冤罪の可能性が濃厚であったにも関わらず、獄中で病死してしまった平沢貞通が未だ犯人とされていますが、真犯人説も事件後には推測ではありますが、諏訪中佐となっています。
しかし、ここにきて謎のままである真犯人にもうひとつの説もでてきています。その気になるもうひとつの真犯人説を見ていきたいと思います。
犯人は複数?
帝銀事件前に起きた2つの手口が似た事件について、全て単独の犯人とされていました。しかし手口は似ていたものの同一人物が起こしたという点で疑問もあがっています。
まず帝銀での手口は似ていたものの、2つの似た事件では命を落とした人が居ないことと、男が尋ねてきた時点で支店長や行員に怪しまれ大きな犯行には結びついていません。
2つの事件と帝銀事件の犯人は別説
ここで思うことは、2つの事件では犯行に失敗していることから犯人は巧妙なストーリーをやり遂げることが不可能であったという点です。
しかし、この事件では少し前に同じような事件があったにも関わらず怪しまれることなく犯行に成功しています。同一人物であったとしたら、予行練習で2つの事件を起こしとしても3つ目で冷静に怪しまれず完璧なストーリーをこなす事ができないのではと考えます。
証拠や証言からも犯人は別の可能性もある
2つの似た手口の未遂事件では、犯人は無駄に言葉を喋っていたり証拠として足が残るような事が多かった反面帝銀事件では、証拠として足が残るようなこともなく犯行は問題なくできています。
さらに、行員や生き残った被害者と面通させた際未遂事件の方では、犯人だといった被害者がいたとされていますが、この事件では誰も平沢が犯人だとの証言をしませんでした。
疑問に思う点はまだある!
この事件当日に犯人に持ち去られた小切手が、事件翌日に安田銀行板橋支店にて手続きされています。その際小切手の裏書がされていなかった事で犯人自身がデタラメではありましたが書いています。
被害者達が見た犯人の雰囲気は、品が良くインテリな感じであったとの証言と安田銀行に小切手を換金しに来た男の雰囲気は土建屋風との証言も違っていました。
後に小切手手続きの際の裏書の筆跡と平沢貞通の筆跡を比べ同一人物でないこともわかっていました。
これらのことからも、既に未遂事件とこの事件、さらに小切手換金の犯人は別人の可能性も出てきます。しかし、確実な証言が得られていないにもかかわらず、3つの事件の犯人とされてしまいました。
帝銀事件が起こった事件背景
帝銀事件という大勢の被害者をだすことになってしまった手口には、この時代ならではの背景も関係しています。
戦後間もない時期であったことから、この事件を起こせたと思われる内容もみていきましょう。
上下水道が未整備で伝染病が流行していた
戦争が終わりまだ3年程しかたっていなかった日本は、経済だけでなく衛生の面でも整っていませんでした。その為伝染病などは人々に恐怖心を与える病気のひとつでした。
GHQは防疫面や上下水道などの整備に力を入れていたものの、追いつかず赤痢などの感染病が流行していたことがこの事件の背景にあります。
GHQ統治下の戦後の混乱期だった
この時代は、GHQの占領下でもあり日本はまだまだ空襲の爪跡が残った状態で復旧は思うように進んでいませんでした。電話などもまだ普通に使うことができない地域があったりと情報も思うように入ってきませんでした。
このような戦後の混乱期であったことで、公共機関などの名前をだされれば信用してしまうような時代でもあったことから事件の背景が伺えます。
帝銀事件の現在の跡地は?
これだけの悲惨で最悪な事件が起きてしまった帝国銀行椎名支店は現在どのようになっているのか気になってしまうのは誰でも一緒だと思います。
現在の跡地の情報もお伝えしていきます。
マンションになっている
帝国銀行椎名支店の跡地は、現在マンションとなっています。あれだけの悲惨な事件が起きてしまった同じ場所に建物は違うとはいえ住みたくないという人も感じ方はそれぞれですが居ると思います。
しかし、建物が違う(建て替えられている)事や今から70年ほど前に起きた事件と言う事もありいわゆる事故物件にはなっていない可能性もあります。
家賃は格安
実際このマンションの家賃は格安との情報もありますが、東京都豊島区の地域と元椎名支店の場所が駅から近いため冷静に考えたら賃貸料が安いという事に疑問を感じます。
もちろんその条件を知ってのうえでの契約ならなんの問題もありませんが、気になるというかたは賃貸契約の際、物件の条件と家賃に違和感を感じたら調べてみることをおすすめします。
【類似毒殺事件】謎が残る事件や冤罪の可能性がある犯人逮捕は他にも存在する
現在では警察の取り調べの際、強要や暴力などといった行為は禁止されていますが、戦後から少しの時代では過激な取り調べにより、自白をしてしまうことがあり得る時代でもありました。
この時代一度自白をしてしまうと、無罪を訴えても認めてもらうことは難しく今回の帝銀事件同様冤罪の可能性があったと思われる類似事件や犯人逮捕になっていない謎が残る事件もみていたいと思います。
名張毒ブドウ酒事件 冤罪説あり
1961年3月28日に三重県名張市の小さな集落の公民館で開催された懇親会酒席で起きた毒殺事件です。当時その会では男性は清酒・女性はぶどう酒が振舞われました。
楽しくなるはずの懇親会でしたが、ぶどう酒を口にした女性17人が気分がわるくなり5人命を落とすこととなりました。その後の捜査でぶどう酒に農薬が混入されていたことがわかっています。
逮捕された犯人
会に参加していた男性3人を取り調べ、その中の奥西勝を4月3日に逮捕しました。当時奥西が犯人となった理由は、命を落とした5人のうち1人は妻・もう1人は愛人でありました。
小さな集落での三角関係を清算しようと考え起こしたのではないかとされ逮捕にいたりましたが、奥西はやっていないと無罪を訴えていました。しかし最終的には死刑判決を下されることとなります。
再審請求を繰り返し、死刑は実行されないまま2015年10月4日肺炎が原因で病死しています。無罪をいい続けいましたが、奥西は冤罪なのでは?という説もでてきています。その詳しい内容と真犯人などの記事はこちらもどうぞ
波崎事件 冤罪説あり
1963年8月26日茨城の鹿島郡波崎で起きた保険金目的とされる毒殺事件です。亡くなったのは石橋康雄さん。事件当日富山さんは、魚類や野菜を入れる箱屋で妻の従弟富山常喜宅へと行っていました。
帰宅したのは0時15分頃、石橋は帰宅し直に「薬を飲まされた 箱屋にだまされた」と妻に告げながら苦しみだし病院へ運ばれましたが1時半に死亡が確認できています。その後の司法解剖の結果体内から青酸反応があったとされています。
逮捕された犯人
苦しみながら最後に妻に告げた言葉、最後に会っていて毒物を飲ませることができた人物という状況証拠だけを元に箱屋の富山常喜さんを別件逮捕しその後殺人容疑で再逮捕しました。
富山は逮捕当時から否認をし自白もしていませんが、1976年4月1日に死刑判決を下されました。
冤罪の可能性:その1
殺害に使われた青酸化合物は、口にした途端言葉が喋れなくなり10分以内で死に至ります。しかし、石橋は富山の家を出たのは23時45分頃、自宅に着いたのが0時20分頃、帰宅後2.3分程で苦しみ亡くなりました。
富山と石橋の家は車で3分ほどの場所であることからも、毒薬を富山が飲ませたとしても死に至るまでの時間が合わないことになります。
さらにこの日金策のため土地の権利書を持ち金融へ石橋は向かい、その帰りに富山の家へ寄って報告しています。しかしその権利書が殺害後何処からも見つかっていません。
このことからも、石橋は自宅へ帰るまでの間誰かと会っていたのではないかとの推測もできます。
冤罪の可能性:その2
この事件は、富山が石橋へお金を貸していたことから富山は保険を石橋へ掛けて殺害した保険金毒殺とされています。しかし、実際石橋が保険に加入した事実を知ったのは、証券が富山の自宅に届いた事で知りました。
毒殺に使われたとされる、青酸化合物に関しても入手方法・所持事実・目撃情報などもなく実証できる証拠は何一つありませんでした。
このことからも、富山が毒殺する理由や証拠がないことで、冤罪ではないかと推測できます。富山は再審請求を繰り返しましたが、2003年9月3日慢性腎不全のため死亡しました。
トリカブト殺人事件 無罪主張
1986年5月20日に沖縄で起きたトリカブトの毒による毒殺事件です。犯人として逮捕されたのは神谷力で、毒殺されたのは神谷の3番目の妻です。
神谷は過去2回結婚暦があり、2回とも妻が亡くなっています。今回の3回目の結婚は、元銀座ホステスの女性で前妻が亡くなる前から不倫関係であったといわれています。出会いから6日でプロポーズをし結婚しました。
事件は、妻と妻の友達2名、神谷と沖縄に旅行へ行っている時に起きます。後から合流した友達2名と石垣島へ向かう日、神谷は急な仕事で帰らなければならないと、妻と友達と別れた2時間後に妻は突然体調が悪くなり死んでしまいます。
神谷は逮捕当時から犯行を否認していましたが、最終判決は無期懲役となり癌のため牢獄で死亡しています。
神谷逮捕の内容
神谷は、結婚当初から妻にビタミン剤カプセルを飲ませていました。事件同日も友達の証言からカプセルを飲んでいたことが確認できています。
さらに、妻に1億8500万もの保険をかけていました。掛け金は月18万程と言われています。妻の死因は心筋梗塞と当時は言われましたが、心臓の色が綺麗すぎたことから検死担当が心臓と血液を保管していたことで後にトリカブトの毒による毒殺だと判明しています。
神谷のアパートの畳からも捜査でトリカブトの毒が検出されています。神谷はトリカブトとフグを大量に買っていたことも確認ができていました。
神谷の否認内容
殺害に使われたトリカブトは即効性があり30分以内には症状がでるとされています。しかし、妻が亡くなったのは2時間後であったことから犯行は不可能であると主張しました。
大量に購入したトリカブトとフグに関しても、観賞用と本を作る資料で必要であったとしていました。しかし、その後フグの毒は遅効性があり、トリカブトの毒と合わせ調合する事で、時間の調整ができることが判明しました。
しかし、直接証拠はなく神谷は無罪を訴え続けますが2012年11月に死去とまります。結局無罪とならないまま事件は幕を下ろしますが、神谷が犯人であったのか、真犯人が存在するのかはわからないままです。
青酸コーラ毒殺事件 未解決謎が残る
1977年1月~2月頃までに大阪・東京で起きた無差別殺人事件です。大阪と東京で電話ボックスなどに置かれていたビンコーラを拾い飲んでしまったことで、命を落とした人は3名、意識不明1名の被害がでました。
事件から1ヶ月半頃の2月半ばには、コーラではなくチョコレートによる被害もでています。両方とも青酸化合物が入っていたことは確認できていますが、有力な情報などないことから犯人逮捕に至っていない謎の残る未解決事件です。
大きな謎
大阪で起きたコーラでの被害者男性は、東京の事件同様公衆電話に置いてあったコーラを飲んだことで病院搬送となっていますが、一命は取り止め退院後自殺により死亡しています。
しかし、コーラを飲んでいたという目撃情報はなく、コーラに青酸反応は確認されたものの被害者本人からは青酸中毒症状は確認できていません。さらに一命を取り止めたにも関わらず自殺をしていることも大きな謎となっています。
和歌山毒物カレー事件 冤罪説
1998年7月25日和歌山市園部の夏祭りで起きた毒物入りカレーを食べ被害者を大量に出した殺人事件です。祭りで出されたカレーを食べ中毒症67名、死亡者4名の被害がでました。
逮捕されたのは林眞須美。逮捕は知人に対する殺人未遂(以前林の家で食事をした際ヒ素を入れられた)保険金詐欺(旦那の体が不自由なのは夫婦共謀でヒ素を使ったものと判明した)の別件容疑でした。
別件逮捕の目的は、毒物カレー事件を目的としたものでした。1998年12月カレーにヒ素を入れた容疑で再逮捕されます。逮捕後無罪を言い続けますが、2009年5月に死刑判決を下されます。
眞須美は本当に冤罪なのか?
実際直接証拠が無いまま死刑判決となっています。祭り開催前のカレーの見張り当番をしていた眞須美は、ヒ素を入れられる人物とされましたが、20分間その場を離れていた時間がありました。
混入されていたヒ素は、以前旦那がシロアリ駆除をしていた事で自宅にあり保険金詐欺の際にも使用した事で容疑をかけられましたが、カレーに混入されたヒ素は濃度が濃いとされていましたが、眞須美宅にあるヒ素の濃度は薄いものでした。
カレーへヒ素を入れることができる他の人物がいた可能性と、カレー混入のヒ素と眞須美宅にあったヒ素は同一でないこと、直接証拠がないことからも、冤罪説がでています。
再審請求を繰り返して無罪を訴え続けていますが、2019年現在も大阪拘置所で収監されている状態です。もっと詳しい内容が知りたい方はこちらの記事もどうぞ
後味の悪い帝銀事件の結末
現在でも謎が多く残り真犯人は推測することしかできない後味のスッキリしない70年ほど前の事件ですが、時代が変わればその時代背景に伴う凶悪事件は後を絶ちません。
現代だはありえない手口の事件だから大丈夫と思わず、凶悪事件に巻き込まれてしまわないように自分の身は自分で守っていきたいものです。