小野悦男とは?
「小野悦男」と言う名前を聞いて顔を思い出す人も多いでしょう。テレビに大体的に報道され、残酷で極悪非道な犯人から奇跡の無罪に返り咲きました。しかし、わずか5年後に、もう一度容疑者となり注目を浴びました。一体、彼の犯した「本当の罪」は何なのでしょうか。
無罪になったいきさつや、彼が関わりなく本当に無実なのか、今は調べることも難しいです。世間の注目の的となり、無実の後に起こした事件により不信感を植え付けた事は間違いありません。まずは最初に捕まった経緯を順に見ていきましょう。
「首都圏女性殺人事件」の容疑者
足立区で清掃員として働いていた小野が関わったのは「首都圏女性殺人事件」と呼ばれます。本来であれば、〇〇県や〇〇市と具体的な名称が入ってもおかしくないのに、なぜ首都圏なのでしょうか。後ほど詳しく紹介します。
清掃員の彼のもとに警察が訪れたのは1974年9月の事でした。窃盗罪に覚えのある彼はおとなしく警察に行くことになります。長い悪夢の始まりだとは夢にも思わなかったのです。他の事件はどれも物証が足りず決め手に欠けたのが原因の一つでした。
16年越しに冤罪で釈放…しかし?
実は、はじめから重要参考人の資料に入っていた小野は、別件の逮捕に関わらずマスメディアや世間に首都圏女性殺人事件の犯人と報道されています。彼の過去の犯罪歴と、警察が別件でわざと逮捕に踏み切ったと解釈する人が大勢いたのです。
16年越しに無罪判決となり、一時は無罪の罪を被せられた人と有名になりました。5年後、残酷で卑劣な出来事起こります。再び、殺人事件の犯人で刑務所へ戻る事になるのです。どの様な流れで、この出来事が起きたのか詳しく説明します。
小野悦男が逮捕された「首都圏女性連続殺人事件」とは
関わったのは10件、被害は12人に及びます。1968年から1974年、約6年をかけて行われた事件で、殺す方法が似ている事で、同一犯の犯行と見ていました。これほどまでの大量殺人で容疑をかけられた理由は一体何だったのでしょう。
昔とは言え、これだけの犯行をするまでに犯人を特定出来なかった事が不思議でなりません。未解決のまま収束していまう事もありますが、全てを関連付けてしまった事に要因はありそうです。。小野は救護会に殺しはやっていないとだけ訴えたからです。
小野悦男が逮捕の事件①1968年、足立区で女性が暴行焼殺される
1968年7月13日の事、暑い日のテニスコート側の草むらで発見されたのは会社員女性でした。暴行した上に焼き殺すという想像し難い方法です。当時、会社員女性は26歳。まだまだ、この時は同様の殺人が行われるなど誰も考えませんでした。
今回だけ5年間の空白があります。上記の出来事が全ての事件の発端とされているのかは当時担当した警察にしか分からないでしょう。殺し方似ている、というだけでは少し弱い気がするのです。1つでも別の事柄が入れば全く違う顔を見せるはず、本当に関連はあったのでしょうか。
小野悦男が逮捕の事件②1973年、北区で女性が絞殺、放火される
時は変わり、2件目の事件は1973年1月26日、打って変わって寒い1月、北区でアパートの火災、首を絞めた後に火に焼かれるという無残な殺されかたで死亡したのは女性は22歳会社員と判明しました。
接点と言えば焼死体、20代女性が被害になった点です。まだ2つの出来事を結びつけるには動機も証拠も足りない段階でした。小野は事件2日前に現場で、バールを担いでいた為、逮捕されています。
小野悦男が逮捕の事件③同年、杉並区のアパートで放火事件
3件目が発覚したのは、2月13日の事でした。アパートが火事になり、死体で発見されたのは67歳の家政婦と男性22歳。放火による焼殺死体でした。放火しか接点がない為、今までの事件との関連性に疑問視する声もありました。
特徴は唯一男性が被害にあっていることです。また暴行を加えた痕がないのが、共通する点が薄いと考えられます。模倣犯の可能性も少なからずありますが、警察はこの時に他の証拠を握っていたのかもしれません。
小野悦男が逮捕の事件④1974年、千葉県の主婦が絞殺
4件目は1974年の8月10日、土地を宅地として使うために行われる工事現場で発見されました。後述する殺害現場の近くで暴行の上、絞殺、遺体であり、30歳の主婦でした。6月に失踪したと届け出があり、現金3万円の入ったカバンがそばで見つかっています。
他とは異なり、「放火」が絡んでいませんが、後述する松戸市で起きた出来事が大きな手がかりとなります。穴に埋める特徴が見られたのはこの事件からでした。なぜ、土に隠すかのように埋めるのも不明でした。
小野悦男が逮捕の事件⑤同年、千葉県で女性が殺害される
8月8日に同じく土地を宅地で使うための工事現場でブルドーザーの運転手が19歳女性の全裸遺体を見つけました。7月に行方がわからなくなっており、多くの目撃情報もありました。「松戸OL殺人事件」とも呼びます。
ここで4件目との接点、暴行して穴に埋める手口が似ているとされました。他に数百人の容疑者があがるも、犯人に確定出来る物証がなかったため、捜査は難航し、今回の事件をきっかけに捜査は動き出しました。
小野悦男が逮捕の事件⑥同年、千葉県で暴行焼殺される
少し過去に遡り、7月10日に松戸市内のアパートで火災が起こります。21歳女性の教師が暴行されたあげくガス栓をあけた状態で火をつけられ、無残な焼死体でした。現場近くで目撃されています。犯人の血液型はO型とわかりました。最初の取調べはこれを対象に行われました。。
7月1日に現場に距離が近い向かいでアパートに忍び込み被害者女性に騒がれて逃走しています。1ヶ月も待たずして犯行は行われたという事でしょうか。未遂で残した痕跡が、のちに彼を充分に苦しめる物証となるのです。
警察の初動捜査
決定打にかける物証がなく起訴に持ち込むのが難しいとして、松戸OL事件に取り調べの対象を替えたのです。何件もある中で、証拠が揃っている事件に切り替えるのは致し方ありません。もう少し調べていれば別の結果も生まれたかもしれません。
小野悦男が逮捕の事件⑦同年、葛飾区で女性が暴行焼殺される
7月14日に四つ木で起こった火災で、経営者の女性58歳と手伝いの女性48歳がいずれも強姦された後に殺されています。女性と強姦の点では共通点が見つかっていますが、年代が少し外れています。ただ、強姦された点と放火の手口から、共通点が指摘されました。
小野悦男が逮捕の事件⑧同年、埼玉県で女性が女性が暴行、放火される
7月24日、火災現場で暴行された死体を確認。22歳薬局店員女性であり、逃走の際に東武伊勢崎線草加駅の始発電車で小野を見たという貴重な目撃証言があります。加害者の血液型はO型、松戸市と同じくガス栓が故意にあけられた上での放火でした。
度々、目撃される彼は一体何を考えていたのでしょうか。その場所で犯行を繰り返せは自分の首を絞めることは、今までの経験で学んできたことです。それでも止められない「何か」が彼を動かしていたのでしょうか。
小野悦男が逮捕の事件⑨同年、足立区で女性が暴行焼殺される
8月6日には綾瀬で火事があり、遺体から強姦殺人と判断、胸と腹に刃物の傷があることも判明しています。21歳の女性が被害者でした。残留物から加害者はO型かB型と絞り込みました。まだまだ、当時は焼かれた後の物証は取ることが難しかったのです。
小野悦男が逮捕の事件⑩同年、埼玉県で女性が暴行焼殺される
8月9日、草加市で火事が発生、21歳の被害者女性も強姦された後が残っていました。加害者はA型かAB型といわれ小野の血液型とは一致しておりません。共通しているのは暴行して放火する、暴行して穴に埋める、2通りに絞られました。
いかがでしょう。この時点で全ての事件に関連性はみられたでしょうか。当時の警察も次から次へと起こる犯行、犯行現場の市民の声を無視は出来ません。また、マスメディアが報道を過剰に行った為、色んな視点での見方も出来なかったのかもしれません。
小野悦男に対して、別件で逮捕から一連の事件への追求が始まった
小野が逮捕されたのは1974年9月のことでした。松戸市内で起きた盗みの件で、警察へ連れて行かれます。カラーテレビ、ネックレスをマンションから、書店で1万円程の本を盗んだとされ、この逮捕は後に小野を捕まえる為の手段であることが判明します。
事件の名がついたのは、件数の多さと県をまたいでの犯行であること、またマスメディアがすべてを同一犯の犯行と関連付けて報道した事により広まりました。この事件によって過剰な報道も自粛を余儀なくされます。
火をつけるのは証拠隠滅のため?
10件の中で8件も火に関わる犯行です。なぜ、火にこだわったのでしょう。当時の捜査は焼かれると証拠が燃えてしまうため、限りなく証拠がなくなる状態に等しかったといいます。そこに目をつけた卑劣な行為といえるでしょう。
残忍な殺し方でも唯一立件が難しく、次々に起こる事を予測する為にプロファイリングを取り入れたことで、全部が同じ見解になってしまったのが原因かもしれません。現在は、焼けた家や死体からも色んな証拠が発見出来るようになりました。
小野悦男逮捕の決め手は?
首都圏女性連続殺害事件の犯人と決め手になったものが、いくつかあります。何も関係がないとは考えられません。6年前に起きた事件も含めて、全てを結びつけたのには何か事情がありそうです。実は捕まえてからから裁判まで、半年ほどの年月を警察は費やしていました。
小野悦男逮捕の理由①放火、窃盗の前科がある
疑われる理由として一番に上がるのは前科があった事です。小野は今回捕まるまでに14件事件で逮捕、13回、刑務所で過ごしています。それが捜査の目をくらませた原因とも言えます。この当時は他にも、要注意として追っていた犯人は7~8名いたと言われます。
今になるとバラバラに見える事件も、放火や強姦の前科者が目の前にいれば全てが線でつながった様な錯覚を起こしたのかもしれません。前科があると警察も一層疑心も強くなり、1つの事件の詳細を捜査しない事に繋がったのでしょう。
小野悦男逮捕の理由②加害者との血液型が一致
該当しない事件もありますが、松戸OL殺人事件の犯人と小野の血液型が一致しました。今でこそDNA鑑定が主流ですが、当時はそこまでの技術もなく、血液が一致するかは大きな決定打になっていました。A型、B型、O型、AB型しかない血液の種類、それでも当時は貴重な証拠だったのです。
今現在ではDNA鑑定が主流になり、事件の関与についての信憑性も、捜査が発達したことで裏付けることも簡単になりました。それを思うと今回の事件がもどかしく感じます。今、起きていれば全く違う結末を迎えていたでしょう。
小野悦男逮捕の理由③現場近くで職務質問
犯人は現場に帰ってくると言われるくらい、犯人は犯行現場を気にします。その犯行現場で何度も職務質問を受けて自ら疑惑の目を向けたのも原因となりました。6月から8月にかけて、足立区の工事現場で働いています。
足で動くのが基本と言われていた警官たちは、目撃情報が非常にありすぎてかなり翻弄されたといいます。中でも信憑性のあったのが彼の目撃証言だったのです。確かに顔に特徴もあります。一回見たら印象に残ります。
小野悦男逮捕の理由④未遂現場の足跡が一致
松戸で2件の事件を起こしていますが、犯行が未遂に終わった事件の足跡が、小野と一緒でした。未遂に終わらなければ、被害者になる可能性の高い事件として、足跡が同じだった事は犯人断定の後押しになりました。
小野悦男逮捕の理由⑤事件現場の地理に詳しい
小野は事件現場近くで出入りすることが多く、広範囲に渡る事件でも地理に詳しかったそうです。もともと、清掃員も建築現場の仕事も、場所が点々と変わる作業のため、土地勘に詳しくなるのは職業病と言えるでしょう。しかし、あらゆる点の共通点を見つける中で、地理に詳しいことも彼に的を絞った原因となるのです。
小野悦男逮捕の理由⑥はしごの扱いに慣れているのが犯人と一致
建設業者で働いていた小野にとっては、はしごの扱いに慣れていて当然です。窃盗の時も存分にいかしてきたのでしょう。彼を犯人とするには一つ一つの要素はとても低いものです。それが合わさった時に確信に変わっていきます。実際に起訴されたのは足跡の痕跡と、血液型の一致から松戸OL殺人事件で起訴されました。
小野が全部の事件の犯人とは考えにくいものの、全ての事件に関与していないとはいえません。実際に小野を犯人とする電話もあり、事件現場付近で職務質問後に逮捕されることもありました。今度は小野悦男とはどんな人物なのか気になります。
小野悦男とはどんな人物?
逮捕されるまでの流れを説明してきましたが、実際に小野と言う人物はどの様な人なのでしょう。事件から想像するには残酷で卑劣極まりない人物に見えます。しかし、無罪を勝ち取った時には、味方をつけるほどの魅力をかかえています。今までの生き方からどんな人物か想像してみてください。
小野悦男の生い立ち①6人兄弟の次男
小野悦男は6人兄弟の次男として1963年茨城県で生まれました。両親も含めると8人で暮らしていました。兄弟が多いと、それだけ生活にも金銭面での苦労がかかります。大家族に恵まれるも、普通の家庭とは少し違う環境で育った小野は想像を絶する生活ぶりだったのかもしれません。
小野悦男の生い立ち②家庭環境は複雑
実は、それぞれの兄弟の父親は違う人という、複雑な環境も抱えていました。小野の小さい時に本物の父親は亡くなったと聞いており、顔も覚えていないと後に本人が語っています。義父と本当の母親、良い環境下でないことは容易に想像つきますが環境はどうであれまっすぐに育つ人はたくさんいます。小野の場合はどうだったのでしょう。
小野悦男の生い立ち③16歳の逮捕を皮切りに犯罪に手を染める
初めて犯罪に手を染めたのが16歳。無免許運転でした。免許がないと言うことは同時に、誰の車、もしくはバイク等を運転していたのか?と言う問題もあります。これで反省をして、犯罪に手を染めないのが一番だったのですが、うまくはいきませんでした。そして、中学2年生で学校は中退しています。
小野悦男の生い立ち④あらゆる犯罪を繰り返す
その後も犯罪に手を染めます。詐欺、窃盗、放火、強姦と14回も逮捕、そのうち13回も服役しています。放火や、窃盗、性犯罪に関しては再販率が高い事でも有名です。どこかで更生することは出来なかったんでしょうか。
小野悦男の生い立ち⑤事件前、家族を頼りに上京していた
13回目の服役を網走刑務所で終えた後は、家族を頼りに東京へ上京しました。姉や妹、弟の家を渡り歩きながら生活をします。もちろんそれぞれの家庭もあるので一箇所で生活をすることは出来ません。それに伴い職も点々とするようになります。
住所不定で定職を探す事は簡単ではありません。常に人が少ない大工や塗装業、建築関係の仕事を余儀なくされます。また、一説では犯行を繰り返すたびに引越しを繰り返していたそうです。しかし、逮捕された時は清掃員として定職に就いていました。
小野悦男の逮捕から無罪までの道のり
日本の裁判で起訴された場合、ドラマにもなりましたが「99.9%」有罪が確定すると言われます。小野も例外に漏れず、有罪となります。どのように裁判が進み、無罪と言う奇跡を勝ち取ったのかを詳しく解説します。
小野悦男の逮捕後①松戸信金OL殺人事件で起訴
今回の事件では、10件にも及ぶ事件に関係があるとして同一犯の犯行と見られていました。物証となる確たる証拠がないのが事件の特徴でもあります。状況証拠だけでは起訴は成り立たず、一番関連の強い「松戸OL殺人事件」にしぼり捜査を追いました。
小野悦男の逮捕後②一度は処分保留・釈放に
せっかくの証拠も残念ながら千葉地検松戸支部の結論決め手となる物証に乏しいと「処分保留で釈放」になります。物証が足りず、自白などを元に取り調べを続け、犯人しか知らない情報で被害者の衣服の発見などを持って、今度こそ起訴に持ち込んだのです。
小野悦男の逮捕後③無罪主張に救いの手が!
公判自体も長期にわたり、論点となったのは小野の「自白」でした。本人が描いた図を元に衣服が発見したと検察側が主張するも、弁護側は過度な取調べ、また異例な「処分保留」取調べの捏造などを根拠にあげ「無罪」主張したのです。
そこで救いの手を差し伸べたのが起訴直前に作られた「小野悦男さん救護会」です。差し入れや面会、過度なマスメディアの報道などを批判するなど、献身的に支えてきました。当時は冤罪で捕まった人たちの再審を多く手がけていたことも後押ししたと考えられます。
小野悦男の逮捕後④地裁では無罪懲役の判決
1975年、検察側から提出したのは証書120通、証拠物38点と膨大なものでした。11年もの歳月をかけ、千葉地裁がだした結論は、無期懲役。傍聴席に収まりきれなかった「小野悦男被害者の会」からは本当なのか?と判決に納得できない様子が見受けられました。
80回以上にも及ぶ公判の末でた無期懲役判決に納得出来ない小野悦男と弁護団は最高裁に控訴しました。最大の論点となるのは「自白」「代用監獄」でした。当時も録音データが残っており、データを聞く限りでは不審な点はないとの意見がある中で、出てきた違法取り調べがどの程度本人を脅かしたのか信憑性が大きな課題となりました。
代用監獄とは
裁判で論点として争われたのが代用監獄(だいようかんごく)でした。本来の監獄法では、未決勾留(証拠が不十分な容疑者)は監獄で行う事になっています。しかし実際は捜査段階での容疑者の取り調べに使うことが多くあります。
長い間容疑者を警察に留まらせることが自白の強要などに結びつくため、旧監獄法は廃止されます。平成18年5月24日に「刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律」が設けられました。これにより通常の事件の勾留日数は特別な場合を除き最大でも28日間ほどとなりました。
小野悦男の逮捕後⑤東京高裁で自白強要を理由に無罪釈放の判決!
前回の裁判で一貫して無罪を主張した小野の心証は「どんな仕事でも一生懸命やる」としっかり裁判官に答えており、順調だったようです。1991年4月23日東京高裁は無罪を言い渡します。判決を読み上げる時には拍手が起き、裁判官から諌められたそうです。
世間が驚きに包まれた時でした。判決の理由は自白の強要と、自白による証拠提出も真犯人しか知りえない情報とは言い難いとしています。ここから無罪を勝ち取った冤罪のヒーローと言われる小野の人生の再スタートが始まるのです。