まりはこの事件が発覚する15年前に1組の男女の同棲からはじまります。後に母親となる女性は高校生の時から歌手を目指しており、デビューしレコードを出した経験もあるほどの実力。しかし、レコードが売れることなく2年で歌手業を辞め、その後はデパートの派遣店員として働いていました。
女性が20歳になる頃、同じ職場のデパートで働く1人の男性と出会い、恋に落ちてしまいます。若い二人の恋は、両親や周囲の猛反対なんてなんのその。周りの意見を押し切り、半ば駆け落ちをするかのように同棲をはじめました。
母は男性に婚姻届を出すよう頼むも提出されていなかった
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同棲を開始し、しばらく経った頃結婚に至った2人。婚姻届を2人で書き、夫となる男性に役所へ婚姻届を出すように頼んでいた女性。しかし、この時になぜか男性は婚姻届を出さずに、女性へは婚姻届は出したと伝えていました。女性は役所に届けられているものとして何の疑いもなくこの男性と生活を送り続けます。
長男が生まれたときも出生届を提出しなかった男性
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その後、この男女の間に男児が誕生します。この時も男性に男児の出生届を役所に届け出るように頼む女性。しかし、男性はこの出生届けも役所に届け出ることをしませんでした。女性は婚姻届、出生届ですら役所に提出されていない事を後に知ることになります。
何故男性が婚姻届を出さなかったのか、自分の息子である男児の出生届を出すことをしなかったのかはわかっていません。男性によって書類が出されていると思っている女性はなんの疑いもなくしばらくの間暮らしていました。
その後に男性は他の女性と蒸発!会社の金も横領していた
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婚姻届も果てには、出生届けも出されていないと知らずに生活していた女性。しかし、夫であったはずの男性が、家庭外に女性をつくりある日蒸発してしまいます。そして会社のお金も横領していたことがわかり、女性は多額の借金を背負ってしまうことになります。
同時期、長男の小学校就学時期だと言うのに役所からなぜか通知が来ない事に疑問をもつ女性。就学時期を過ぎても全く通知がないことを不思議に思い役所へ問い合わせると長男の出生届が出されていないことが発覚します。同時に結婚していたと思っていましたが、男児の父親との婚姻届ですら提出されていなかった事もわかります。
巣鴨子供置き去り事件について詳しく紹介!②5人の子どもを産んだ母
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愛する男性との間に長男を生み、幸せに暮らしていたと思っていましたが、夫だと思われていた男性に裏切られ、果てには書類上結婚したことにもなっていないことを知ってしまった母親。そして、長男も出生届が出されていないため、戸籍のない幽霊児となっていました。
蒸発した男児の父親によって残されたものは借金のみ。母と子の2人となってしまった家庭。母親は長男の戸籍についても役所に相談することなく、幽霊児として母親以外『誰も知らない』存在となってしまった長男。この後、2人は一体どうしたのでしょうか。
子どもを5人出産!しかし父親は全員異なる人物だった
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その後母親は、長男と年の離れた子どもを4人産むことになります。しかし、子の父親は全て違う男性。この4人の子供は、少なくとも3人の男性との間にできた子どもとされています。母親は長男の父親となる男性に裏切られたことがきかっけとなり次々に男性と知り合い、子どもをなしたのだと考えられています。
自宅で出産した母は出生届を提出しなかった
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1981年頃、長女(第二子)が誕生し、1984年頃、次男(第三子)が誕生、1985年頃、次女(第四子)が誕生し、1986年頃、三女(第五子)誕生しています。5年間で妊娠と出産を繰り返し、5人の子持ちとなった母親。最初に生んだ長男は病院で出産しましたが、長男以外の4人の子どもたちは自宅で全て自力で出産しています。
母親は、長男をはじめとして5人の子供全員の出生届を出すことはありませんでした。母親を含めた6人の生活費はデパートで洋服を売る販売店員として稼いでいました。母親が働いている間、4人の幼い兄弟は、お兄ちゃんである長男が面倒を見ていたとされています。
次男は生まれて間もなく死亡!遺体は押し入れへ
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1984年頃、次男(第三子)が誕生していますが、生まれて間もなく病によって死亡していたことが分かっています。当然次男も出生届を出していませんでした。そのため次男の戸籍がなく、亡くなっても死亡届けも出すことができません。そこで何を思ったのか母親は、次男の遺体ををビニール袋にくるみ消臭剤と共に押し入れへ隠してしまいました。
巣鴨子供置き去り事件について詳しく紹介!③部屋を出ていった母
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事件が発覚した東京の豊島区西巣鴨のマンションに引っ越してきた一家。母親は大家に夫は数年前に死別しており、長男と2人暮らしであり、職場は三越と嘘をつき転入しました。時には三越の手土産を近隣住民に配り歩き、長男の学校を聞かれれば、立教中学校に在籍しているが事情があり休んでいると嘘に嘘を固めていました。
実際は母親が働いているのはデパートであり、長男は戸籍がないので学校にも通わず、名字は漢字で書けても自分の名前はひらがなでのみしか書けなかったといいます。そして、長男以外の子を隠しての引っ越しだったため、こっそりと自宅に子どもたちを隠すように暮させていたことがうかがい知れます。
新しい恋人ができたために部屋を出ていった母
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1987年の秋に差し掛かる頃、母親に恋人ができます。幼い兄弟の世話は長男に任せて母親が恋人と同棲するために家を出て行ってしまいます。母親は家を出ていくときにまとまったお金を生活費としておいていきました。時に様子を見に来たり長男へ電話して子どもたちの様子を聞く事もあったとのこと。
当初は時折様子を見に来ていた母親は、恋人と長い時間を過ごすために家を出て行った事は話さず、長男に出張だと伝えていました。長男はうすうす母親が男の元へ行っている事を察していたのではないかと考えられています。その母親もだんだんと様子を見に行く事すらしなくなってしまいます。
妹たちの世話をすることになったのは長男だった
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母親が家を出て行ってしまい、妹たちの世話が出来るのは長男のみ。長男は幼い妹たちのために食事を与え、おむつを替える生活を送らざるを得ない状況になってしまいます。長男たちが住むマンションの1階はコンビニになっていました。このコンビニでは長男がアイスクリームやお菓子を買っている姿を近所の住民によって度々目撃されています。
巣鴨子供置き去り事件について詳しく紹介!④子どもだけでの生活
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母親が出て行ってしまい、大人が不在の中子どもだけで暮らす生活。そんな現実離れした生活は、我々大人が想像を絶する生活であったでしょう。年の離れた3人の妹の面倒を全て背負う羽目になってしまった長男は当時まだ14歳でした。たった14歳の少年には3人の妹の命がかかっています。
14歳といえば思春期に当たる時期ですが、反抗する間もなく、妹たちの世話に追われていた長男。嘘をつく事が当たり前の母親の姿をみて育ち、戸籍がないゆえに学校にも通わせてもらっていなかったため、善悪すらわからなかったのではないかと考えられます。
母から送られるわずかな生活費で生活していた長男たち
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当初は様子を見に来てまとまったお金を置いて行っていた母親ですが、様子を見に来る頻度が減り、代わりに現金書留にてお金を送金されるようになります。書留で送られる金額は子どもだけで生活するにしてもぎりぎりの金額だったそうです。このお金を頼りに妹や自分の生活にやりくりする長男。壮絶な生活だというのは想像するのも耐えがたいです。
部屋はゴミで散乱!水道や電気も止められていた
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現金書留で送金される金額も次第にだんだんと減っていき、最初は数万円送られていた金額がついには1~2万と減ってしまい、ガスや水道、電気などのライフラインを止められてしまいます。食事はコンビニの弁当に頼っていたため溜まっていく生活ゴミ。部屋もだんだんとゴミで散乱してしまう状況になってしまいます。
巣鴨子供置き去り事件について詳しく紹介!⑤不良の友達との出会い
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母親が家を出て行き、子どもが子どもを育てるという悲惨な状況から数カ月が経過し、相変わらず妹たちの世話をしていた長男。学校に通うことができなかったため友人は14歳まで1人もいませんでした。そんな長男に友人ができました。近所のお菓子屋で当時中学1年生だった友達Aと友達Bと出会い、3人の関係は、友人へと発展します。
2人の不良の友達に出会った長男!部屋はたまり場に
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友達Aと友達Bは、俗に言う不良少年でした。この2人は次第に大人がいない世界である長男と3人の妹が住むマンションに入り浸るようになります。そして友人Aに関しては半ば居候状態であったとされています。長男も生まれて初めてできた友人を拒絶することもせず2人を喜んで受け入れました。
不登校気味だった友達Aと攻撃的だった友達B
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友達Aの家庭環境も複雑であったために長男たちが住むマンションで過ごす時間が当たり前のように長くなって行きました。友達Bは一般的な家庭環境だったとされていますが、攻撃的な性格であったため学校では友人もおらず、孤立状態だったそうです。そのため、友達Bもまた放課後になれば長男の住むマンションへ通う毎日でした。
巣鴨子供置き去り事件について詳しく紹介!⑥三女を殺害
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母親が出て行った当初は妹たちの世話をまめに行っていた長男。母親から送られてくるお金が減っていくことによって、妹たちの世話も行き渡らなくなってしまいます。オムツが汚れる度に取り換えていたのに1日に1回変えるかどうか、食事も満足に与えることもできません。
今まで妹たちを一生懸命育てていた長男にとって上手くいかなくなっていく生活がだんだんと苦痛となっていきます。そんな中はじめてできた友人。友人と遊ぶという新しい環境は長男にとってとても魅力的だったはずです。長男は妹たちの世話よりも友人たちと遊ぶことに夢中になっていきます。
長男の友達Bが買っておいたカップ麺を三女が食べた?
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友達Aと友達Bが長男宅に入り浸るようになり数カ月後の4月22日、巣鴨子供置き去り事件で決定的となってしまった事件が起こります。前日に友達Bが買い置きしていたカップラーメンが誰かが友達Bに黙って勝手に食べてしまいました。
このカップラーメンを食べたのは、当時2歳の三女でした。この時すでに長男は妹たちに食事を満足に与えていなかったとされています。まだ2歳だった三女は空腹に負けて食べてしまったのでしょう。2歳が空腹に耐えるなんてこと出来なくて当たり前です。
友達Bが三女へ暴行!翌日には死亡していた
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元々攻撃的な性格だった友達Bは、自分の食べ物を三女によって勝手に食べられたことに怒り狂います。友達Bによって三女は折檻(せっかん)されてしまいます。中学生が2歳児を折檻することは異様な光景ですが、これにつられるように友達Aと共に長男もこの折檻に加わってしまいます。
一通りの折檻が終わったあとに三女があまりの出来ごとにおもらしをしてしまい、再び友達Bによる折檻が始まります。友達Aと長男は隣の部屋でテレビを見ていました。友達Bは泣き叫ぶ三女を押し入れの上から頭から落としたり、ボールのように蹴り上げたりとエスカレート。長男が三女が静かである事に気付いた時には三女は死亡していました。
三女の遺体は埼玉県秩父市の雑木林へと遺棄
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母親がまだ家にいる頃、生まれ間もなくしてなくなった次男をビニールに包み消臭剤と共に押し入れに隠しているところをみていた長男。三女が亡くなったときも同じように遺体をビニールにくるみ消臭剤と共に押し入れへ隠します。しかし、消臭剤が少なかったためか、数日後には押し入れより異臭が発生してしまいます。
長男は三女の遺体をボストンバックにつめ、友達Aと友達Bと共に電車にのり埼玉県秩父市の雑木林に長男と友達Aで三女の遺体を遺棄します。三女を直接殺害した友達Bは親に怒られると話し、途中で帰宅しています。この他にも罪のない子どもが犠牲になった事件があります。てるくはのる事件に関する事件に興味のある方はこちらもご覧ください。
巣鴨子供置き去り事件が発覚するまで
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三女が亡くなった後も誰にも知られることもなく、ひっそりとマンションの一室で身を寄せ生活していた兄妹。ではなぜ、この事件が世間に露見することになったのでしょうか。事件発覚に至ったきっかけについて紹介します。
“親が帰ってこない”と大家が警察へと通報
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親が帰っていない気配もなく気づけば、不良の溜まり場となって困っていたマンションの大家。1988年7月17日に見かねた大家が警察へ通報したことから事件が明るみに出ることとなります。通報を受けた巣鴨署員が通報を受け兄妹が暮らす家を調べる運びになりました。
通報された部屋に福祉職員と警察官が入るとゴミにあふれ異臭のする一室に、当時15歳の長男と7歳の長女、3歳の次女の3人が発見されました。大家の通報通り保護者にあたる大人の姿はなく、長男によりだいぶ前に母親は帰ってこなくなっていることを警察官と福祉職員へ伝えられます。
長男たちは児童相談所で保護されることに
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福祉職員によって児童相談所に保護されることによって長男、長女、次女の3人の兄弟の安全がようやく確保されました。母親が出て行ってからすでに1年近く経過していました。3人の兄妹を発見した時に、マンションに友達Aと友達Bの姿はありませんでした。
コンビニの弁当やカップラーメンばかりの食生活では成長に必要な栄養が取れるはずもなく、そして母親からの送金も少ないため満足に食事が与えられなかった長女と次女は重度の栄養失調でした。特に次女の状態は悪く、がりがりに痩せ細っていました。あと少し発見が遅ければ次女の命も危険だったことがわかっています。
巣鴨子供置き去り事件の報道を見た母が警察へ出頭
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3人の兄妹の保護された後、さらにマンション内の一室が詳しく調べられました。すると押し入れに隠された乳児の白骨化した遺体も発見されました。白骨化した遺体は生まれて間もなく亡くなった次男です。この事件はメディアによって連日報道されることになります。
しかし、保護された兄弟が未成年であったため、母親がこの事件が自分の子どもたちのことだと気づくのが遅く、報道され始めてから数日が経ちました。恋人と同棲していた母親が自分の子どもが事件になっているとようやく気付き、ニュースを見て自分のことかもしれないと警察に出頭し、緊急逮捕されました。
巣鴨子供置き去り事件の判決とは?
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母親が警察に自首したことにより、マンションに住んでいたのは子どもが3人ではなく4人だったことが判明しました。三女の行方がわからないと報道はますます激化します。保護されていた長男によって、三女が自分たちの折檻の末亡くなってしまったこと、家に入り浸っていた友人たちと埼玉県の秩父市にある雑木林に遺棄した事が話されました。
事件の加害者として裁かれることとなった母親、長男、友達A、友達B。痛ましくも悲しいこの事件は、東京地裁によって裁かれることになります。判決はどうなったのでしょうか。また、その後についても紹介します。
母は保護責任者遺棄致死罪で懲役3年執行猶予4年の判決
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子ども出生を届けず、学校にも通わせないなど母親の自覚がなく、放置が続けば子どもの生命が失われる危険もあった。親の責任を放棄した罪は重いが、同棲相手と結婚してやり直すと誓っていることなどを考慮、今回に限り、自力更生の機会を与えることにした(引用:誰も知らない巣鴨子供置き去り事件)
母親が警察へ自首したのちに起訴されます。1988年10月26日に母親は保護責任者遺棄致死罪(ほごせきにんしゃいきちしざい)にて懲役3年と執行猶予4年の判決されることになりました。これは裁判官により本人にやり直す覚悟があると温情判決とされています。
被害者であり加害者である長男は養護施設へ
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長男は三女の死を供述したことで傷害致死と死体遺棄で逮捕されました。東京家庭裁判所に送致されました。しかし長男には母親さえ子どもを置き去りにしなければ起こり得なかった事件として同情する状況を考慮され少年院ではなく養護施設に送られることになります。
長男の友達Aは救護院へ送致!友達Bは保護観察
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長男が三女を遺棄したと供述したことによって、友達Aと友達Bは巣鴨署に補導されることになります。友達Bは三女が亡くなる要因を作ったとして救護員へ送致されます。友達Aは保護観察処分となりました。
巣鴨子供置き去り事件の母親とは一体どんな人物だったのか
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逮捕当時40歳であった母親。事件を引き起こした母親は一体どのような人物だったのでしょうか。5人の子どもを生んでいるのに、恋人と同棲するために子どもを置き去りにするなんて、とても人間のすることのように思えません。この母親はどこから何を間違えてこの事件を引き起こすことになってしまったのでしょうか。
服飾の専門学校へ進学した母!歌手志望でレコードも出していた
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母親は川崎の私立高校を卒業したのち、服飾専門学校に入学します。歌手志望であり、人気になる事を夢見て地道に歌手活動を行っていたそうです。冒頭でも触れましたが、レコードも数枚発表しています。しかし、歌手として人気が出ることなく夢をあきらめることになりました。
デパートの派遣店員として働いていた母
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歌手をあきらめた後はデパートで派遣店員として働き始めます。このデパートの派遣店員として働いているうちに同じ職場である男性に出会います。この男性こそ、長男の父親であり、後に幽霊児をつくる要因をつくることになります。周囲の反対を押し切り同棲を開始し、長男誕生後にこの父親は余所に女を作り借金を作った後に蒸発してしまいます。
母は大家や周囲の人々に数々の嘘をついていた
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男性が去った後母親は嘘に嘘を塗り固める生活をします。相談する相手もいなかったことから長男の戸籍がない事に気がつくと誰にも相談できず、とにかく隠さなければと見栄と嘘を重ねていきます。結果、子供全員の戸籍はないまま生活することになります。大家にも長男と2人暮らしと嘘をつき、職場についても三越だと近所に話していたといいます。
家族とは絶縁状態であり相談できる相手がいなかった
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長男の父親である男性と駆け落ちのように同棲を始めてしまったため実家とも絶縁状態であったとのこと。まだ20代と若い女性は頼る家族もなく、そして母親の性格的に隠さなくてはという思考によって事件が引き起こされてしまったと考えられます。ここで実家にさえ頼っていれば悲惨な事件は起こらなかったのにと思うと心が痛いです。
巣鴨子供置き去り事件の加害者であり被害者の長男とは?
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置き去り事件の被害者、そして亡くなった三女を雑木林に遺棄するという衝撃な事件の加害者となってしまった長男ですが、この長男は一体何を思って三女を雑木林に遺棄する考えに至ったのでしょう。学校にも通わず、ひたすら妹たちの面倒を見ていた長男。この長男について紹介します。
本当は面倒見が良く優しい長男だった
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事件が明るみとなり、保護された当初長男から事情を聴いていた警察官と福祉職員ですが、あいまいな点が多かったとされています。一緒に保護された長女によると長男が妹たちの面倒を見てくれていたと話しています。母親が帰ってこなくなったことで妹たちのオムツの交換も食事の世話を行いながら健気に母親が帰ってくるのを待っていた長男。
三女を雑木林に遺棄したことも妹に山を最後に見せてやりたいと選んだそうです。三女へ暴力をはじめた友達Bにも辞めるように言っていたと友達Aと友達Bによる供述によってわかっています。本当は面倒見のいい優しいお兄ちゃんであり、このような過酷な状況でなければ妹たちと共に幸せに暮らせていたのではないかと考えられます。
巣鴨子供置き去り事件発覚後も母のことを心配していた長男
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保護、逮捕された後「おかあさんはどうなるんだろう」と母親をかばう様子が見られたという。妹たちの世話をおしつけられ、学校にもそのうち通えるようになるからと母親からの言葉を信じ続けた長男。正直、母親のことなんて心配する余裕さえない状況だったと推察されます。
しかし、長男には信じられ大人が母親だけだっただけに、母親の言う事を聞き妹たちと隠れるように生活していくしかない環境でした。学校に通えないために常識もわからず、手探りの状態で妹たちの世話をし、保護されたのちも置き去りにした母親の事を思っているなんて切ないです。
巣鴨子供置き去り事件の関係者のその後とは
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巣鴨子供置き去り事件は当時センセーショナルな事件として連日報道される事態になっています。それだけこの事件が世の中に衝撃を与えた悲しい事件だったことがわかります。では、この事件後母親や子供たちはどうなってしまったのでしょうか。
変わらず恋人と暮らしていた母!長女と次女を引き取る
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事件の判決後も恋人と同棲生活を送っていた母親。養護施設で過ごしていた長女と次女を引き取り一緒に過ごすようになります。長女と次女を引き取った後の詳細はわかりませんが、2019年現在長女は38歳、次女は34歳になっているとのこと。
巣鴨子供置き去り事件の中心人物・長男の消息は不明
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長男は養護施設から学校に通い、養護施設を卒院したとされていますが、消息不明です。当時未成年であったため長男の詳細は報道規制により隠されていたことにより現在もその消息はわかっていません。2019年現在は46歳となっているとされています。
誰一人として実名報道されなかった巣鴨子供置き去り事件
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当時事件の被害者の長女や次女はもちろん、加害者である母親や長男、友達Aや友達Bの実名の公表がされませんでした。母親に関しても仮名での報道により、実名はわかりません。現在も公表されていません。
巣鴨子供置き去り事件を題材に作られた映画『誰も知らない』
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悲しく忘れてはいけない巣鴨子供置き去り事件ですが、この事件は後に実話を元にして映画として再び世に話題を呼ぶことになります。事件自体を知らない平成生まれの人たちにもこの昭和の終わりに起こってしまった事件について映画を通じて知ることになります。