帝銀事件の真相は?平沢元死刑囚冤罪説やGHQ真犯人隠蔽説に迫る!

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松井からの名刺を入れておいた物事盗まれたので、事件前段階で盗まれた手続きは済んでいました。さらに名刺の裏には松井が連絡先などを書いたことがあり、証拠となる名刺には連絡先は記されていなかったものの平沢が持っていなかったことからも逮捕理由のひとつとなっています。

事件時のアリバイがなく怪しい

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事件当日の事件が起きた15時頃、事件現場付近を歩いていたと供述しています。その際に親族と会いましたが家族の証言は信用できないとされ、その供述を証明できるアリバイがありませんでした。

さらに、過去に詐欺を4件銀行で起こしていることからも怪しまれる理由となりました。

事件直後にほぼ同額を預金していた

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怪しまれる理由はまだありました。事件当時に盗まれたとされる現金とほぼ同じ金額である額を、事件直後の時期に預金していました。

未だに確実な証拠がないため謎とされていますが、春画を描き売ったとされる代金であったとの説もあります。

平沢貞通元死刑囚の判決とその後

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怪しまれる理由がいくつかあったことで逮捕されましたが、逮捕当初やっていないと否認を一貫していました。

否認を一貫していましたが、その状況も長くは続かなかったようです。判決とその後の様子も詳しく解説していきます。

厳しい取り調べで3度の自殺未遂

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やっていない事を言い続けましたが、取り調べはきつくなり拷問のような状態が続いた結果9月23日に自供してしまいます。

逮捕後拷問状態の取り調べが始まり、8月25日の逮捕4日後に自殺未遂を起こしています。さらに、その後も2回の自殺未遂を起こしていることから、取り調べのきつさが想像できます。

死刑判決が確定

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3銀行の事件による強盗殺人・強盗殺人未遂で送検されました。しかし、東京地裁でおこなわれた公判の12月20日の場で自白を変え無罪であると主張しました。

しかし、その後の東京地裁にて事件から2年後の7月24日一審死刑判決、翌年東京高裁にて9月29日に控訴棄却、4年後の最高裁にて4月7日に上告棄却、その1ヵ月後の5月7日には死刑確定が言い渡されました。

最終的に獄中で病死

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このように無罪を訴えるも、結果死刑判決を下されましたが1987年5月10日に、肺炎にて95歳で有罪のまま医療刑務所にて死亡が確認されました。

結果病死となりましたが、歴代法務大臣も死刑執行命令に署名していないなど冤罪ではないかと死刑判決に反対する者も多くいました。

平沢貞通元死刑囚は冤罪説が濃厚!救う会も結成

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直接証拠など決定な証拠がないことからも犯人ではなく、冤罪ではないかと平沢を救う会も結成されています。

その冤罪ではないかと思われる内容は、取り調べで怪しまれ犯人だと断定された内容を覆そうとするものがありました。その詳しい内容をみていきましょう。

生き残った被害者は平沢を犯人だと断言できず

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事件現場にいたとされ、命のたすかった被害者と類似の未遂事件の被害者11名に犯人の顔の確認をとるため面通させましたが、誰一人として犯人であると確信し言い切った人はいませんでした。

犯人を目の前で見ていた被害者が、この人だと断言できていなかったにも関わらず取り調べは進み犯人とされてしまったこととなります。

預金したお金は春画の利益?

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犯人が持ち去ったとされる金額とほぼ同じ金額が、不運にも事件のあったすぐ後に平沢が預金したことが逮捕要因のひとつでもあるが、その金額は平沢本人が春画を絵描き売って手に入れたお金ではないかと考えられています。

実際平沢の死後に北海道と神奈川で本人が描いたとされる春画は本物とされたものがあるが、公判では当時春画を描いていないと画家のプライドからも否定しましたが、その後認めています。

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最初認めなかった理由として、松本清張は「小説帝銀事件」で春画を描いた事が世間に知れ渡ることで画家として地に落ちることになると思ったのではと推測しています。

そもそも画家の平沢に毒物の入手は困難

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まず画家であったことからも毒物の入手は困難であったと考えられます。

その理由に、犯人は第一薬を最初に飲ませひどい胸焼けのような症状が出ることはわかっていたと考えられ、そのひどい胸焼けの症状を和らげようと第二薬は確実に飲み死に至るというストーリーの元計画されたと考えられます。

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このように、毒薬を入手する事が困難ということだけでなく毒薬の知識なども画家であったことから、なかったのではという説もあります。

米軍による人体実験説も

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戦後からまもないこの時期に研究されていたとされる米軍による人体実験であったのではないかとの説もあります。当時死刑囚などに細菌感染をさせ、回復や死亡などの経緯デーダをとる実験が行われていました。

このことから、犯人は実験に関わっていた人物ではないかとされ、第一薬では死に至ることないシアン化物と第二薬ではシアン化物を毒性に変える酵素を使いバイナリー方式での毒薬に詳しい人物だったのではという説があります。

「平沢貞通氏を救う会」が結成

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平沢貞通の冤罪説が濃厚ではないかと「平沢貞通氏を救う会」が結成されました。作家でもあった森川哲郎(故)により無実を訴えるため再審請求・死刑執行阻止を求め1962年に作家松本清張、文化人、政治家などのもと結成されました。

平沢の死後は、森川の長男が平沢の養子となり再審請求は19回にも及びましたが全て棄却されています。帝銀事件以外の毒物事件でも冤罪説のある事件があります。

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